ケン ヴェン ラー ソウ エウのブログ -2ページ目

贄の女(38)

「こうして少しずつキメラを増やしたわたしは最初にそれを紹介してくれた友人を介してビジネスを始めたんだ。結構な金額になったよ。でも、キメラの使い道はそれだけじゃない。オスも当然産まれるが、オスの生殖能力は余り強くないし、相手が人間だと母体が出産時に影響を受けてしまう。それにキメラのいい特性が出にくいんだ。そこで今度はこれを潰して捌くことにした」

 潰す?捌く?どういうこと?

「美味だったよ。人間の形をしていても人間じゃないんだからね。心は痛まない。こんなことを思いついたのも八百比丘尼の話があったからだ。勿論予め問題無いか、ちゃんと検査したし、実験もしたがね。でも、それよりもっとうまいものがあったんだ。それはメスの肉さ。こいつは一度味わうと忘れられない。それにオスと違って体を活性化させる効果が強いんだ。わたしも随分若返ったからね。もう八十を越えているけど、まだ四十代にしかみえないだろ?体力なら二十代にも負けないしな。人魚を食べると若返るという伝説は本当だったわけだ。八百年生きたかどうかは別としてもな」

「さっきから一体何を話してるの?キメラとか一体わたしに何の関係があるのよ!大声出すわよ!あんたたちみんな頭おかしいよ!早く解いてっ!!」

 もう気が狂いそうだった。わたしの叫び声が部屋の中に空しく響いた。

 雨宮が勝ち誇ったように隅に置いていた檻を羽佐間と一緒に前に持ってきた。

「まだ分からんのか、このバカめ!」

 言うなり、檻にかけてあった布を引き剥がした。

 そこにいたのは裸のまま縛られ、猿轡を噛まされている「わたし」だった。

 なんなの…なんなのよ、これは…

 唇が震えて言葉にならない。「わたし」はもがきながらも悲しそうにわたしを見つめていた。

「お前はキメラなんだよ。生後二年のな。お前があまり激しく動き回らんように薬で今まで抑制しながら、わたしたちが好きにできるように体質を変えていたのさ。外に出られちゃ困るからな。異常に早く成長する娘の姿を周りの人間に見せるわけにもいかんだろう。だから病気ということにして、毎日血や尿を取っていつから使い物になるかチェックしてたのさ」

 わたしが…キメラ…???

 うそ、みんなとおなじじゃない?

 目の前の「わたし」と凶暴な顔つきで笑っている父を前にわたしは悪い夢を見ているのだとしか思えなかった。

「お前が見つけた古い写真はお前の母さんのものさ。そこの羽佐間にさんざんやられたお前たちの母親だよ!」

 「わたし」とわたしは共に涙を流していた。まさか、まさか、羽佐間がわたしたちの父親だなんて…。父なら、何故助けてくれないの…。何故、そんなところでいつまでもニヤニヤ笑っているのよ…。

「お前たち二人も会うのははじめてじゃないよなあ、あゆみ。少なくともお前は」

 もしかして、わたしがあの晩ベッドで寝ている姿を見たのは…

「お前はこっそり部屋を抜け出したくせに上がるときに階を間違えて真上にあるエリカの部屋に入ったんだよ。エリカはお前と違っておとなしくていい子だったから鍵をかける必要も無かったがね」

 やはり、あのとき部屋を間違えたのがまずかったんだ…

「キメラにきちんと教育すればどこまで知能が上がるか見てみようと言い出したのはこの羽佐間だよ。その方が晩餐の趣向に彩りを添えるってな。一番賢かったのはおまえさ、あゆみ。誉めてやるよ。二年間で高校2,3年の学力を身につけたんだからな。下手な大学なら今から受けても受かるかもしれん。お前たち五人兄弟のうち、ナルミは毒がいつまでも抜けないので潰したよ。どうやらお前に見られていたみたいだけどな。ここにいる斎藤がとろいので少少手間取ったがやっぱり引導はわたしが渡すしかない。ガラとリカは大事な商品だ。既に売買契約も出来ている。形が人間なので、どこへでも運びやすいしな。本人も自分が売られるとは思っていないし。先方についたときの反応が楽しみだよ」

 鬼。

 わたしがキメラなら、ここにいる連中は全て鬼だった。誰一人、人間らしい心のかけらもない…。

 わたしはどうなるの?そして「わたし」も…

「お前がエリカの部屋で倒れていたのを発見したわたしたちはびっくりして、お前に薬を嗅がせて起こさないようにしながら、元の部屋に連れ戻したのさ。そのときにお前が夜中に出歩いていることに気付いたんだ。本当なら晩餐はもう少し先にする予定だったんだが、このままじゃ逃げられかねないしな、早めに手を打たせてもらったよ」

