人間は60年ひとまわりして

子どもに返る...と言われますが、

 

なんだか本当にそうみたい。

 

 

 

2年前に還暦を迎えた私。

 

ほぼ記憶の彼方に追いやっていたことを、

 

「そういえばそうだった!」と色々思い出して分析しています。

 

 

今日はそのひとつめ。

 

私、幼稚園から小学校一年まで教室で話すことができませんでした。

 

 

 

「おとなしい無口な子ども」というジャンルの中にいましたが、

明らかな場面緘黙児(ばめんかんもくじ)でした。(と、今の私がコメント)

 

 

 

そんな私が変わったきかっけは

 

「右斜め向かいの席に座っていた佐藤さんの笑顔」

 

 

 

子ども時代の話、しばしお付き合いください。

 

 

 

幼稚園で話せなくなったわけ

 

 

入園して数日目のことだったかと。

 

 

おやつ初日、

 

先生の合図「いただきます!」の前にコップに手が出る私。
 

 

そこをすかさず

「せんせい!もう食べている人がいます!」と、

正面にいた男児くんが手をあげて報告しました。

 

 

一斉に集まる子どもの視線に凍り付く私。

 

時が止まりました。

 

 

 

先生は私の方をみて、

 

やさしく何か言ってくれていましたが言葉が耳に入りませんでした。

 

 

 

 

喉の筋肉が締められたような、舌のつけねもこわばって

何より胸のあたりには重い蓋をかぶせられた感覚。

 

 

たとえるならそんな感じです。

 

 

そのときから、

 

教室で声がでなくなりました。

 

 

今思えばね、こんな風景園児の日常あるある案件でしょ?

 

 

でも当時の私にはキャパオーバーだったんでしょうね。

 

 

怖かったです。

 

 

ひとりっ子で引っ越してきたばかり

 

それまで周囲に同じくらいの子どもとの交流がなかった

 

というのも影響していると「今の私」は分析しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

話せなかったとはいえ、園での生活にはさほど困ることもなく

 

「首」の動きとうすら笑いで乗り切りました。

 

先生的にもただの「恥ずかしがり屋で無口な子」そんな印象だったんじゃないかな。

 

 

 

 

帰り道が一緒だったあーちゃんとは普通に話したり遊んだりもできていたし、

他の園児さんとも園庭で遊ぶだけなら全然大丈夫でした。

 

 

近所のお兄さんお姉さんとは普通にお話できたし、たくさん遊んでもらってました。

 

 

なので、母はわたしが園で「話すコトができない」ってこと知らなかったと思います。

 

その理由は、

彼女からこの件で怒られたことがないから。

 

 

母は自分の考えに反する言動に対して「手と口」が頻繁に出る人でしたので、本当に知らなかったのだと思います。

 

 

家の方が恐怖でしたが慣れですかね?家で話すことはできてました。

 

 

園での生活や日常生活のストレス、当時はそんな感覚はありませんでしたがカラダにはサインがたくさんでていて、喘息と自家中毒でしょっちゅうお休みしていましたっけ。

 

 

 

 

月日は過ぎ、小学校受験を経て幼稚園のみんなとは別の学校へ通うことになりました。

 

(ちなみに入試面接もうなずきだけで通した←もちろん母にはこっぴどく怒られた)

 

 

 

 

 
小学校での出会い

 

 

小学校に入学。

 

制服をきてランドセルをしょっての電車通学、教室にはたくさんの生徒!

 

 

室内の圧迫感は半端なかったけれど...

先生やクラスメートのこと、とても好きになれました。



とはいえ、授業中発表などできるわけもなく。

休み時間もほぼ固まった状態で着席したまま本を読んで過ごしていました。

 

 

「頭がかゆいなー」と思ってもかけません。

「頭をかく私」をみられるのが嫌で手を上に上げられないんですよ。

 

 

もちろんトイレもいけなかったです。

 

それだけ人目が怖かった。(電車は大丈夫)

 

 

園での生活と違い、

入学後は「話せない自分」「固まる自分」にちょと困ったな、と感じ始めました。

 

 

幸い、当時の担任の高井先生は私の性質をサクッと見抜いてスマートな配慮をしてくれていました。(これは後日改めて語りたい)

 

 

感謝しかないですね....

