こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「新撰組屯所跡(明王院不動堂)」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市下京区油小路通塩小路下ル南不動堂町52)




油小路の変発生地
や伊東さんのお墓から


そのまま南に進んだところにあります




ココは、弘法大師空海が作ったといわれる


石造の不動明王像を安置している不動堂です


不動像自体は、井戸の奥底に昔から安置されていて誰も見たことがない、という


なかなかの由緒とミステリアスさを持った京都っぽい史跡です






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、この辺りに新撰組の3番目の屯所があったといわれています




一般的に「新撰組の屯所」というと、壬生が有名ですが、


壬生は一番最初の屯所で、


勢力拡大にともなって西本願寺に移転します




しかし、西本願寺側としては荒くれ者の新撰組の態度に


かなり嫌気がさしていたようで


新撰組が幕府直轄になったのを機会に、


西本願寺が費用などを負担して作られたのが、この3番目の屯所です




まあ、厄介払いされた先がココだった、ということです




でも、他の大名屋敷に負けず劣らずの豪華さだったようで、


幕府の勢力が衰退しまくるまで約半年利用していました




上のちょうちんみたいに「まぼろし」とされているのは、


実は場所があんまりはっきりしないことと利用期間の短さによると思われます




だから、3番目の屯所跡の碑がココも合わせて


3ヶ所あるんですよね~




次回、その次とご紹介していきます






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「近藤勇邸宅跡」です






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市下京区堀川通沿い)






油小路の変発生地
からすぐ西に進んだ辺りの堀川通沿いに


皆さんご存知の新撰組局長・近藤勇の邸宅があったそうです




この場所は、新撰組2番目の屯所・西本願寺や3番目の屯所


(両方とも後日紹介します)


からかなり近く、その時期に住んでいたものと考えられます






・・・朱堂が下調べに使った資料によると、ですが




行っても、碑や案内板などはこれっぽっちも無いですし、


他の資料見ても書いていないという




ウソかホントかどっちだ・・・






でも、油小路の変は伊東さんが近藤さんの愛人の家で


接待された帰りに発生した事件なので、


場所的には邸宅跡でもおかしくはないです






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






しばらくの更新停止、申し訳ありませんでした・・・


ようやく復活です


・・・また止まるかもしれませんが






今回は、京都編


「伊東甲子太郎の墓(本光寺)」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市下京区油小路通木津屋橋上る東側油小路町)






前回の油小路の変発生地
の紹介の時にちょこっと書きましたが、


新撰組と新撰組を脱退した御陵衛士たちの抗争で殺された


御陵衛士リーダー・伊東甲子太郎のお墓です




伊東は一時期、新撰組の参謀となるほどの実力者でしたが、


思想の違いから藤堂平助たちとともに脱退、


御陵衛士を独自に結成して活動していました




この本光寺は油小路の変発生地から南に数十メートル進んだところにあり、


お寺の前には「伊東甲子太郎殉難の碑」が立っています






朱堂が到着した時は、上の写真みたいにガッチリと鍵がかけられていたので、


お寺の正面だけ見て、次の場所に行こうかと思ったんですが




お寺のお向かいにある「理容 シラエ」の店長さんが


朱堂を見て、声をかけてくださいました






お話によると、今までこのお寺はお年寄りのお坊さんが


住職として住んでいらっしゃったのですが、


今年の初めにお亡くなりになり、今は住職さんがいない状態なんだそうです




そのため、店長さんがお寺の鍵を託され、


この場所を訪れてきた人々を案内しています




朱堂が持っている資料には「お寺の中は非公開」と書いてあったのですが、


店長さんは気前良く鍵を開けてくださり、拝見することができました




なので、この史跡を訪れたら、


とりあえずお向かいの床屋さんに声かけてみてください


中も見せてくださるかもです




あ、でも、年末までには新しい住職さんが入るそうなので、


鍵は持ってない可能性もありますその点はご注意を






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


お寺の中に入ると、お地蔵様が




「すり減って顔がなくなっちゃったから、


油性ペンで私が顔描いた」と


店長さんおっしゃっていたけど、いいのか・・・




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、そのお地蔵さんの向かいにあるのが、


伊東さんのお墓です


でも、中身入りではないです


中身入りのお墓は、世間一般に「お墓」として扱われている


戒光寺のほうにあります


(今回、戒光寺には行きませんでしたあしからず




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


お寺の正面の道を見て、店長さんが近所の人々に伝わっている


当時の状況をお話してくださいました




やっぱり・・・もう叫び声と血の赤がすごかったそうです


近所のお宅に負傷した志士が駆け込んだ、という話も






そして最後に、店長さんが集めたという「油小路の変」の関係資料のコピーを


100円で譲ってくださいました


この時「せっかくだから」ということで頂きましたが・・・


・・・よくよく考えたら、ぼったくり・・・


ま、コレを安いとみるか高いとみるかは人それぞれ、ということで






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「油小路の変発生地」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市下京区大黒町)




「油小路の変」が起きたといわれる油小路通と七条通の交差点です




「油小路の変」とは、新撰組と新撰組を脱退した御陵衛士との抗争の1つです


御陵衛士のリーダーである伊東甲子太郎が新撰組に暗殺され、


その遺体が油小路に放置されているという話を聞いた


藤堂平助などのメンバーが遺体を引き取りに向かうも、


待ち伏せた新撰組に全員斬られるという事件です




新撰組を知っている方の中ではかなり有名な事件ですね






朱堂がたまたま持っていた資料に書いてあったので行ってみたのですが、


説明版どころか石碑すらもなく、


地図で推定するしかない場所でした




近くにある甲子太郎さんのお墓と


一緒にされちゃった、ってカンジですね…


(ほんのちょっと離れた場所にあります)




資料に載せるんだったら少しくらい目印ください…






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「伝道院」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市下京区油小路通正面下る玉本町)




伝道院は、建物自体は元々、浄土真宗系の保険会社の建物として


明治末期に建てられたものです


保険会社が移転した後は、浄土真宗の「布教使」という資格を得るための


合宿所になっているようです




まあ…パッと見るとキリスト教の教会に見えなくもないですが、


れっきとした浄土真宗系のお寺なのです




最近まで建物の修理が行われていたようですが、


朱堂が行った頃は終わっていました


てか、修復されすぎて、現代建築に見えてしまう…






以上、朱堂でした