「わ、わたしたちを…どうする気…」

「おやおや、あゆみちゃん。さっきの話を聞いていなかったのかい?何の為に今までお勉強したんだろうねえ、ええ?」

「母は、母はどうしたのよ…」

「売ったさ。どうしても欲しいという人がいたのでね」

「けだものっ!」

 わたしがつばを吐くとそれをよけて雨宮は勝ち誇ったように笑った。

「けだもの?それはおまえだよ、あゆみ。わたしたちは人間だよ。に、ん、げ、ん」

「な、なんて、ひとたちなの…」

「さ、そろそろ本番に行こうか。羽佐間君。キメラに人間と同じ学習をさせるという君のアイデアは中々すばらしかったよ。お陰でいつも以上に楽しむことが出来た。今後もこれで行こう。気に入ったよ、うん」

 雨宮は後ろを向いて周りに指示をし始めた。

「さあ、これからが本番だ。けだものを檻からだせ。思いっきりなぶってやれ。今日の日の為に今まで苦労して飼育してきたんだ」

「あんたたち、正気なの?人を何だと思ってるの?羽佐間、あんた父親じゃないの?なんとも思わないの?」

 泣き叫ぶエリカを眺めていた雨宮がこちらを振り向いた。

「わたしたちはねえ、何度もこんなことをしているんだよ、あゆみちゃん。これが至上の快楽なんだ。一度はまると病みつきになってね。エリカはここで繁殖用に飼われるんだ。今日はその手始めさ。それより自分のことを心配したほうがいいんじゃないのかい?」

 その言葉にはっと気がつくと、周りの人間がぎらぎらした目つきでわたしに注目していた。

「みんな随分と待たされたんで、おなかが好いているんだよ」

 誰もが手に光るものを持っていた。

「やはり生け造りが一番だね。最高のエンターテイメントだよ」

 そのとき、わたしは何故鎖で吊るされているのかを理解した。

 吊るされたわたしの下には大きな銀色の皿が置かれた。

「今夜は特に楽しめそうだ」

 雨宮が一歩踏み出した途端、他の人間がわたしに群がった。

いつかない

 ロジという言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。

 路地(関西ではロージと言ったりする)を思い浮かべる方が多いと思う。

 でも、仕事関係の場合、ロジとはロジスティック、いわゆる物流をさすことが多い。

 これは僕がたまたま仕事で一緒になったロジ、物流関係の方から聞いた話である。


 Nさんはある大手物流会社I社の管理職をしている。

 彼は或る時、上海事務所のために借り上げ社宅の物件を当たることになった。

 駐在員が住む場所である。交通の便も大事だが、治安も大事である。日本と違って海外は何があるか分からない。知らない国で犯罪に巻き込まれることほど厄介なことはないからセキュリティーは当然重視される。そして何より毎日嫌な思いをせずに住める場所が求められる。いわゆる住み心地というやつである。部屋は広いに越したことはない。狭苦しい部屋に毎日押し込められていると何だか気が変になってしまう。部屋数もあるに越したことはない。日本人が海外で住むというのは簡単なことではなく、部屋を探しまわる日々が続いていた。


 そんな中で破格の物件が見つかった。そこは町中から少し離れたところにある一軒家だったが、値段が安く、そのあたりの治安も悪くない。家具も付いていてすぐにでも住めるような状況だった。

 住み心地を試してみようとNさんは大家さんに頼んでそこで一泊させてもらうことにした。

 電気も水道も通っているのでその点は安心だったが、夜、一人になってみるとどうも雰囲気が違う。

 一つにはテレビもラジオもないことがあったのかもしれない。夜になりと辺りは静かで、しんと静まり返っている。

 まあ、実際に住むとなればNHKとも契約して日本語放送も入るようにするし、海外に住む人間なのでCNNやBBCなど衛星放送で見られたらそんなに問題ないだろう。その点はNさんも心配していなかった。

 それより気になるのは寝室である。十畳くらいの広い石畳の部屋の真ん中にベッドが置いてある。それは備え付けのもので替えても動かしてもいけないという。この部屋に限らず、レイアウトを出来る限り変えない、特に寝室はそのままにしておくというのが条件だったらしい。


