とりあえず芳乃先生は外傷もないし様子をみようってことで
先生の自宅に連れて帰ることにした。
先生の家は朝倉の家の隣で、
朝倉は何かあった時のためにと合鍵を預かっていたらしく
すんなりと中に入ることが出来た。

勝手知ったなんとやら、か。
朝倉は手早く畳の部屋に布団を敷いて、
俺は抱きかかえていた先生を寝かせる。
本当はパジャマか何かに着替えさせるべきなんだろうけど、
さすがにそんは失礼なこと天と地がひっくり返ってもできるはずもなく、
それはもちろん朝倉も同様で
しかたなく羽織っていた黒いマントだけ外させてもらい
後はそのままにさせてもらった。

先生の家は今時珍しい平屋で、
いわゆる古き良き日本家屋と言った方がいいかもしれない。
前に一度だけお邪魔した事があるが、
あまり物が置いてなく全体的にすっきりしている。
殺風景というか、
ことりや美春みたく女の子女の子、
ピンク色の世界でない。

お手洗いを借りて居間へと戻ろうとした時だった。
ガタガタッと激しく何かが揺れる音が聞こえ、
「おい、さくら!」
「行かせて、お兄ちゃん!」
二人の荒れるような話声が耳に入ってきた。

「このままじゃ、みんな消えちゃうんだよ!」
みんなが、消える?
芳乃先生のその台詞に
ことりや月城さん、瀬馬さんの顔が脳裏に浮かぶ。

芳乃先生は何か知ってるんだ……。

居間の襖を開けると朝倉が芳乃先生の手首をしっかりと握りしめて
それ以上先へは進ませないようにしているところだった。
二人は俺の顔を見るなり少し離れてうつむく。
俺はゆっくりと中へ入っていて、
「先生」
「姫りん……」
「白河ことり、覚えてますか?」
「もちろん。 どうしてそんな事聞くの?」
「突然いなくなったんです。 いえ、居なくなったというよりも消えたんです。
 俺の目の前でふっ、と。 信じてもらえないかもしれませんが……」
それを聞くやいなや先生の瞳が大きく見開かれる。

「それから誰もことりの事覚えていないんです。
 いえ、朝倉だけは覚えていて」
ちらりと朝倉の表情をうかがうと同調してうなずいてくれた。

「それ以降、俺の周りで変な事が起きてるんです。
 修ちゃんが住んでいた駅前のあの高層マンションが消えて
 彼自身も京都に戻ってます。 美咲姉さんのお屋敷もボロボロで
 近所の人から話を聞いたらもうずいぶん前から誰も住んでなかったと
 聞かされました。 喫茶風見鶏が消えて月城さんもいなくなって
 親友だった美春も彼女のことまったく覚えてなくって。
 ことりも、まるで初めから居なかったような感じになってて……」
「姫りん、白河さんがいなくなったのはいつ頃?」
「3日前です」
「どこで?」
「桜公園の内部の奥にある大桜の前です」
先生は腕を組んでう~ん、と唸った後、
真剣な目つきをして俺と朝倉を見て、
「そっか……、
 もしかしたら白河さんがトリガーになっているのかも」
ことりがトリガー?
引き金って事だよな?

「なんとなく原因が分ったよ」
先生は落ちつた声音で、
「今姫りんが体感している不思議な現象を僕は調査していたんだ」
ことりや修ちゃんに美咲姉さん、
月城さんや瀬馬さんが消えてしまった事を?

「あの大桜はね、願いの木と言われていて
 誰のどんな願い事でも叶えてしまうんだ」
突然何を言い出すんだ?
願いが叶うって、まるで魔法みたいに……。
「たとえば”お母さんに会いたい”とかね」
「なっ……」
先生の、俺の疑問を一発で払拭するような台詞を聞いて
思わず絶句してしまう。

「姫りんの願いも、叶えられたって事だよ」
俺の願いも、叶えられた?
たしかに母さんに会いたいとは願った。
もちろんそれが願の桜とは知らなかったけれど。
ここに来た目的だったし。
けれど、あれは俺が唯一持っていた
赤ん坊のころを抱っこしていた母さんと写っていた写真を
偶然ことりが見てくれてそれで発覚した事から始まって、
母さんと再会出来たんだ。
それがあの”大桜”が叶えてくれただなんて、
そんな話信じられる訳がない。