 

 

 

 

 

 

学校は楽しかったけどしんどかった。

 

 

そんな

「体温のある置物状態」の私が変わるきっかけになったのが

 

 

佐藤さんです。

 

 

 

あるとき席替えがあって右斜め前に女の子が座りました。

 

 

明るくて、くったくがなくて元気いっぱい、みているだけで笑顔になれるような子。

 

 

 

それが佐藤さん。(下の名前わすれちゃった。ひらがな3文字のはず)

 

 

制服のブラウスもスカートからはみだしちゃったり、靴下もひんまがったりと

その自由さがまぶしかった(笑

 

 

私は彼女の笑顔をみるだけで毎日Happyな気分になれました。

 

 

 

 

 

 

そんなある日のことです。

 

 

先生の質問にみんなが一斉に

 

「ハイハイハイ!!!」と手を上げるといういつもの風景。

 

私はぼんやりとその光景を眺めていました。

 

 

 

何個目かの質問で

 

右斜め前の佐藤さんがぱっと笑顔で私のほうに振りむいたんです。

 

 

目が合った瞬間に

 

彼女が「ハイ!ハイ!ハイ!」と手を挙げたんですよ。

 

 

するとね、

 

その笑顔につられて

 

私初めて手を挙げられたんです。

 

 

一瞬の出来事でした。

 

 

 

その時以来、学校で自分を全開放できるようになりまして....

 

もちろん話も徐々にできるようになりました。

 

 

 

佐藤さんと私は妙に気が合い、

休み時間が終わっても教室に戻らないで遊び続けるという二人組になりました。(極端...)

 

 

←この極端も東洋医学でいうと納得の説明ができるのです。(これも後日語りたい)

 

 

 

 

 

 

 

1年後佐藤さんは転校、私も父の転勤にともない別の学校へ移りました。

 

 

 

 

本人にそんなつもりはなかったと思いますが、私にとってキーパーソンの一人。

 

 

彼女との出会いがなかったら、

 

諸々の症状はもっと長く深いものになっていたと思います。

 

 

 

 

今、どうしているのかな。

 

あのときの佐藤さんの笑顔はことあるごとに思い出されます。

 

 

 
カラダの取り扱い方を知ると...

 

 

はい、私の子ども時代の話にお付き合い頂きありがとうございました。

 

 

なぜこの内容を書こうと思ったか。

 

それは、

 

自分を理解=自分の取説を知ると

 

生きていくのが楽になる

 

ということを日々感じるからです。

 

 

 

 

幼児期にでていた私の症状は「不安障害の一種」

不安になりやすい体質×ちょっとしたきっかけ

 

で発症したもの。

 

 

子どもの頃はまだ脳が発達途中なので(特に前頭葉)

感情のコントロールもうまくいきません。

 

 

私の場合は「恐怖が増強されたタイプ」と考えられます。

 

 

 

 

 

 

これも今だから理解できること。

 

 

同じお困りの症状をお持ちの方に

 

どうしたらその

 

不安になりがちな脳をうまくコントロールできるかについて

 

 

知って頂きたいなと思い書いたブログがこちら。

 

 

右矢印場面緘黙~こころが生まれる場所としての脳とカラダの関係

右矢印場面緘黙~固まるこころとカラダへ東洋医学でアプローチ
右矢印場面緘黙~固まるこころとカラダに触覚からアプローチ

右矢印場面緘黙~運動あそびでアプローチ

 

 

 

 

今日のブログ、

 

こうした傾向のない方には「???」でしたね。

 

 

でもね、同じようなことで悩む子どもたちが(大人も)ある一定数いるんです。

 

 

 

 

 

 

私たちのような存在。

 

 

知って頂けるだけで嬉しいです。

 

 

 

 
 
 

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