「来週の土曜日あけといてほしいんだ。」
そんなメールをしたのがちょうど一週間前。
もう予定が入ってしまってるかも、
そうじゃなくても断られるかも、と不安になったけど
「それって何日?」
とすぐさま返事があったことに安堵したと同時に笑みがこぼれた。
あえて日にちは言わなかったのにな―と思いつつ、
その意図が読み取られないよう細心の注意をはらって返信した。
「(笑)いいよ。」
文の最初の(笑)はきっと、私の意図に気付いたということだろう。
来週の土曜日…つまり今日、彼は24歳になる。
私はどうしても、その日をお祝いしたかった。
数か月ぶりに会う私を見て、少しでも「変わった」と思ってほしくて、
1か月前からダイエットもしていた。
その頃から入念に計画を練っていた。
正直に言えば、先々週友達の誕生日を同じ場所でお祝いしたのも、
彼と過ごす今日の下見がしたかったからだ。
とにかく、私は今日にかけていた。
半年前、私に愛想を尽かした彼に、もう一度私を愛してもらいたかった。
待ち合わせより少し早く駅に着いた。
鏡で付けまつげが浮いてないかを確認して、
風で乱れた髪を整えていると、携帯が鳴った。
「もう少しでつくよ。」
その文字に、心臓がドクン、と跳ねる。
そして一度跳ねた心臓は、どんどんと大きくなり、体丸ごと心臓が侵食したのではと錯覚するほどの大暴れを始めた。
久々に会える嬉しさと、緊張と、不安とときめきと。
とにかくいろんな感情が混ざり合って、立っているのも困難だった。
でも必死に脚に力を入れて、顔は笑顔を作る。
改札からどっと人が流れ出てくる。
端から端までゆっくりと確認し、折り返し、もう一度折り返す。
そして、私の心臓は更に大きな音を立てた。
手を顔の高さまであげると、彼も私に気付き手を振る。
「…久しぶり。」
彼が目の前まで来た時どうにか絞り出した一言が、思いのほか普通だったことに安心する。
「久しぶりだね。」とにっこり笑う彼に、半年前となんら変わらない笑顔に、
私の緊張はいとも簡単にほどけた。
「今日はね、もうお店決めてあるんだ。」
「へー。どこに連れっててくれるの?」
いつもデートコースは彼任せだったからか、彼は意外な顔をしている。
「えへへ。行こっか。」
行先は告げないで、私は歩き出す。
「元気だった?」
「うん、変わらずだよ。由佳はちょっと痩せた?」
「そーなの。ちょっと頑張ってみた。」
さらっと答えたけど、本当は嬉しくて仕方ない。
気付いてくれた。ただそれだけでよかった。
お互いの近状なんかを報告し合いながら、街を歩いた。
人通りの多い道は縦になって。
大通りからわき道にそれてからは、並んで歩いた。
顔を見上げると、彼もそれに気付いてこちらを見てくれる。
にこっと、あの頃と変わらない笑顔を向けてくれると、
あの頃―私と彼が「私たち」だった頃―に戻った気になる。
それでもあれから時が経った事も、もう「私たち」には戻れない事も、しっかりと分かっている。
手を伸ばせば容易に繋げる距離にいるのに、彼はもちろん私もそうすることはない。
たった数十センチ、されど数十センチ。
それが私と彼の、今の距離だ。
別れてしまってから離れてしまった距離を、私は必死に縮めてきた。
何度もメールを送り、半ばストーカーのようだった私に
彼も根負けしたのか、彼なりの優しさなのか、本意は分からないけどとにかく
「友達としてならいいよ。」
と返信してくれた。
気持ちを隠していれば側にいられるのなら、そうするしかなかった。
私にはそれで充分だった。
「あ、ここだよ。」
ナチュラルなオレンジ色の光が漏れるダイニングバー。
ドアには薄いグリーンと、紫陽花をつかったリースがかけられている。
「お洒落な所だねぇ。こういうとこ好き。」
彼の嬉しそうな反応を確認して、お店に入る。
お店の中のテーブルも椅子も、木を基調に作られている。
あちこちに飾られている観葉植物に合わせて、お店の人のエプロンも緑だ。
「へー。こんなところよく見つけたね。」
「うん、大くんこういうの好きかなって思って。」
私は得意げにしてみたけど、本当はとても不安だった。
気に入ってくれるお店を探したつもりでも、はずれていたらどうしようと思っていた。
でも、嬉しそうな彼を見てその分とても安心した。
