人生の山谷って不思議とありますね。「諸行無常の響きあり」かな、と。 | きままなひととき

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普通に生活していても、不思議と、調子のいい時期、何をしても悪い時期、があり、今ふりかえっても不思議です。

 

その中でも、上向きだった高校2年生からどん底の浪人時代の思い出話です。

私は当時天文部の部長をしていて、マネージャーを同じ部員の下級生の女子に頼んでいました。

夏休みのある日、彼女から電話が自宅にかかってきて、部の会計の集計で教えてほしいことがある、と、彼女の家まで行くことになりました。

母親に玄関であいさつし、彼女の部屋に案内され、彼女の質問に答えました。用事は10分程度で済んだので、帰ろうとしたら、彼女は、

「少し待ってて。」

と私を応接間で待たせて、母親が出してくれた冷たい麦茶を飲んで待っていたら、浴衣姿に着替えメイクした彼女が部屋に入ってきて、

「近くの商店街で夏祭りしてるから、一緒に行きましょ。」

と、ほぼ有無を言わせない笑顔で、腕をつかむ勢いで私を誘うので、一緒に商店街を散歩しました。出店の射的ゲームで彼女ははしゃいだり、出店のりんご飴を買ったりして、彼女は楽しそうにブラブラと2人で歩きました。途中、彼女の知り合いにも会いましたが、彼女は笑顔で応対し、でも、僕の隣をずっとキープしていました。

約1時間後に、彼女の家まで送り、そのあと帰宅しました。

彼女は、上手に口実を作り、最初から夏祭りに私とデートする気満々だったのだな、とわかりました。

 

別の日、天文部は部員有志で徹夜観察会があり、高校の理科塔の屋上に天体望遠鏡のドーム室があり、それを開けて天体を観測します。深夜もずっと起きて朝まで観察しますが、彼女はずっと私の隣をキープして、そばを離れず、ドーム室の壁に寄りかかり、明け方に少し居眠りしていました。周囲に彼女が私に好意があるのはバレバレでした。彼女は平気でした。それくらい彼女は積極的でした。

クリスマスには手編みの毛糸のマフラーもプレゼントしてくれました。

でも、私には他に好きな子がその当時いて、片想い。マネージャーの彼女の好意には応えられず、でも、彼女からはっきりと告白されず、そのまま卒業しました。

私は大学受験で落ちて浪人しました。京都で浪人生活をして、半年後に帰郷し、マネージャーだった彼女に電話しましたが、

「何か用ですか?」

と、一気に他人行儀。私は郷里に久しぶりに帰ったので、近況報告的な雑談や、部がその後どんなふうかを聞きたくて連絡したのですが、彼女の冷淡な態度に驚きました。

彼女は、「部長」だった私に好意をいだいていただけであり、部長でなくなり浪人した私には、何の魅力も感じなくなったのだと悟りました。会う事もなく電話はすぐに終わり、それ以来、音信不通になりました。自分の甘さを悔いました。

しばらくしてのち、同じ部員だった友人から彼女の消息がわかりました。

大学を中退して、日航の国際線のスチュワーデスに合格し、世界を飛び回っている、と聞きました。すごい子だなあ、と思いました。

強い上昇志向、意思のはっきりした積極的な生き方は、そのままなんだな、と、次々と目標を定めて歩んでゆく姿は、強いなあ、と感じ、同時に、自分ではふさわしくなかったとも思いました。

 

モテた高校2年生の部長時代、その後の受験と不合格、浪人時代、と、人生の山谷を経験しました。

元々、ぱっとしない外見の私がモテるわけもないし、その子から好意を寄せられたのは、「部長」への好意だったからであって、私個人への好意ではなかったのだ、部長を引退し浪人した私には何の魅力も感じなかったのだ、と勉強にもなりました。

でも、浪人の身には、彼女の180度違う冷淡な態度は、応えましたね。泣きっ面に蜂、とはこのことかと。みじめな気持ちにもなりました。

 

同じ事を、就職して会社員になり、課長時代にも経験しました。

やはり、人は「課長」の私に笑顔を向けて「好意」を示し、年賀状もたくさんきましたが、課長でなくなった時には、ほとんど離れていきましたし、年賀状も一気に減りました。

課長には「人事評価権限」がありましたので、それへの「好意」だったのでしょうし、仕事の責任者で「決裁権」もあり、仕入先もみんな「笑顔」で私に「好意」を示して接してきました。

でも、その役職から外れたら、ほとんどいなくなりました。利害関係にある仕入先は離れていって当然だと思いましたが、自分としては自分の部下たちに目をかけて査定会議でもその部下をしっかり推して給料のアップや昇進にも力を尽くしたのですが、その部下たちからも音沙汰がなくなりました。深夜まで資料を作り、心を砕き一生懸命になって部下たちの処遇アップに尽力しましたが、なんか徒労に終わった気分もして、むなしい気分も味わいました。あんなに一生懸命に査定会議で頑張らなくても、査定会議に出席だけしておけば疲れなかったのに、とも思いました。

でも、人の心って、こんなものだな、同じだな、とも再度認識し、浪人時代に味わった経験を回想しました。

なので、人からの「好意」には、その裏心を推察できるようになっているかなとも思えます。つまり、カン違いしないように、と自戒しています。そして、

要するに、人生は

「勝者必衰の理をあらわす。」

「諸行無常の響きあり。」

平家物語の一節が、すべてを語っているとも実感しました。昔の人は端的に短い言葉で上手な表現をすると感じ入っています。

 

ただ、いまだに恩義を感じてくれて、毎年年賀状をくれるかつての部下も少し居て、すべてが無駄に終わったのではなかったかな、とも感じれて、それが救いになっています。

 

【平安時代も今も「ヨイショ」は同じ、という例】

 

ではでは。

 

 

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