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木蓮ちゃんの気まぐれトーク・コーナー

年齢不詳・性別不詳の木蓮の、ハチャメチャ気まぐれ日記です。
変幻自在の木蓮の怒涛のお喋りをお楽しみください。。
多重人格って言わないでね。
ピアノをこよなく愛する桃源郷の住人、ってことで・・・

朝目が覚めて、おはようと言う時、生きていることを嬉しいと思えることに感謝します。

「今までずっと、自分が可哀想で絶対死んだりするものかと思っていた。こんな人生で終わるなんて可哀想すぎるってね。でも今は、しがみついてまで生きなくてもいいって思うよ。もう可哀想じゃないと思える」そう言った人がいました。その言葉にどれだけの重さがあったのかはわかりません。でも私が執着なく滅えることを望んでいたのはその人の影響もあったのかもしれないなと思います。

朝目覚めることが嬉しい時間がいつまで続くのでしょうね。

今朝一番に頭に浮かんだのは、世界ランキング9位って、どういうことなんだろう?でした。全然イメージがわきません。綺麗だったんだろうな、どまり。

お腹はおさまっていました。
湯船に浸かってゆっくり体を温めて、(あまり気は乗りませんが)仕事に行きます。
世界中のキリスト教者を敵に回すことを覚悟の上で。
イエスは、本当に肉体レベルで復活したのでしょうか。
聖書では、復活したイエスは、生前(?)と姿かたちが違っていたとされていたはず。
その声や所作でイエスだという事が人々にわかったとされていますが、ん~優秀な役者ならそれくらい簡単に演じられると思います。その後の本当の昇天だって、???です。
信仰とは疑いを持たない事。宗教の多くはそう教えているようですから、こういう疑問を持つ時点で私はいわゆる信者失格。でも妄信は性に合わないから仕方ありません。

歴史的にはイエスが本格的な布教活動を始めるまでの17年間は謎とされています。
一説でははるか東方に旅して仏教を学んでいたともされています。

そういう謎にはあんまり興味がありません。
私が興味があるのは、イエスの孤独についてです。
あの十二使徒の出来の悪さ!飲み込みは悪い、言いつけは守らない、己の弱さを知らない、裏切る。
イエスの死後、やっと精進して新約聖書なんぞを書くほどになりましたが、彼らが理解できたイエスの言動ですから、相当なバイアスが入っているはずです。文脈でとらえなければならない比喩をそのまんま書いたりしたから、多くの誤解が生まれてしまったのだと思います。イエスはそういう未来を予見していたのでしょうか?
イエスを非常に霊格の高いひとりの人間としてみたとき、あの弟子たちに囲まれて過ごした日々は、満たされていたのでしょうか。父なる神に対してですら、思わず「私をお見捨てになるのですか!?」と叫んだとされているイエス。
イエスの生きていた時代、愛という概念自体がなかったようです。
さぞかし苦労が絶えなかったことでしょう。彼はその孤独をどう扱っていたのか。
祈り、なのかなあ?

日本にキリスト教が入ってきたときも、愛という日本語がありませんでした。
適切な訳語がなかったので、「お大切」と訳したのだと聞いています。
なんとなく、愛より分かりやすい気がするのは私だけかしら。

ちなみに私のエッセンス達は、私流ではありますが、とってもお大切にされています。。
ストックの抗生剤がやっと効いてきたのか、脂汗が出るような痛みは軽くなりました。
脱水が怖いので、おそるおそる各社スポーツ飲料をとっています。
病院に行く気は最初からありませんでした。待たされて必要あるかもわからない検査されてテキトーな説明受けて、出される薬もしれていて、疲れるだけですも~ん。熱はないし、身体症状から膵炎でない事だけはわかったので、自宅療養を決め込みました。
この分だと、明日も絶食かなあ。おかゆなら大丈夫か?