彼の笑顔を見れる事が嬉しくて仕方ない。
料理を食べ終え、お酒もいい感じに入った頃、彼がトイレの為に席を立つ。
私はすかさず店員さんを呼んで、「お願いします。」と告げた。
店員さんが笑顔で会釈し、キッチンに戻っていく。
さっと鏡で化粧崩れを確認した。
入念にした化粧はちょっとアブラが浮いているだけで、ハンカチで押さえるだけで平気だった。
彼が戻ってくる。
気付かれないように店員に目くばせすると、お店の照明が消える。
そして店員さんが「ハッピーバースディ」の歌を歌い始めた。
彼は他人事のように、飲みかけのグラスに口をつけている。
ローソクの揺れる炎がこちらに向かってきていることにも気づいていなかった。
「お誕生日、おめでとうございます。」
満面の笑みの店員さんが、彼の前にケーキを置くと、
店員さんとケーキと、そして私とを何度も目線が行ったり来たりしていた。
そんな彼を見て、私は嬉しくてつい、微笑んでしまう。
すると彼もようやく笑い、ローソクに息を吹きかけた。
それと同時に店内にいた数人のお客さんと、店員さんが拍手をしてくれた。
パーン、とクラッカーまで鳴らしてくれ、微かな火薬のにおいと、カラフルな紙吹雪が舞った。
「まさかここまでしてくれるとは思わなかったよー。
なんか恥ずかしいね。」
言葉通り恥ずかしそうにはにかむ彼に、私の胸はぎゅうぎゅうと締めつけられる。
「えへへ。びっくりしたでしょ?おめでとう。」
「ありがとう。」
さらっと交わした言葉だったけど、涙が出そうになる。
こんなにも愛しさの籠った「おめでとう」を言った事も、
こんなにも「ありがとう」という言葉に喜びを感じた事も、今までなかった。
あぁ、私は本当にこの人が大好きなんだ。
鼻の奥に感じる苦しさが、私にそれを教えてくれている。
「じゃぁ、もう一回乾杯ってことで。」
店員さんがサービスで持ってきてくれたドリンクで乾杯をして、
ケーキも2人で分け合って食べた。
***
「はぁー。本当びっくりしたよー。」
お店を出て駅へ向かいながら、彼がつぶやく。
もう少しで駅に着いてしまう。
こんなときだけ信号は全部青で、一秒でも多く一緒にいたいという思いは、簡単に打ち破られる。
「あれ?送ってくれるの?」
右に行けば駅、左に行けば私の家方面という道で何も言わず右に曲がろうとすると、彼に尋ねられた。
「迷惑じゃなければ。」
そういうのが精いっぱいだった。
あと少し。ほんの少しでいいから一緒にいたい。
そう思ってるのはやっぱり私だけなのだろう。彼の目が見れず、思わずうつむいてしまう。
「じゃぁ送ってもらおうかなー。」
私の不安とは裏腹に頭の上から呑気な声が聞こえ、はっとして顔をあげた。
そこには笑顔の彼がいて、今日何度目かの涙が溢れそうになるのを堪えなければならなかった。
2人で暗くなった駅ビルの横を歩く。
それでもまだ、数十センチ。すぐそこにあるのに遥か遠い。
その手を握りたい、そう強く思った。
言ってしまえばもう二度と、この距離には戻れない。
だけど友達でいいなんてそんなのは嘘だ。
こんなにも愛しいと心が叫んでいるのに、友達でなんていられるわけがない。
言ってしまおう。
そう思って息を吸う。
「今日はありがとう。楽しかったよ。」
だけど先に口を開いたのは彼だった。
「どういたしまして。私も楽しかった。」
吸った息を全て、その言葉に費やしてしまった。
そして彼は手を振って、改札をくぐっていく。
彼が一度振り返って手を振ってくれ、私もそれに応える。
小さくなっている背中を見つめながら、私の視界はぼやけていく。
――“ありがとう”なんて。
“楽しかったよ”なんて。
そんなこと言われたら、用意した言葉飲み込むしかなかった。
大好きで大好きで、「友達」なんて距離壊してしまいたかった。
だけど、そしてしまうには彼の隣は温か過ぎた。
こんなにもはっきりと強く強く愛しいと思うのに伝える事が怖かった。
この温かさを失うなんて出来なくて、言わないままで失恋する道を選ぶしかなかった。
溢れそうになる涙を流してしまうことすら出来なくて
生意気なくらい顎を上げて、私は歩き始める。
思い出は綺麗なままポケットに仕舞って。
いつか彼にも聞こえるくらい大きな声で歌おう。