それじゃあもしかして
明日美ちゃんの手術の成功もそれのおかげなのか?
そんなバカな。

「初音島に伝わる、桜の精の話って知ってる?」
「はい」
まだことりと付き合う前、
彼女が朝倉にふられた事で意気消沈していた時、
励ましたくってデートに誘って、
山の上にある初音島大社で行ったんだよな。

そこで神主さんにお茶をいただきながら聞いた話がたしか、
この世の中には沢山の花の精霊がいて、
その中で桜の精はまだ日本が”日ノ本ノ国”と呼ばれ、
初代天皇である邇々藝命(ににぎのみこと)
が天孫降臨した際、この国を艶やかに豊かにするべく稲穂の女神たちと一緒に
花の精の一人としてこの大地に舞い降りてきたらしい。
だがこの桜の精は大変いたずら好きで
それはそれは神々をも困らせるほどであったらしい。
それを見かねた邇々藝命の子供である火遠理命(ほとほりのみこと)が怒り、
悪さをしないようにと桜の精を木の姿に変えてしまった。
そして火遠理命は桜の精にこう言った。
「元の姿に戻りたければ民たちの心の声を聞き、その願いを叶よ。
 さすれば元の姿に戻してやろう」と。

「桜の精は早く元の姿に戻りたくって問答無用で
 なんでも願いを叶えようとし始めたんだ」
え、いやだって。
それはあくまで昔からあの神社に伝わる伝承で
桜の精とかそんなおとぎ話みたいなものなんて居る訳ないじゃないか。
否定的な思考をしているのに芳乃先生は話を進めていって、
「やっかいでね。どんな願いでも叶えてしまうってことは、
 つまり悪い願いも叶えてしまうんだ」
「たとえば相手を不幸にしたいとか?」
尋ねるとコクリとうなずいてくれる。

「そう。 だからそうならないよういい願いだけ叶えるように監視、
 調整するために生まれたのが桜の守人(もりびと)、
 その役目を芳乃家は代々受け継いできたんだ。
 僕たちは魔法、魔力を使って願いをキャンセルする事が出来る。
 だから定期的に大桜に届けられた願いを聞いて悪い願い事は消してきたんだ。
 でも最後の願いだけは何故かキャンセル出来ないようになっていたんだ」
桜の守人、それが先生。
あ……。
そういえばお寺に行った時に見た絵の中に
今の先生の姿と全く似たような容姿の女の子の姿が描かれてたっけ。
金髪で青い瞳で、昔の絵なのになんで西洋系の女の子が
絵描かれてるなんて不思議に思ったんだけれど、
あれは先生を、桜の守人を意味していたのか?

「この初音島で枯れない、枯れなかった桜達もね、
 言い伝えでは桜の精が元の姿に戻れないことを悲しんでいる、
 つまり花びらが桜の精の涙で、
 そのため咲き続けているとのことらしいんだけど実は違うんだ。
 本当は江戸時代中期の頃、
 真冬に病気で息絶えそうな母親が桜が見たいと言って
 その息子があの大桜に願ってこうなったんだ」

「願いとか魔法とか桜の精とか、冗談ですよね?
 そんなおとぎ話みたいな……」
真剣な表情の芳乃先生が嘘を言っているとはとても思えない。
けれど、急にそんな話を聞かされて「はい、そうですか」と
すぐに納得できないというか、正直信じられない。

「お兄ちゃん、和菓子出せる?」
ちらりと朝倉の方を見る先生。
静かにうなずいた朝倉は握った拳をこちらに突き出してきて
眉間にシワを寄せしばらくしてからそっと手を開くと
そこには小さな大福があった。

「手品だろ?」
まるで去年、
みんなで海に行った時と同じような光景。
その大福をパクリとほおばる朝倉。
これが魔法?
どう考えたって手品にしか見えない。

「さくらは正統にば~ちゃんから力を受け継いでるんだけどな、
 俺は自分のカロリーを糧に和菓子、
 まぁたまに洋菓子を作り出す事ができるっていう
 中途半端な魔法しか使えないんだ」
なんだか目の前で展開された出来事が夢のようにしかみえない。
まるで狐か狸にばかされた、そんな感じだ。