ネガティブ思考から少しずつ解放されています。
ベッド周りのエッセンス達が、大丈夫?って声をかけてくれている感覚を取り戻しました。
明日には完治する予定だから心配いらないよ~と返事しています。

一昨日の展示会の事を思い出していました。
芸術性の高い絵はたいてい好きですが、彼の絵は特別・別格なのは何故か?
素朴にして本質的な疑問です。
現段階での答えは。彼は、技巧は使いますが技巧に走らず、ほんとに素直にストレートに、自分が美しいと感じたり感動したり理想としたりする絵を描いていると感じます。感情が揺さぶられると描かずにはいられないという所が非凡で、小さな子供ならわりとよく見られるこの現象を、還暦過ぎても保っているのが常人ではありませんよねえ。
あそこまで臆面なく自分の感動をそのまんま表現できるなんて、すごいです。あんなに大量にストレート物を描いていたら、どこかでボロが出そうなものですが、若い頃から一貫して美しい絵ばかり。
ご自身も何かに書かれていましたが、きっと彼は、無条件の海の愛と無償のお母さまの愛への感謝を常に持ち続けていて、彼女たちに捧げることが恥ずかしい絵は描かない・描けないのかもしれません。
想像ですが。

今日が新入社出勤初日だった人も多いでしょうね。
私は業界事情により、仕事はじめはゴールデンウイーク明けからで、本当の意味で仕事を開始したのは5月下旬からでした。
世に必要とされている職種ではありますが、私が学んだ方法では、私が理想とする解決はまず得られないであろうことがわかってきました。そこそこまではいくのですがね。根本的に概念の再構築をしないと、きっとだめです。
私は自分がこれからどうしたいのか、見えません。
思い当たることはあります。昨日食べたあるものが、ちょっとヤバかった気がしていました。間歇的なひどい腹痛とトイレ通いの状態。食中毒でしょうねー。吐き気はありませんから、水分はとれます。早く毒物を出し切ってしまわないと。

体調が悪いと、碌なことを考えません。
頭に思い浮かぶのは、今までの人生で体験してきた辛い思い出ばかりです。
とっくに解決しておいたつもりでしたが、表面だけだったみたい。
そもそも幼いころから自分に存在価値を全く感じられなかったことが出発点です。アダルトチルドレンってやつ。それでいて、今回の人生では何か大きなかけがえのないイベントが起きるような予感もありました。その微かな希望だけで生きながらえてきたのです。

人の目にどう映っているか知りませんが、私は自分の人生を心から愛おしく思ったことがありません。刹那的な喜びや幸福感はありました。でも、本当に満たされたことがあったでしょうか?私が本当にほしいのはこれではない、結局はそう思ってしまう事の繰り返し。

これ以上は無理、っていうくらい当時持てる優しさのすべてを向けていた人から「木蓮は優しさが足りないけど、僕と付き合っていたら僕のようにだんだん優しくなれるよ」と言われた時のショック。その人の優しさは、優しいというより甘い、だったのに。ほどなく別れました。

「愛しているよ。どうしようもない」が口癖だった人は、私のありのままの姿を見ようとしませんでした。私が自分の意に添わないことを言ったりしたりすると、ほんとうに深~い溜息をついて「木蓮は、もっといい子だろう?そんなこと言うなんて木蓮じゃないよ」と言いました。困っている人を見ると放っておけない人で、あまりの放埓ぶりに誰からも相手にされなくなった女の子のことを親身になって心配し、私とのデートをキャンセルして夜中まで相談に乗ってあげたりもしました。そして「僕があの子を見捨てたら、あの子がいったいどうなると思うの!?」と主張。その女の子は、とってもしたたかな子で有名だったのにそれです。この人とはパートナーシップを組めないと思い、別れました。

数は多くはありませんが、表面的な社交は得意でも、私はここぞという人間関係ではうまくやれないということを経験し続け、お手軽なTVドラマの連続みたいな人生なんて意味がない、もういい加減スイッチを切って静かになりたい、と思うようになりました。

ひどくネガティブになっています。
他にも山のように人生の失敗が思い出されます。
たいていが、軽はずみな判断が大きな痛手を招いています。
あるいは自暴自棄な生活が招いた慢性的な負の遺産。

