あの日 | ケン ヴェン ラー ソウ エウのブログ

あの日

 あの日、あの時間、あの場所に親父がいたことを知ったのは俺が社会人になって随分と経った頃だった。それまではそんな話は聞いたことがなかったので、初めは親父のよく言うつまらんハッタリか冗談だと思っていた。逆算すれば親父はあの当時、二十歳くらいになる。兵隊に行っていたことは前から聞いていたし、辻褄が合わないわけではない。だが、それが真実だと知ったのはお袋からも同じ話を聞いたからだった。おふくろは親父と違ってこういうことでつまらない冗談を言ったりはしない。

「お父さんの言うてたことほんまやで。一緒におった人らもようけ、亡くならはったらしいで。運が良かってん」

 本来なら手帳がもらえていたと言うが、何故か親父は申請しなかったらしい。面倒くさかったと言っていたが、案外それが本当なのかもしれない。

「街中にようさん死体が有ってな、残った人らでそれを片付けてたらしいわ。毎日毎日そんなんやってんて」

 親父にそのことを聞いたら、鬱陶しがって余り話してくれなかったが、そのうちぽつりと話し始めた。

「向こうの方でな、誰かが起き上った気配がするんや。見たら黒い影が何体か動いているからまだ誰か生きてるんかと思って行ってみたら、そこは真っ黒に焦げた死体の山や。生きている人間なんか一人もおらへん。せやけどな、ちょっとしたらまた向こうの方で黒い影が揺れとんねん。どうせ行っても黒焦げの死体しかあれへんねんけどな、やっぱり行ってまうんや。ちゅうかな、行かんとあかん気がするんや」

「それ、幽霊とちゃうん」

「そうとも言えるやろけど、なんかそういうのとはちゃうな。今でも時々見えるんや」

「やばいやん。お祓いしてもうたほうがええやん」

「ええんや。別に何も悪させえへんし、あの人らも言いたいことが有るから出てきはるんやろ。それにな、あの人らの事をな、わしら、忘れたらあかんわ」

 親父は今でも時々黒い影が蠢いているのを見ると言う。そしてその度にあの日のことを思い出すと言う。決していい思い出ではない筈だ。だが、それでいいと言う。

 その親父も鬼籍に入り、俺は親父がいたと言う場所に行ってみたいと思いつつ、それはまだ叶えられていない。ただ、親父の遺産とでも言うべきなのか、黒い影を見るようになった。あの日に合わせているのか決まってそれは夏の盛りだった。親父から聞いた話の印象とは違い、影は儚く、弱弱しい感じで、必死に自分たちの存在を訴えているようだった。

 親父と同じく、俺も彼らを祓う気にはなれない。何だかそれはしてはいけないような気がする。俺達までもが彼らを邪険にすれば誰が彼らの訴えを聞くというのだろう。

 次の夏が来るまでに、俺は何を出来るのか。どれだけの人が黒い影を見ているのか分からないが、少なくとも俺はこの国の人間として彼らをこれ以上悲しませたくはなかった。