僕はずっと君を見てきた。
君の一番近くで君を見守ってきたんだ。
例え報われなくても。
それが僕の弱さであり、意地だった。

あれは確か高2の11月だったか―
放課後、僕は教室に忘れ物を取りに行った。
オレンジ色の光りが差し込む校舎は、昼間の騒がしさなど忘れてしまうくらいに静まり返っていた。
部活の声もとても遠いところにあり、僕は少し寂しい気分になった。
とっとと忘れ物を取って帰ろう、そう思い教室のドアを勢いよく開けた。

ガラガラガラ――

瞬間、僕は立ち尽くした。
席に座り肩を震わす君がいたんだ。
声をかけようか、静かに部屋を出ていこうか、迷ったまま動けなかった。
あの頃の僕らは挨拶程度でほとんど話したこともなかったからね。
先に口を動かしたのは、顔をあげて僕に気付いた君だった。

『武田クン…。なんかごめん。』
真っ赤に泣き腫らした目で恥ずかしそうに微笑む君はとても綺麗だった。
「いや…別に…」
思わず緊張してしまった僕は、気の利いた言葉も言えずに立ち尽くしたままだ。

「武田クン何で教室に?」

『あぁ…忘れ物取り来た。』
そんな目的は、すっかり忘れていた。今はただこの子のそばにいたいとそう思った。

『宮沢は?』
「うん…失恋。かな。」
苦笑する君の顔はまた泣き出してしまいそうだった。
『あのさ、俺でよければ。話…聞くよ?』
かなり大胆な申し出だった。君は突然過ぎるその申し出に驚いていた。
『いや…ほら…あんまり話さない相手だからこそ…言いやすいときもあるじゃん?』
慌ててそれらしいことを言い足した。
君は下を向いてしまった。
失敗だった、あまりにもいきなりだっただろうか。面白半分だと思われたかもしれない。
そう思い、机から忘れたノートを取り出した瞬間、君は顔をあげた。
『私ね、小林先生が好きなの。』

「うん…」

意外だった。小林先生はその年赴任してきた、新卒の化学の先生だ。若いが、無頓着に髭を伸ばし、爽やかな感じはなかった。
たまに見せる笑顔は確かに無邪気で、男の僕でもおぉ、と思うところはあったし、女子生徒数人がファンクラブを立ち上げたと聞いたこともある。
だが、君はそんな女子のように先生に馴れ馴れしく絡む風ではなかったし、ミーハーなクラスの女子とは少し違うと思っていた。


『私、兄を中学の時に亡くしてて。大好きだったからすごく哀しかった。
小林先生は兄の高校の時の友達なの。それ知ってから小林先生とはよく兄の話しをするようになって。
最初は兄を知ってる人と話せるのが嬉しかったんだけど。
いつの間にか好きになってたみたい。』
よくある話だよね、と君はまた笑った。

「告白、したの?」
僕の問いに君は首を振る。
『小林先生、彼女がいるんだって。』
我慢していた涙は再び溢れ出した。
僕は君の隣に座って頭を撫でてやるしか出来なかった。


―それからずっと僕は君の恋を見守って来た。
慰めたり話を聞いたり、それは少しも面倒ではなく、むしろ進んでそうしてやりたかった。
他の誰でもなく、僕を頼ってほしかった。
報われない恋をしている君を可哀相に思いながらも、ずっとそのまま小林先生を好きでいてほしかった。

高校を卒業して4年、君は短大を卒業し保育士になった。
会う頻度は減ったが、それでもたまに飲みに行ったりしていた。
小林先生の話は、段々と減り、いつの間にか一切しなくなった。
僕が4大を出たのをきっかけに、お互い予定が合わなくなり、ぱったり会うこともなくなった。

そして今年の秋、急に君から連絡があった。

待ち合わせの喫茶店に、ちょうど買ったばかりのシャツを着て向かうと、君はもう座っていた。

隣には僕の知らない男…。
『結婚するの。武田クンに1番に話したくて。』

一通り挨拶を終えると君は幸せそうにそう告げた。

「いつも亜由美から武田サンの話聞いてました。」
早川サン、と紹介された君の婚約者は綺麗な白い歯で笑った。
小林先生に似てるな、ふとそう思った。

3人で色々な話をして、―いや、2人が幸せそうに話すのに相槌を打ち、1時間ほど過ごし喫茶店を出た。
2人と別れて空を見ると、あの日のような夕焼けが見えた。

君を一番近くで見守っていた。
例え報われなくても。

だけど本当は望んでいた。
君が僕を愛してくれることを。
一番近くにいたらいつかそうなるだろうと。
なんて傲慢なんだろう。

これからは幸せになってほしいと思う。
だけど、もし早川サンとうまくいかないことがあったら真っ先に連絡しておいで。
いつだって飛んでって、あの日のように頭を撫でながら話を聞くよ。