こういう暗いブログはアップしないのが常識かもしれませんが、これは私にとって日記ですので、いつか読み直した時「こんな日もあったなあ」と思い出すのも悪くないと思って、更新することにしました。
名前をど忘れしましたが、中国の孔子などに並ぶ偉人の逸話が好きです。
さんざん活躍した後、世を捨てて山に籠ってしまっていました。

戦乱の世にて、彼の力を借りたいと考えたある国の使者達が、ぜひ我が国の宰相?になってくださいと山に籠る彼を訪問しました。
使者達は懇々と彼を説得しますが、小さな洞穴の中で寝ている彼は承諾しません。
最後に使者達が「何か私達にしてほしいことがありますか」と問うたところ、彼は「そこをどいてくれないか。あなた達のせいで私に日が当たらないのだよ」と答えました。

高校の漢文で習ったお話ですが、なぜか忘れられません。
女性には危険すぎてできない暮らしですけれど、人間の社会から隔絶された環境でひとりで生きていく(そして自然に死んでいく)ことに、憧れというか安息を感じます。

マンションから一歩も出ないで過ごすことは、疑似的にこれをやっているのに似ています。
束の間の現実逃避。
定期的にこれをしないと、自分が壊れそうでこわいです。
建物の中ですが、採光がとてもいいので、人工だけど自然っぽいのがいいですねえ。
風通しも最高。これからますますいい季節になります。
20代の写真、ほんとうに何ていい顔をしているのでしょう。
彼のお母さまが書かれた文章「彼は、サーフィンをして絵を描くことで満たされていた」が、改めて納得できる写真だと思います。少し緊張感がありますが、とても幸せそうです。けっこう長く生きてきましたが、私はあんなふうに満たされたことがあるのかしら?
たぶん、ない。

同じく20代のことだと思いますが、やはりお母さまが「彼は、自分が自分を信頼しているほどには他の人は自分を信頼してくれていないということに気が付いた。ここが彼の転機だった。彼は自分と自分の人生をコントロール(という言葉だったと思いますがうろ覚えです)するようになった。」と書かれているのを読んだことがあります。
30代以降の写真は、さもありなんという顔です。いい顔ですがね。どことなく、力づくでもぎとった幸せ・満足感みたいな感じがします。成功者はたいていこういう顔をしているものです。彼もそのひとり。

それが・・、かき揚げの頃から変化があって、昨年あたりの顔は、なんなのこの肩の力が抜けた感じはどこからくるの、何があったの?別人です。
20代の頃に通じるような、満たされて幸せな感じを受けます。

おやおや朝から何を書いているのやら。
彼の地は昼下がり。
今日も満たされた時間を過ごしているといいな。
途中休憩?はしましたが、連続18時間ベッドの中で過ごしました。
もちろん一人です。
明晰な思考ではないものの、この所ずっと頭の中で何か考えたりトライしたりしていたせいか、とにかく疲れて疲れて意識を保てませんでした。
脳内伝達物質が枯渇する前に、眠って補給する必要があったのだろうと思っています。
だいぶましになりました。

しばらく空いていたお隣に、家族が入られたようです。かわいい女の子を連れた若いご夫婦が挨拶に来られました。「1歳半くらいですか?」「そう!そうです!」また、当ててしまった・・。隣が少し賑やかになるかもしれませんが、生活音にあまり神経質でない私は、あんまり気にしていません。

昨日はブルームーンの美しい満月を夜桜と共に楽しみました。復活祭前夜祭の夜でもありましたから、キリスト教関係者には特に印象深いことだったでしょう。春分の日の次の最初の満月が土曜日でなければ、前夜祭が満月にはならないですから。
イエスが本当に復活したとして、月は満月だったのかしらね?