“愛していた、よ。”
そんなメールをしたのがちょうど一週間前。
もう予定が入ってしまってるかも、
そうじゃなくても断られるかも、と不安になったけど
「それって何日?」
とすぐさま返事があったことに安堵したと同時に笑みがこぼれた。
あえて日にちは言わなかったのにな―と思いつつ、
その意図が読み取られないよう細心の注意をはらって返信した。
「(笑)いいよ。」
文の最初の(笑)はきっと、私の意図に気付いたということだろう。
来週の土曜日…つまり今日、彼は24歳になる。
私はどうしても、その日をお祝いしたかった。
数か月ぶりに会う私を見て、少しでも「変わった」と思ってほしくて、
1か月前からダイエットもしていた。
その頃から入念に計画を練っていた。
正直に言えば、先々週友達の誕生日を同じ場所でお祝いしたのも、
彼と過ごす今日の下見がしたかったからだ。
とにかく、私は今日にかけていた。
半年前、私に愛想を尽かした彼に、もう一度私を愛してもらいたかった。
待ち合わせより少し早く駅に着いた。
鏡で付けまつげが浮いてないかを確認して、
風で乱れた髪を整えていると、携帯が鳴った。
「もう少しでつくよ。」
その文字に、心臓がドクン、と跳ねる。
そして一度跳ねた心臓は、どんどんと大きくなり、体丸ごと心臓が侵食したのではと錯覚するほどの大暴れを始めた。
久々に会える嬉しさと、緊張と、不安とときめきと。
とにかくいろんな感情が混ざり合って、立っているのも困難だった。
でも必死に脚に力を入れて、顔は笑顔を作る。
改札からどっと人が流れ出てくる。
端から端までゆっくりと確認し、折り返し、もう一度折り返す。
そして、私の心臓は更に大きな音を立てた。
手を顔の高さまであげると、彼も私に気付き手を振る。
「…久しぶり。」
彼が目の前まで来た時どうにか絞り出した一言が、思いのほか普通だったことに安心する。
「久しぶりだね。」とにっこり笑う彼に、半年前となんら変わらない笑顔に、
私の緊張はいとも簡単にほどけた。
「今日はね、もうお店決めてあるんだ。」
「へー。どこに連れっててくれるの?」
いつもデートコースは彼任せだったからか、彼は意外な顔をしている。
「えへへ。行こっか。」
行先は告げないで、私は歩き出す。
「元気だった?」
「うん、変わらずだよ。由佳はちょっと痩せた?」
「そーなの。ちょっと頑張ってみた。」
さらっと答えたけど、本当は嬉しくて仕方ない。
気付いてくれた。ただそれだけでよかった。
お互いの近状なんかを報告し合いながら、街を歩いた。
人通りの多い道は縦になって。
大通りからわき道にそれてからは、並んで歩いた。
顔を見上げると、彼もそれに気付いてこちらを見てくれる。
にこっと、あの頃と変わらない笑顔を向けてくれると、
あの頃―私と彼が「私たち」だった頃―に戻った気になる。
それでもあれから時が経った事も、もう「私たち」には戻れない事も、しっかりと分かっている。
手を伸ばせば容易に繋げる距離にいるのに、彼はもちろん私もそうすることはない。
たった数十センチ、されど数十センチ。
それが私と彼の、今の距離だ。
別れてしまってから離れてしまった距離を、私は必死に縮めてきた。
何度もメールを送り、半ばストーカーのようだった私に
彼も根負けしたのか、彼なりの優しさなのか、本意は分からないけどとにかく
「友達としてならいいよ。」
と返信してくれた。
気持ちを隠していれば側にいられるのなら、そうするしかなかった。
私にはそれで充分だった。
「あ、ここだよ。」
ナチュラルなオレンジ色の光が漏れるダイニングバー。
ドアには薄いグリーンと、紫陽花をつかったリースがかけられている。
「お洒落な所だねぇ。こういうとこ好き。」
彼の嬉しそうな反応を確認して、お店に入る。
お店の中のテーブルも椅子も、木を基調に作られている。
あちこちに飾られている観葉植物に合わせて、お店の人のエプロンも緑だ。
「へー。こんなところよく見つけたね。」
「うん、大くんこういうの好きかなって思って。」
私は得意げにしてみたけど、本当はとても不安だった。
気に入ってくれるお店を探したつもりでも、はずれていたらどうしようと思っていた。
でも、嬉しそうな彼を見てその分とても安心した。