僕の初恋は、長い長い片思いは、まだ終わりが見えそうにない。



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白いテーブルを挟んで向かいに座るマサヨシが哀しそうな目をしながら静かに言った。

「僕は君の一番にはなれないから。」

それは、2年前の私の言葉だった。
「あなたは私の一番にはなれないよ。」
君は私のその拒絶の言葉を
「それでもいいから、そばにいたいんだ。」
なんて、自分で言うには顔から火が出そうな言葉で覆い隠した。
高校時代から付き合ってたツトムが事故で死んで2か月が経った頃だった。

その頃の私は毎日ほとんどご飯も食べれないで、バイトもやめて家に引きこもっていた。
このまま死んでしまえればいいと、心のどこかで思っていた。
いつかツトムとの結婚式に使うはずだった貯金が、私を生かす為に少しずつ減っていた。

最初の2週間は親も友達も心配して、毎日誰かしらが家に来た。
皆優しかった。
だけど優しくされればされるほど哀しかった。
腫れ物に触るみたいな、ほとんどの成分が憐みで出来た優しさは、ツトムのいない事実をより明確にさせた。

「無理しなくても、ゆっくり元気になれば大丈夫だから。」
皆が口々に言う励ましの言葉は、
「死んだ人は戻らないんだから。あなたは生きてるんだから。」
って言われてるようだった。

だけど突然泣きだしては何時間も泣き続ける私に付き合うのが疲れたのか、
徐々にみんなそれぞれの生活に戻っていった。
人が来るペースは3日に1回になって10日に1回になって月に1回になった。

マサヨシだけは毎日顔を見せに来た。
食べたくないというのにコンビニのパンを毎日買ってきた。
「これならいつまででも食べられるから」と、カップラーメンを買ってくることもあった。

そしてツトムの四十九日から2週間後くらいにマサヨシは、私の事が好きだと言った。

それからマサヨシはいつも私のそばにいた。
毎日家に通っては食べ物を置いて行ったり漫画を置いて行ったりした。
家からほとんど出ない私に、外の様子をあれこれと話してくれたりもした。
私も少しずつ、嫌だと思う気持ちとは裏腹に、ツトムのいない生活に慣れていった。
半年も経てば、マサヨシと同じカフェでバイトも再開した。
今はお互い社会人として別々の場所で働いているけど、休みの日や残業のない日、
やっぱりマサヨシは私に会いに来てくれた。



「君は今も、ツトムさんが好きなんだろ?」

マサヨシの目はまるで、命乞いをする子犬のようだった。
思わずテーブルの上のアイスコーヒーに視線を逃がしてしまった。
水滴がツーっとグラスを伝う。

「…うん。」

この返事に対しての、マサヨシの言葉は想像がつく。

ツトムはもう死んだんだから、忘れろ。とか
じゃあ俺の2年間は何だったんだ。とかそんな事が言いたいんだと思う。
同じ状況なら誰だってきっとそう思う。

だけどマサヨシは全く違う事を口にした。

「君は元々強いんだし、もう、充分一人でも大丈夫だと思う。
だからツトムさんの事を気が済むまで好きでいなよ。
僕は君の一番にはなれなかったから。
君の一番はツトムさんでしかないんでしょ。」

眉毛を下げたまま、口元を引き上げたマサヨシの顔を見ても、
その言葉の本意が、私には汲み取れなかった。
マサヨシはどんな気持ちの時にこんな顔をするのか。
2年間そばにいてくれたのに、私はそんなことすら知らない。

マサヨシが席をたった。
おそらく初めて、私に背を向る。

去っていく背中に、「ありがとう」と「ごめんね」とどちらを伝えるべきなのか。
考えているうちに、マサヨシは一度も振り返らず視界から消えた。
マサヨシという存在が、失意のど真ん中にいた私を救ってくれたのは事実だ。
なのに私は一度も、マサヨシと向き合う事が出来なかった。
お礼さえも言えなかった。

そして私はなおも、ツトムを想ってしまう。
明日はツトムの命日だ。
ツトムの顔を思い出そうとしたけれど
あの優しい笑顔は私の脳内にうまく浮かび上がってくれなかった。

今日初めての涙が、溢れ出した。