 夜になってすることもないので寝ることにした。

 ところが眠れない。

 どうにも落ち着かないのである。

 電気を消した途端、ぐっと部屋の空気が濃くなる気がする。

 殆ど家具もなく、ベッドだけが部屋の中心に置かれている。考えてみればそういう配置もどこか変だ。

 気にしないでおこうと思ったが、布団をかぶってみてもこの部屋は何か変だと感が告げる。

 真っ暗な中に一人でいると闇がどんどん重くなってくる気がした。

 何となく部屋に何かがいるような気配がする。

 電気をつけても何もいない。

 だが、暗くなると重い。

 ざわざわ。ざわざわ。

 音はしないのに、何故か音がしているような感じがする。

 この部屋って俺一人だけだよな。

 当たり前のことなのにそれすら疑わしい。

 結局電気をつけ、落ち着かない気分のまま夜を過ごした。


 翌日の疲れ方がまた半端ではなかった。

 一晩くらいの徹夜なら平気なはずだったのに、あまりにもだるい。まるで何日も寝ていないようだった。

 結局次の日は仕事にならず、早々に帰って元々の宿舎で寝ることにした。

 熟慮の結果、その家は借りないことにしたという。

 後で聞いてみると、日本から来ている他のロジスティクスの会社、S社やN社、K社などもあの部屋を一度は借りようとしたが皆一晩泊っただけで借りることをあきらめている。破格の値段にもかかわらず、誰もそこを使おうとはせず、ずっと空き家のままだという。

 霊が出るわけではない。怪現象も起きていない。

 なんとなく居心地が悪いのである。

 それも尋常ではないほど。理由は分からない。ただ住みにくいのである。特にあの寝室が。

 海外のことである。曰くがあるかどうかは分からない。大家に聞いても何もないという。レイアウトを変えてはいけない理由についても教えてもらえない。


「風水の問題なのか、いわくがあるのか分かりませんが、とにかくあそこは変でした。特に夜、あそこに一人でいるのはごめんですね」

Nさんは語る。


 たとえようがないほど居心地の悪い家が上海にある。

 

 





 

 






 

あの日

 あの日、あの時間、あの場所に親父がいたことを知ったのは俺が社会人になって随分と経った頃だった。それまではそんな話は聞いたことがなかったので、初めは親父のよく言うつまらんハッタリか冗談だと思っていた。逆算すれば親父はあの当時、二十歳くらいになる。兵隊に行っていたことは前から聞いていたし、辻褄が合わないわけではない。だが、それが真実だと知ったのはお袋からも同じ話を聞いたからだった。おふくろは親父と違ってこういうことでつまらない冗談を言ったりはしない。

「お父さんの言うてたことほんまやで。一緒におった人らもようけ、亡くならはったらしいで。運が良かってん」

 本来なら手帳がもらえていたと言うが、何故か親父は申請しなかったらしい。面倒くさかったと言っていたが、案外それが本当なのかもしれない。

「街中にようさん死体が有ってな、残った人らでそれを片付けてたらしいわ。毎日毎日そんなんやってんて」

 親父にそのことを聞いたら、鬱陶しがって余り話してくれなかったが、そのうちぽつりと話し始めた。

「向こうの方でな、誰かが起き上った気配がするんや。見たら黒い影が何体か動いているからまだ誰か生きてるんかと思って行ってみたら、そこは真っ黒に焦げた死体の山や。生きている人間なんか一人もおらへん。せやけどな、ちょっとしたらまた向こうの方で黒い影が揺れとんねん。どうせ行っても黒焦げの死体しかあれへんねんけどな、やっぱり行ってまうんや。ちゅうかな、行かんとあかん気がするんや」

「それ、幽霊とちゃうん」

「そうとも言えるやろけど、なんかそういうのとはちゃうな。今でも時々見えるんや」

「やばいやん。お祓いしてもうたほうがええやん」

「ええんや。別に何も悪させえへんし、あの人らも言いたいことが有るから出てきはるんやろ。それにな、あの人らの事をな、わしら、忘れたらあかんわ」

 親父は今でも時々黒い影が蠢いているのを見ると言う。そしてその度にあの日のことを思い出すと言う。決していい思い出ではない筈だ。だが、それでいいと言う。

 その親父も鬼籍に入り、俺は親父がいたと言う場所に行ってみたいと思いつつ、それはまだ叶えられていない。ただ、親父の遺産とでも言うべきなのか、黒い影を見るようになった。あの日に合わせているのか決まってそれは夏の盛りだった。親父から聞いた話の印象とは違い、影は儚く、弱弱しい感じで、必死に自分たちの存在を訴えているようだった。

 親父と同じく、俺も彼らを祓う気にはなれない。何だかそれはしてはいけないような気がする。俺達までもが彼らを邪険にすれば誰が彼らの訴えを聞くというのだろう。

 次の夏が来るまでに、俺は何を出来るのか。どれだけの人が黒い影を見ているのか分からないが、少なくとも俺はこの国の人間として彼らをこれ以上悲しませたくはなかった。