D.C.F.L (ダ・カーポ ファンダメンタル・ラブ)
第116話「奏人」

時刻はすでに深夜をまわっていた。
本来ならばもうすでに眠っている時間だけれど、
なかなか寝つけなくてただただベッドの中で
時が刻まれていくのをやり過ごしていく。
芳乃先生が言うには彼女が消えてしまったためにその余波で
他の人や物などまでも無くなっていき
最後には何もない完全な”無”に帰してしまう。
それは時間が過ぎれば過ぎるほど
綺麗に放物線を描くよう等比数列的に加速していくらしい。
たぶん俺がこうしてのんびりしている間にも
何かがこの地球上から無くなっているんだろう。
それを元に戻すには消えてしまった彼女を
この世界に連れ戻せばいい。
けれど、その足取りは一向に掴めていない。

芳乃先生は先生のおばあさんが残した文献を読みふけって
何か手掛かりを得ようとしてくれている。
手伝おうとしたが古い文献もあり
俺と朝倉では読むに読めずまかせるしかなかった。
何かしたくても何もできない、
なんだか自分の無力さが歯がゆくて、
腹ただしくて情けなくてしかたがなかった。

それにしても……、
仮に先生の言うとおり
ことりが「消えてしまいたい」と願ったのは何故だろう?
そんな事を考えるなんて自殺願望者の
深層しか思い浮かばない。
よくあるパターンだと学校でのいじめでの苦。
けれど俺と違って人気者で友達も多く
人当りだっていいからそれは考えにくい。
彼女に恨みつらみがある人間なんてとてもいるとは思えないし、
脅されたり脅迫されたりされていることもなかっただろう。
治らない持病で、という線もあるがいたって健康優良児、
特に食事の栄養バランスとか気にしてる娘だったし、
まぁおかげでこっちも風邪ひとつ引かずに過ごしてこれたけど。

となると人に、
俺や友達、まりあママ達にも言えない悩みでも、
不安を抱えていたってことなのか?
自分で言うのも嫌になるが、俺はかなり鈍感な方だ。
ことりが俺に好意をずっと抱いていてくれたのにもかかわらず
自分が彼女の事を好きになるまで全然気がつかなかったぐらいだ。
そんな俺が彼女の真情なんて……、
否、これは言い訳だな。

家族とか恋人とか結局は彼女の表面だけしか見ていなかった、
心の中まで感じ取ってやらなかったってことだ。

彼女が「消えてしまいたい」と思わせてしまうような、
何かそこまで追いつめられるような状況に陥っていたとするならば
その原因を取り除かないといけない。
いけないけどその原因がわからない。

ああっ!
ほんとに分んない。
人の心が簡単に分かればこんな苦労しなくてすむのにな。
それこそ魔法……。

天井に手をかざして見つめてみる。
朝倉が目の前でやってのけてくれた手から和菓子を出す魔法。
手品でもなくその力は現実にあって、
そして芳乃先生は俺にも若干だがそれがあるって言ってた。

仮にそれがあったって、使い方が分らないし
彼女一人救えないんじゃ不要なものだ。

「私、凛くんといられたら幸せだよ。
 だからずっと一緒にいましょうね」

あの言葉がずっと胸の中に鐘の音のように響いてくる。

おばあさまの所を出て一人で母さんを捜す旅に出た時、
ずっと何のために生まれてきたのか?なんて
かっこつけた哲学的みたいなものを考えてきた。
その時は母さんは俺がいらない子だから俺をおばあさまに預けたとか、
だったら始めから生まなきゃいいじゃないかとか、
前世で悪いことをしたからおばあさまにいろいろ強制されているとか、
いろいろ足りない頭でグルグルと考えていた。

白河家に家族として迎えてもらって
母さんと妹と再会して、
友達が出来て
彼女が出来て
そしてようやく分かったのが、
俺はたぶん誰かに愛されて、
誰かを愛したかったんだな~と。
それを教えてくれたのは他ならぬことりだ。

”守る”とか心で誓いながらも結局のところ
俺が彼女の愛情に包まれて守られていたんだ。

だから次こそは、今度こそは
俺が君を……。

………………………………
…………………………
……………………

「凛、起きなさい」
「ん? 母さん?」
目を開くとエプロン姿の母さんが
俺を覗き込むようにして見ていた。
あれ、俺……。
そっか、あれこれ考えているうちに
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「あなたが自分から起きてこないなんてめずらしいわね」
確かに。
朝は割と得意なほうなので人から起こされたことなんて数えるぐらいだ。
体を起こしグーッ!と背伸びをしてみる。
カーテンの隙間からこぼれる朝日がまぶしい。

「美春ちゃんはもう先に出かけたわよ」
今何時だろう?と時計を見ると7時前だった。
美春がこんなにも早く?
風紀委員の集会でもあるんだろうか?