今日は4月1日。年度始めでイースターで、午前中はエイプリルフールなんだけど寝ていたので何も面白い嘘をつけませんでした。ネットで調べるといろいろ嘘ネタが拾えます。企業のはわりと面白いかな?でも、すっごくセンスがいい嘘ならともかく、中途半端な嘘は、みっともないからつかない方がいいと思ったりします。変な習慣です。なんと起源は不明なんですって。

すてきな昨日のことを書き留めておきたいのに、どうしたことでしょう文章がうまく浮かびません。
入り口に、前は特別室に展示してあった紫色の作品がありました。あいかわらずタイトルはありません。筆の跡が絶妙で、何か深い思い入れがありそうですが想像するしかないですね。
国際デビュー作の原画を初めて見ました。写真ではわからなかった細部のこだわり、海の方より陸の方により魅かれました。緑がきれいでした。陸からきれいな水が流れ込まないことには、海はきれいでいられません。言葉にするといろいろ小難しくなってしまう思想を、一枚の絵で描き切る。この絵に限ったことではありませんが、なぜこうも力強い絵を次々と描けるのか、やはりこういうのを天才と言うのでしょう。

中に入ってみると、作品の説明/解説をしてあるテキストの文章が、既にネットで公開してあるのと全く同じでした。あ・・。もう少し膨らませてあると思っていたので、頭の中はコンフュージョン状態で、立ち直るのに少々時間を要しました。ちょっと自棄になってしまったので、たまたま目が合ったお客さん数組に声をかけ、「この絵の秘密はね・・」などと勝手に解説してお客さん達が感心するのを眺めて気を鎮めました。中でも彼の絵を見るのは初めてだという若い男の子には、彼が画壇からどういう評価を受けているかまで喋ってしまい、「そういう批判があることを知った上で、それでも綺麗だ好きだと自分が思えば堂々としていればいいし、批判されるのが嫌なら口にしない方が無難かもしれないわね」などと説教?ぶちかましました。男の子は結構素直で「僕は綺麗だと思います」と言ってましたねえ。

新作は2点でした。構図は旧作に少し似たのがあるので、最初は新作だと思わなかったのですが、よく見るとまぎれもない新作でした。

蛍をテーマにした作品を見るのは初めてです。とても綺麗。こういう緑の使い方も素敵だなあと思いました。
イルカがたくさんいましたが、前面の3頭が主役でしょう。飛び跳ねている父イルカと、子イルカを抱きかかえるようにして幸せそうに泳いでいる母イルカ。優しいけど凛とした表情です。印象としては、この母イルカは遠方の海から嫁いできて、今や父イルカ社会にすっかり溶け込み一員になっている感じがしました。

もう一つの2頭のイルカの絵は、抑えた色味で、シルエットではありませんでした。
あのような構図は今まであったでしょうか?2頭がシンクロしていません。それぞれ好きなように飛び跳ねています。なのに、バラバラな感じがしない。これみよがしなシンクロなど必要ない。確認を必要としないほどの深い信頼で結ばれた2頭のように見えました。
飛沫のない波の表現。あの波は深い何かを表現していると思うのだけど作者の真意は読めませんでした。まあ確かにあの絵に波の飛沫は合わないかもしれません。その分、飛び跳ねた体の飛沫が美しかったです。

お土産にいただいた小ぶりなポーチ、非売品です。何を入れて使おうかしら。

自分へと還る。
それをしているのは彼だけではありません。
でも私のはかなり危なっかしいです。
それでも、いいの。還るところに気が付いたことが奇跡ですから。
ある方のブログより。

『大阪・淀川水系の「大川」沿いの桜(ソメイヨシノ)が、大阪管区気象台によると、昨日(3/26)満開と発表になった様です。
満開宣言をする様になった昭和28年(1953)以降では、最も早い開花宣言だと言う事でしたが、そう言えば昨年はもう少し(10日程)遅かった様に感じます。
今年は厳冬だと言われた筈なのに、急速に春が来た感が否めません。数日前に同じ様な記事を何度か書きましたが、やはり間違いなく今年は季節の移り変わりが早い様です。』

