更新が一日ずれて今日になってしまいました(><)
5月4日の災害支援報告をアップします。
5月4日は支援チームからみどり幼稚園の先生1名、大学生1名、ドライバー兼肉体労働担当で私も含め2名で気仙沼チームを結成し、午前6時半ごろ石巻のベースキャンプを出発。
海岸沿いの道路が閉鎖されいる可能性を考え、山間を進むことに。
ところが山間も地震による崩落で通行止め。
おかげで農道やら林道やらをひた走り、ようやく国道45号線にたどり着きました。
そして南三陸町を通り、気仙沼へ。
南三陸町は想像を絶する状態でした。
ビルの4階以上の高さがあろうかという高架の上に流された家が乗っかっていました。
鉄筋コンクリートのビルも全てのガラスが割れ、中にガレキが詰まっていました。
ガソリンスタンドに家が突っ込んで止まったままでした。
(南三陸町のようす)
しかし少し道を登ると、まるで何事もなかったかのような田舎の風景が広がります。
そしてまた道を下り、カーブを曲がり、目の前に海が見えるとどこまでも広がる廃墟。
その繰り返しの国道45号をひた走り、気仙沼市本吉町に到着。
登米沢という本当に小さな集落の集会所で葛飾区からの支援チームに合流して活動を開始。
シャンティ国際ボランティアも、こんな小さな公民館にまで来てくれていました。
(詳細が写真入りで載っています。)http://sva.or.jp/eru/tohoku/tohoku201105061237.html#more
(登米沢公民館)
山間のこの地域では、未だに水道が復旧しておらず、自衛隊の給水車が何度も往復してくれていました。
さて、今回のイベント内容は鉛筆のつかみどりゲームと、鉛筆の削りかすからできた粘土を型に入れて作る工作コーナー。
大和市の方々からの支援物資(絵本やおもちゃ、衣類、ゲーム、靴など)はこの登米沢の集落の方々に差し上げました!是非、機会があればこの気仙沼市本吉町登米沢地区を訪れてみて下さい!
(葛飾区議会議員の大高拓さんの支援チーム。彼らは「防災士」という資格を持ったプロです。)
大人も子どももおじいちゃんもおばあちゃんも夢中になって鉛筆の数を競い、工作に取り組み、お昼はお坊さんのチームが作ってくれた炊き出しをいただきました。
9時から2時くらいまでの間の活動でしたが、サルの着ぐるみを着た幼稚園の先生と、ドラえもんの着ぐるみを着た大学生の女の子は子どもたちに大人気!
タコの帽子をかぶった私には誰ひとりツッコミを入れてくれる人がいませんでしたが・・・(笑)
別れ際、子どもたちが名残惜しそうに
「次はいつ来てくれるの?」
「私たちのこと、忘れないでね。」
そういっていつまでも見送ってくれました。
思い出すと涙が出てきます。
必ずまた行かなければ。そう心に誓いつつ、気仙沼を後にしました。
その後石巻のベースキャンプに戻り、午後6時半頃に現地を出発。
帰りは東北道の大渋滞を避け、常磐道からいわき市を通り、午前3時過ぎに帰宅しました。
(石巻のベースキャンプにて)
約50時間の強行軍。
今回の支援活動を通して考えさせられたことは、やはり復興への道のりの、あまりに困難な現実です。
もう無理なんじゃないか。
残念ながら、今回の地域を訪れ、全身でこの状況を見て来られた方なら誰もがそう思ってしまうのではないでしょうか。
でも、何も無くなってしまい、どこまでも廃墟のつづく南三陸町ではボランティアのためにと、建物も何も無くなってしまったガソリンスタンドが国道沿いに点々と営業していました。
段ボールに手書きで
「あきらめないで営業中」
「みんなでがんばろう」
そう書かれた看板を持って、スタンドの店員さんが立っていました。
私たちは決してあきらめてはいけない。
私たちは決して忘れてはいけない。
今回は様々な事情が絡んで、ボーイスカウトの自分の隊のメンバーを連れていくことができませんでした。
しかしその代わりに年齢も性別もバラバラなメンバーで行くことができました。
今回参加したメンバーはそれぞれのコミュニティでこの事を伝えてくれるでしょう。
そして、ますますたくさんの、そしてますます多様な人々が被災地に行き、それぞれの持っている長所を生かして、共に復興を目指してがんばっていけるといいな。そう思いました。
帰り道、みんなで話し合いました。
10年後、今回のメンバー全員でもう一度ここを訪れよう。
そして見事に復興した町で、今日のことを思い出そう。
そのためにも必ずまた近いうちに、復興のために働きに来よう。
必ずそうしましょう!
いっしょに生きよう、明るいみらい!