「早くした方がいいわ。 電車に乗り遅れちゃう」
電車?
いえいえお母様、
学校までは徒歩なのですが。

とりあえず部屋を出て洗面所で顔を洗ってからリビングに入る。
テーブルの上にはすでに朝ごはんが準備してあった。
着席してスクランブルエッグに
トマトケチャップをかけて食べ始めると
キッチンから母さんがお弁当を持ってきて俺の横に置きながら
「初音島にも高校があれば、もうちょっとゆっくり出られるのにね」
それを聞いた瞬間思わず喉がつまりそうになった。
母さん何て言った?
初音島に高校があれば?
……まさか?!

俺は朝食をすばやく済ませ、
急いで身支度を整えてバイクに飛び乗って
すぐに家を出た。

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……………………………………
………………………………

うっわ。
だだっ広い空間が目の前に広がっていた。
予想通りというか思ったとおりというか、
風見学園のあった場所はすっかりさら地になっていた。
校舎も体育館もプールも運動場を照らす照明もなにもない。
たった一日でまるで始めから何もなかったように
綺麗さっぱりなくなってしまった。

初音島は島国なので小学校は1校で公立の中学校も1校。
公立や国立の高校はなく電車で本土へ行くしかない。
私立で風見学園が中学である付属と高校である本校があり、
近年の私学人気で本土から逆にやって来る生徒も少なくない。
学びやが一瞬のうちになくなってしまうなんて、
なんて空虚な出来事だろう。
悲しいようなやるせないような、なんとも言えない感情が心の中を渦巻く。

「姫乃!」
息をあげて私服姿の朝倉がこちらにかけてきた。
そう、家を出る前に俺が携帯で呼び寄せていたのだ。
メットを脱いでミラーにかけバイクから降りる。

朝倉は俺の前で立ち止まると両膝に手を添えて
荒れた息を整えた後体を起こし、
「工藤と杉並の、連絡先が消えた!」
な、にっ!
それを聞いて慌ててズボンのポケットから携帯を取り出して
フリップを開きアドレス帳を検索してみたが
朝倉が言ったとおり二人の名前が消えていた。

しばらくお互い言葉を交わさず
この何もない
空しくも風が吹くと砂埃が舞う

携帯が鳴る
液晶には芳乃先生の名前が表示されたので
「はい、姫乃です」
「もしもし、姫りん?
 あのね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。
 姫乃 亮平さんて人、知り合い?!」
先生の口からまさか父さんの名前が出てくるとは思いもしなかった。

「知り合いもなにも、亡くなった父ですけど」
「亡くなった?」
「はい、俺が物心つく前ですけど。 父が何か?」
「おばあちゃんがね、君のお父さんをここに、
 初音島呼んでいたんだよ」
「ええっ!」
先生のおばあちゃんと父さんが知り合いだったなんて、
意外な接点に驚きを隠せなかった。

俺と朝倉は先生の自宅へ伺う事にした。
けれど何故かギターを持ってきてくれと言われたので
朝倉には先に行ってもらい俺は一旦自宅へと戻る。

家に帰ると誰も居なかった。
母さんはもう仕事に出かけたようだ。
よかった。
こんな午前中に帰って来て鉢合わせなんてしたら
さぼったとか疑われるに決まってる。
修ちゃんじゃないんだか……ら。
修ちゃん……。
俺の唯一無二の大切な親友。
ちゃらんぽらんでいいかげんで適当だけれど、
いっつも俺の事考えてくれてて、
まだ何も借りを返していないっていうのに……。

とりあえず動かなきゃ何も解決しない。
ギターのネックを掴みギターケースに入れて
再び外へ出て行った。

…………………………………
……………………………
………………………

芳乃先生の自宅に到着して呼び鈴を押すと、
玄関から出てきたのは朝倉だった。

居間に通されると主である先生は
布団で白い星がちりばめられたうすい青色の生地のパジャマ姿で
上半身だけ起こしていた。
「こんな恰好でごめんね」
「どうしたんですか?」
「ちょっとね」
顔色もなんだか悪いような気がする。
体調でもすぐれないんだろうか?

