ジョン・ダンスタブル Quam pulchra es 戦争がもたらした新しい息吹 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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15世紀前半に活躍したイングランド出身の作曲家、ジョン・ダンスタブルの作品。

ルネサンス音楽最初期の音楽です。

Wikipediaによると、
「百年戦争の休戦時にフランスに滞在し、イングランド独自の3度・6度を用いた和声法フォーブルドンをヨーロッパ大陸に伝えるとともに、逆に大陸の音楽をイングランドに伝えた。ダンスタブルによって大陸に伝わった新しい和声法は、大陸の音楽に取り入れられることでポリフォニーに発展し、ルネサンス音楽開始のきっかけとなった。」

1337年に起きたフランドルの反乱に端を発しフランスとイギリスの間の対立は深まりました。そこから戦争に発展したのが英仏百年戦争でした。

「1339~1453年までのイギリス王とフランス王の戦争。王位継承、領有権での対立などが原因であったが、長期化し、その間に農民一揆や黒死病の流行などもあり、両国とも封建領主層が没落し、王権による統合が進み、国民国家形成にすすむという社会と国家の大きな変動がもたらされた。戦いはフランス領内で展開された。」(百年戦争 より)


戦争は(戦闘と和平を繰り返しながら)断続的に100年以上にもわたり続きました。その戦場はフランス国内でしたからフランスは経済的にも文化的にも荒廃していきます。しかし経済面でイギリスとの関係が強くこの百年戦争の後半ではイギリスと友好関係にあることが多かったフランドルは経済的に繁栄し、ブルゴーニュ公とフランドル伯を兼ねたフィリップ3世(善良公)の宮廷は文化的にも華やかな存在となりました。美術的にはイタリアと並ぶルネサンス美術の中心地の一つとなります。また音楽的には中世音楽の中心だったフランスの伝統にダンスタブルらイギリスの音楽家がもたらした新しい息吹が加わり百年戦争の後、ルネサンス音楽の中心となるフランドル楽派の音楽を生み出す下地となりました。

ジョン・ダンスタブル(John Dunstable またはDunstaple, 1390年頃 - 1453年12月24日)は、中世からルネサンス期に活躍したイングランドの作曲家である。その生涯についてはほとんどわかっていない。中世西洋音楽からルネサンス音楽の移行期に重要な役割をした。
イングランドのベッドフォードシャー州ダンスタブル(Dunstable)で生まれたといわれている。音楽家の他に、外交官、天文学者であったといわれる。ノルマンディー知事であるベッドフォード公爵ジョンに仕えた。百年戦争の休戦時にフランスに滞在し、イングランド独自の3度・6度を用いた和声法フォーブルドンをヨーロッパ大陸に伝えるとともに、逆に大陸の音楽をイングランドに伝えた。ダンスタブルによって大陸に伝わった新しい和声法は、大陸の音楽に取り入れられることでポリフォニーに発展し、ルネサンス音楽開始のきっかけとなった。
死去した1453年は、コンスタンティノープルが陥落し、中世の終わりであるといわれ、その年のクリスマスイブに他界したことは象徴的である。」(Wikipedia ジョン・ダンスタブル より)

シンプルな響きの中にポリフォニックな動きも感じられる、中世の音楽からルネサンス音楽に移行していく時期の作品としてなるほどと思わされます。

 


Dunstable: Quam Pulchra Es / Veni Sancte Spiritus / Mass Movements


中世音楽史の本には必ずその名が登場するダンスタブル。彼の三度音程が西欧音楽の発展に寄与した貢献は計り知れないといった能書きはさておいて、百聞は一聴に如かず、まずは当盤でまとめて聴いてしまいましょう。現代英国の腕利き合唱歌手男女8人を集めたトヌス・ペレグリヌスの見事な歌唱があってこそ、ダンスタブルの神秘的で極美のハーモニーが際立つのです。その演奏は、ただ上手いだけでなく、暖かみを失いません。特にお薦めは低い声部が無い「クレド(Da gaudiorum premia)」や「サンクトゥス(Da gaudiorum premia)」で、この美しさには抗し難い魅力があります。「アニュス・デイ」の演奏後に響く鐘の音がまた、いい感じ。ダンスタブルの偉大さを実感させる名盤です。(ダンスタブル:あなたは何者にもまして美しい/来たれ創造主なる精霊/ミサ曲(トーヌス・ペレグリヌス/ピッツ)