1953年以降ということは、1956年以来最も早い春ということですねえ。
日本の話ですけど。

この近辺でも桜はもうピークをすぎています。
職場の玄関の2本の桜もとてもきれい。去年は一部花の付きが悪い枝があったのに、今年は見事にびっしり咲き誇りました。
まだヒートテックを着ている私は汗だくです。

昨夜はこの桜の前を通って何度か駐車場に通い、満月間近の月を愛でていました。
明後日は2か月前と同じブルームーンです。皆既月食ではありませんが、美しい満月が見られることでしょう。展示会の帰り道ですから感動もひときわだと思います。

桜といい月といい、季節の移り変わりの早さといい、2018年はどう考えても普通ではありません。
そして私には「それくらい当然よ」という気持ちがあります。
突然の雷に溜息をつくのと全く同じ感覚があるのです。シンクロしている感覚が。

満開の桜ですが、あえて写真は撮りませんでした。
自分で覚えておくしか道はない。その緊張感が好きです。

このひと月くらいでしょうか。何かにイライラして、怒りのような感覚があって、噛み付いてやりたい気分がずっと続いていましたが、その正体がわからずよけいイライラしていました。アマゾンから届いた本を流し読みしていて、あっと正体がわかり、でもそんなものに腹を立ててどうするの?と虚しい自問自答の最中です。

当たり障りのない所だけ書いてみます。
「宇宙に証明する」という言葉に過剰反応しているようなのです。
はあ?何で証明しなきゃいけないわけ?宇宙に承認されなきゃ認められないの?
宇宙ってそんなに偉いのかい?
自分が納得したらそれで十分でしょ!
だいたいねえ、証明するっていう概念は"科学・物理・数学"の発想であって、物質界の用語だと思っていたんだけど、違うのですか?スピリチュアル界も証明がいるんですか。
矛盾してるでしょ!

「ハイヤーセルフ達に認めてもらう」というような言い回しも好きではありません。
彼等は私達より高い所にいるらしいですけれど、要するに学校の先生的な存在なわけでしょう。生徒である私達は、いずれ成長して彼らと同じところにいくはずですし、少なくても地球の思想では、先生や親の恩に報いる一番のことは、先生や親を超えることです。いつか超えるかもしれない存在に、いちいち認めてもらわないと合格点がもらえないという理屈ですか?それじゃ地球と同じじゃないですか。どこがハイヤーやねん!器が小さいのではありませんか?

おそらくハイヤーセルフ達が悪いのではなくて、それを紹介している人達が地球概念の枠の中でしか物事を考えられないために、紹介者たちの未熟さが文章の矛盾を引き起こしているのだと思います。しかし理由はどうあれ、そういう文章しか入手できない私としては、せっかくのいい話が小さな間違いのために一気に信頼できなくなりますので、非常に不愉快です。

私のナイト君とかその他の仲良し存在との対話では、こうした矛盾は起きたことがありません。彼らは私の今の在り様をそのまま受け入れてくれ、アドバイスはありますが否定はなく、そしていつも見守ってくれます。こっちの方が本やネットの中のハイヤーより格が上のように感じます。
最近、新しい声が増えました。こういう種類の声は初めての体験なので、正気の沙汰なのか病気なのか慎重に成り行きを見守る方針です。はじめの頃は流れがギクシャクしていましたが、だんだんスムーズになってきました。手放しでは喜べないけれど、とりあえず悪い気はしません。情報が正しければ、この現象は起きる方が自然なのだそうです。ほんとかしら??
日程がなかなか合わなくて、3月も末の今頃やっとタイヤ交換をしてきました。燃費が元に戻るのがうれしいです。預かってもらっているノーマルタイヤに、ねじ釘が刺さっていることが発覚して、パンク修理も併せてしてもらいました。走行中のパンクにならなくてすんで良かったです。

待ち時間に、きのうの帰り道のちょっとした交流を思い出していました。電車に乗ったら空席がなく、仕方ないな立っていようと思ったら、若いお母さんがさっと席を譲って下さいました。疲れていたので有り難く座らせていただき、聞くともなくその親娘の会話を聞いていて楽しかったです。会話と言っても母親が11歳くらいの娘に語り掛けて、娘は頷いたりたまに「うん」と言う、という様相でしたがね。どうやら引っ越してきたばかりのようでした。