「これ、君のお父さんからおばあちゃん宛てに届いた手紙」
父さんから?
先生から差し出された一通の茶色い封筒。
宛名は確かに父の名前だった。
住所は初音島、ここになっている。
京都の住所だからまだ母さんと結婚する前の時だろう。

「中を見ても?」
コクリとうなずかれたので中の手紙を取り出す。
手紙は2枚で我が父ながらかなり達筆な字で書かれていた。
朝倉もこちらを覗き込むようにして見てくる。
父さんの手紙を読むと
”いずれ時がくるから備えておいて欲しい”
”自分に何かあったら代わりがいるからその子を助けてやってほしい”
という先生のおばあさんから依頼があったようだ。
そしてこの手紙はその父さんが旨を了承したと書かれている。

しかし、何故父さんと芳乃先生のおばあさんとの間に
接点があったんだろうか?
「お父さんはギターをされていたんだよね?」
「あ、はい」
「姫りん、君のお父さんは奏人(かなでびと)だったんだよ。
 だからおばあちゃんがこっちに呼び寄せたんだ」
「奏人?」
「そう。昔ね、ボクら守人の力に気がついた人間がいたんだ。
 守人を閉じ込めて大桜に願いを叶え続けさせて
 自分の意のままの世界にしようとした人間がいたんだよ」
う~ん、昔から悪い奴はいたんだな。
願いを管理している守人がいなければどんな願いでも叶え放題だもんな。

「でも出来なかった」
「守人はね、自分にもしもの事があった時のためにもう一人
 守人に近い力を持った者を準備していたんだ」
「それが奏人?」
「そう」
常に最悪の状況を想定していたってことか。
やるな、先生のご先祖様。

「奏人自身は魔力は凄く小さいけれど、
 楽器の力でそれを何倍にも増加させて守人と同等の力、ううん。
 それ以上の力を得る事ができたみたい」
ん? 楽器?
思わず手元に置いてある相棒に目が行く。
父さんはギタリストであった。
先生の話に出てくる奏人って人物は楽器の力で魔力が使える。
まさか、
「それが姫乃家ということですか?」
「それは分らないけれど、君達が直系の子孫で間違いないと思うよ」
そういえば昔聞いたことがある。
亡くなったおじい様は津軽三味線の名手でもあったと。
じゃあ先日先生が俺にも魔力ってヤツを感じてたっていうのも
あながち間違えじゃなかったってことか?
思わず自分の両手を拡げて見つめてしまう。

先生は返した封筒を手にして
「そして、この手紙に書いてあった”時”というのはきっと今回の事だよ」
「ボク達のおばあちゃんはね、ボクなんかよりもものすごい魔力の、
 歴代最強の力の持ち主で予知能力もあったみたい。 
 自分の死期もおのずと分っちゃって
 だからアメリカに居たボクを日本に呼び寄せて跡をつがせて
 そしてこうなる事態が分かっていたから君のお父さんも
 ボクのサポートをさせるために呼び寄せたんじゃないかな」
でもそうだと自分の疑問の謎が解けた気がする。

父さんが何故初音島に来た理由がよく分からなかった。
単に跡を継ぎたくない、
おばあさまから逃げたかったらもっと他に、
それこそ外国でもよかったはずだ。
けれど、住んでいる自分がいうのもなんだけど
こんな辺鄙で辺境の土地にわざわざ自ずと来るなんてと、
ずっと疑問に思っていた。

まさかこんな大事な使命があったなんて……。
たぶんおばあ様は知らなかったんだろうな。
いや、仮に知っていたとしてもこんなこと
冗談半分にしか受け取らなかっただろう。

「姫りん、少し演奏してみてくれない?」
楽器を持ってきて欲しいと言われていたので
ケースから相棒を取り出し
アンプも何も繋げていないので純粋な弦だけの音で
軽くLaylaを弾いてみる。
世界三大ギタリスト、エリック=クラプトンの代表曲の一つ。
でも初登場は彼のシングル曲ではなく彼が在籍していたバンド
Derek and the Dominosの曲だった事は意外と知られていない。