彼の笑顔を見れる事が嬉しくて仕方ない。
料理を食べ終え、お酒もいい感じに入った頃、彼がトイレの為に席を立つ。
私はすかさず店員さんを呼んで、「お願いします。」と告げた。
店員さんが笑顔で会釈し、キッチンに戻っていく。
さっと鏡で化粧崩れを確認した。
入念にした化粧はちょっとアブラが浮いているだけで、ハンカチで押さえるだけで平気だった。
彼が戻ってくる。
気付かれないように店員に目くばせすると、お店の照明が消える。
そして店員さんが「ハッピーバースディ」の歌を歌い始めた。
彼は他人事のように、飲みかけのグラスに口をつけている。
ローソクの揺れる炎がこちらに向かってきていることにも気づいていなかった。
「お誕生日、おめでとうございます。」
満面の笑みの店員さんが、彼の前にケーキを置くと、
店員さんとケーキと、そして私とを何度も目線が行ったり来たりしていた。
そんな彼を見て、私は嬉しくてつい、微笑んでしまう。
すると彼もようやく笑い、ローソクに息を吹きかけた。
それと同時に店内にいた数人のお客さんと、店員さんが拍手をしてくれた。
パーン、とクラッカーまで鳴らしてくれ、微かな火薬のにおいと、カラフルな紙吹雪が舞った。
「まさかここまでしてくれるとは思わなかったよー。
なんか恥ずかしいね。」
言葉通り恥ずかしそうにはにかむ彼に、私の胸はぎゅうぎゅうと締めつけられる。
「えへへ。びっくりしたでしょ?おめでとう。」
「ありがとう。」
さらっと交わした言葉だったけど、涙が出そうになる。
こんなにも愛しさの籠った「おめでとう」を言った事も、
こんなにも「ありがとう」という言葉に喜びを感じた事も、今までなかった。
あぁ、私は本当にこの人が大好きなんだ。
鼻の奥に感じる苦しさが、私にそれを教えてくれている。
「じゃぁ、もう一回乾杯ってことで。」
店員さんがサービスで持ってきてくれたドリンクで乾杯をして、
ケーキも2人で分け合って食べた。
***
「はぁー。本当びっくりしたよー。」
お店を出て駅へ向かいながら、彼がつぶやく。
もう少しで駅に着いてしまう。
こんなときだけ信号は全部青で、一秒でも多く一緒にいたいという思いは、簡単に打ち破られる。
「あれ?送ってくれるの?」
右に行けば駅、左に行けば私の家方面という道で何も言わず右に曲がろうとすると、彼に尋ねられた。
「迷惑じゃなければ。」
そういうのが精いっぱいだった。
あと少し。ほんの少しでいいから一緒にいたい。
そう思ってるのはやっぱり私だけなのだろう。彼の目が見れず、思わずうつむいてしまう。
「じゃぁ送ってもらおうかなー。」
私の不安とは裏腹に頭の上から呑気な声が聞こえ、はっとして顔をあげた。
そこには笑顔の彼がいて、今日何度目かの涙が溢れそうになるのを堪えなければならなかった。
2人で暗くなった駅ビルの横を歩く。
それでもまだ、数十センチ。すぐそこにあるのに遥か遠い。
その手を握りたい、そう強く思った。
言ってしまえばもう二度と、この距離には戻れない。
だけど友達でいいなんてそんなのは嘘だ。
こんなにも愛しいと心が叫んでいるのに、友達でなんていられるわけがない。
言ってしまおう。
そう思って息を吸う。
「今日はありがとう。楽しかったよ。」
だけど先に口を開いたのは彼だった。
「どういたしまして。私も楽しかった。」
吸った息を全て、その言葉に費やしてしまった。
そして彼は手を振って、改札をくぐっていく。
彼が一度振り返って手を振ってくれ、私もそれに応える。
小さくなっている背中を見つめながら、私の視界はぼやけていく。
――“ありがとう”なんて。
“楽しかったよ”なんて。
そんなこと言われたら、用意した言葉飲み込むしかなかった。
大好きで大好きで、「友達」なんて距離壊してしまいたかった。
だけど、そしてしまうには彼の隣は温か過ぎた。
こんなにもはっきりと強く強く愛しいと思うのに伝える事が怖かった。
この温かさを失うなんて出来なくて、言わないままで失恋する道を選ぶしかなかった。
溢れそうになる涙を流してしまうことすら出来なくて
生意気なくらい顎を上げて、私は歩き始める。
思い出は綺麗なままポケットに仕舞って。
いつか彼にも聞こえるくらい大きな声で歌おう。
“愛していた、よ。”