「来年の受験の面接の準備をしないといけないね。あなたの日本語、時々変だから、これから変な言い方をしたらすぐお母さんがリピートして気付かせてあげるね」
私のこととて、そこで思わず「それはいいアイディアですね」と声を掛けてしまいました。お母さんは余裕で私の方を見ましたが、あまり人馴れしていない感じの娘さんはびっくりした顔で私を見ました。
「面接みたいなものはね、いくつになっても緊張して頭が真っ白になるものなのよ(私はなりませんがそれは言わず)。そうすると、地が出るの。普段がそのまんま出ちゃうのよ。だから普段からきれいな言葉を使っていないと、ごまかしがきかないよ」
娘さんはとっても素直にこっくり大きく頷いて、お母さんの方を見ました。お母さんも頷き返していました。「いいお母さんで良かったね」と続けたら、二人はまた顔を見合わせてとても嬉しそうに笑い合っていました。

その後もお母さんの話は延々と続きました。
「あなたは落ち着きがなくて注意力が足りないでしょう。家の近くは住宅地で信号があまりないから、道路に飛び出して事故に合うんじゃないかと思って、お母さんはそれが心配で仕方がないのよ。自転車とかすごいスピードで走っているしね」。
「この一年、学校だけじゃもったいないね。習い事とかじゃなくてもいいから、学校が終わってから行ける所を探そうね。クライミングの看板を見たけど、どう?体を動かして気分転換できる所がいいわねえ。趣味みたいなのがあるといいと思うの。お母さんは仕事があるからあんまり早くは帰れないからね」。
えーー、ここらは一応都会なのに、塾じゃなくて趣味なわけ?と思ってしまいましたが、寡黙でしたが賢そうな顔をした子でしたので、家庭学習で十分かもしれません。
あんまり話に割って入るのも変なので黙って聞いていましたが、時々お母さんの話に同意の意思表示に頷いていました。
ご家族は20分弱で電車を降りられました。降りる時なぜか親子揃って何度もお辞儀をされたので、私も「席をありがとうございました。これからいろいろ楽しみですね」と声をかけました。そうしたら、無言だったお父さん(私の右隣に座っていました)まで頭を下げて降りられたので少しびっくりしました。まあ、全員気持ちよい時間が過ごせたようだったのでいいんですけど。

松葉杖で街を歩いていると、普通に歩いていたらあり得ないだろう人との触れ合いがよく起きます。席を譲ってもらったり、荷物を持ってもらったり、何気ない気遣いの声をかけてもらったり、丁寧に道を教えてもらったり、場合によってはわかりやすい所まで案内して下さったり、などです。
都会の人は冷たいなどという声を聞きますけれど、私の経験上では、田舎の人より都会の人の方が親切です。スマートに親切。悪目立ちを避けようとしているのがよく伝わってきます。例えば乗り物で席を譲りたいと思っても、今自分が席を譲ると譲らなかった人達が気まずい思いをしそうだと感じると行動に移さない、など。すごい例では、降りますからどうぞと席を譲っておいて、見ていたら一旦降りて、隣の車両にまた乗ったご婦人がいました。すごすぎます。
とにかく、とても自然を装ってタイミングよく行動するのが都会の人。
これに比べると、田舎の人は、他人があまり目に入らず、自分の思いで行動する傾向があるように感じます。こちらももちろん善意ですが。

このブログは、トヨペットの待ち時間に鉛筆書きで下書きしておいたものを打っています。なんとなく手で書きたい気分だったのでそうしました。手書きだとたまに漢字が出てこないのが困りますが、長年文章というのは手で書くものでしたので、キーボードで書くよりスムーズに頭に浮かんだことを文章化できるんです。でも書いたものを後から直すというステップは、パソコンの方がずっと早い。部分直しですみますから。
ま、両方使えばいいだけの話で、悩んだり迷ったりする次元の話じゃないですね。