「うん。魔力が増幅されてる。 分るよ」
先生は静かに瞳を閉じて演奏を聞き入ってくれていた。

「相変わらず大したもんだな、お前」
朝倉に褒められると背中がこそばゆくなる。

「やはり君が今の”奏人”なんだね」
俺が奏人……。
う~ん、やっぱり実感が湧かない。
魔力とやらの”力”なんて自分で感じないし。
でも、父さんとなんだか繋がってるみたいで、
やらなければ成らなかった事を俺が継承していることが嬉しかった。
茶道宗家を継ぐよりも全然ずっと、こっちの方がいい。

「そういえば先生と朝倉の家と同じく
 母さんの家の近くの桜もまだ枯れてませんでした。
 ”魔力”と何か関係あるんですか?」
杉並がわざわざ地図を広げて桜が枯れてない場所を指摘したのを思い出した。

「うん。 ここはボクやお兄ちゃんがいるからまだ若干魔力の”たまり”があるんだよ。
 姫りんの家の近くも同じなら君の力に反応してるんだろうね」
と、言われてもやはり実感が湧かない。

「それと白河さんの居場所、分ったよ」
「ことりはどこに?!」
朗報に身を乗り出して聞き出そうとしてしまう。
突然消えてしまった彼女。
ようやくその居場所が分って嬉しくなる。

「もう一つの世界に居るよ」
「もう一つの、世界?」
「パラレルワールドと言うべきかな。
 ボクなりにいろいろ調べてみたけれど、
 おそらく今この世界は白河さんが元から居ない、
 初めから存在なんてしていない世界に作り変えられているんだ」
作り変えられた?
そんな話は信じられないが、
でも納得のいく答えではあった。
誰も彼女を覚えていないし知らない、
写真すら存在していない状態。
ことりが生まれてこなかったと仮定するならば辻褄はあう。

それに俺がおばあ様のところに行かずここで育ったと
仮定を加えたらしたらこの状況に納得がいく。

父さんは亡ったけれどおばあさまは迎えに来なかった。
そして母さんは再婚しなかったので苗字は姫乃のままで、
俺も美晴と一緒に育ってきたから
だからあの娘も今までの兄妹の絆を埋める必要がないから
特に甘えてこない。

おばあさまのところに行っていないから
当然東條家と鷺沢家との接点もなく、
修ちゃんと美咲姉さんとの関係がここに居ない事も納得がいく。

「白河さんはその逆の世界に居るよ」
つまり彼女が生まれてきた世界ってことか……。
「それじゃその世界からことりをこちらに戻せば
 この世界も安定するって事ですか?」
「おそらく」

なんだかこの前ことりと珍しく
金曜の9時から見たSF映画の世界観みたいだな。

「どうやって連れ戻すんだ?」
朝倉が先生に尋ねると、
「きっと向こうからは帰れないだろうから、
 こちらから魔力で向こうの世界へ通じる扉、
 ゲートを開いて連れ戻すしかないよ。
 あの大桜がゲートの役割をしているんだ。
 あれに強力な魔力を当ててゲートをこじあければ……」
つまりはことりを連れ戻すことが出来る!
ようやく進展した状況に心が弾んだ。

「じゃあさっそく!」
相棒を手にして立ちあがった俺だったが、
「残念だけれど今のままじゃ無理だよ」
冷静な先生の声に止められてしまった。

「まずボクの魔力だけれど、もうほとんど残ってないんだ。
 どうやら大桜と守人の魔力は連動しているみたいでね。
 桜が枯れれば守人の魔力も消滅するみたい」
「でも俺なら、出来るんですよね?」
「確かに奏人は楽器の力で魔力を増幅させられる。
 けれど姫りんの力は未知数だから、
 本当に出来るかどうか確証はないよ」
俺は自分の手のひらを見て、それからぎゅっと握りしめた。
やっと、やっとことりを連れ戻せる可能性が見えてきたんだ!
だったらこんなところで立ち止まっていたくない。
やれる事を全てやりきりたい。
「1回やらさせてください。
 何もしないで、何も出来ないで
 待っているのは嫌です。
 それに早く手を打たないとこの世界も崩壊してしまうんですよね?」
個人的にことりを連れ戻すことが最優先事項だけれど、
それ以外に今の世界のどこかで何かが消えている。
大切な人たちまで消え始めているのに待っている余裕なんて、ない。

「やってみないと、分らない事もあるぜ」
朝倉がそう背中を押してくれると、
「わかったよ」
少しやさしい笑みを浮かべ先生も了承してくれた。