「姫りん、きっと白河さんがちょうど最後の願いを叶えてしまったんだ」
「最後の、願い?」
「うん。 だからすべての願いを叶えきってしまった桜の精は解放され
 この島の桜の木はすべて普通の桜の木に戻ってしまったんだよ」
だから急に一斉に枯れ始めた?
たしかにそれはここ最近だ。

「ことりは、何を願ったっていうんです?」
「最後の願いは開示されてない仕組みになってるから
 詳しくはわからいけれど、おそらく」
芳乃先生は一度深く目を閉じてそれから
ゆっくりと開いて、
その青く美しい瞳でこちらを見据えてきた。
「消えてしまいたいって……」
「なっ……」
その台詞を聞いて
目の前が真っ暗になった。

「そんな、ことりがなんでっ!」
「い、痛っ!」
「姫乃!」
はっ!
気がついたら俺は芳乃先生の両腕の股の部分を
鷲掴みしてしまっていた。
朝倉が俺の手首を捕まえてくれたので
我に返り力が抜けた。

「す、すみません」
「ううん、大丈夫だから。
 とりあえず落ち着いて、ね。 事は重大だから」

落ち着けてって言われても、
心がざわついてそんなの無理だ。
消えてしまいたい?
ことりが、あのことりが?
嘘だ、なんで彼女がそんな事を?
人づきあいが俺なんかと比べて100倍も上手で
友達も沢山いて、いじめなんてあう筈もないだろうし、
何かとてつもなく嫌なことでも苦しいことでもあったのか?
でもそんなそぶり一つも……

「私、凛くんといられたら幸せだよ。
 だからずっと一緒にいましょうね」
微笑みかけてくれながら言ってくれた
あのセリフが浮かんでくる。

ことり……。

あの言葉は嘘だったのかよ?!
俺だって、俺だって、
俺だって君がいてくれれば幸せなのに。
なのに肝心の君がいなくなったら
なんにもないじゃないか?!

「僕とお兄ちゃんが白河さんの事を覚えているのは
 おばあちゃんから受け継いでる魔力があるからだよ」
「じゃあなんで俺も?」
二人は血のつながりがあるが俺にはそんなものない。
芳乃先生は静かに目を閉じて俺の胸元に手を添えて、
「君からも多少なりとも魔力を感じるよ」
「でも俺にそんな力なんて」
仮に魔力があるとするならば、
美春もあるってことなんだろうか?
そしたら父さんか母さんのどちらかが魔法使い?
そんな話聞いたこともない。

「それと周りのみんなやモノが消え始めたのは
 きっと白河さんが消えたから、
 世界の”万物保存の法則”のバランスが狂ったからだと思う」
「万物保存の法則?」
初めて聞く単語に首をひねるばかりだ。
「この世界の万物はね、常に一定で保たれているんだよ」
「たとえば物質、鉱物資源が減ると車や物が増える。
 人が増えると動物達が減っている、とかね」
何かが増えれば何かが減るってことか。

「世界を100ピースのパズルだと仮定すると
 白河さんという女の子のパズルのピースが欠けてしまった。
 必ず100にならなければいけないのに99の状態、
 つまり完全に不安定な状態なんだ」
「このまま不安定な状態が続くと、どうなるんですか?」
「いずれ世界の全てが消えてなくなってしまう。
 君も、僕も、お兄ちゃんもね」
だからみんな消えて行ったのか。
それに初音島の建物が徐々に消えていることも。

「元に戻す方法はあるんですか?」
「消えた白河さんがこの世界に戻ってくればおそらく」
欠けたパズルのピースが元通りになれば、か。

「ことりを元に戻す方法は?」
芳乃先生は視線を下に向けつつ首を左右に振った。
そんな……。
それじゃあもうどうしようもないってこと、なのか?

「こんな時、ばあちゃんがいてくれたらな」
ふぅ、とため息をこぼし愚痴るように朝倉がぽつりと言うと
「お兄ちゃん、それだよ!」
芳乃先生は大きく目を開いて左手の手のひらに
右手の拳をポンと叩く。
「何で今まで思い出せなかったんだろう」
「さくら?」
「おばあちゃんが亡くなる前に何冊か文献を渡されていたんだ。
 何かあった時に使いなさいって」
「もしかしたらそこに何か解決方法が載ってるかもしれない」
「急ごう」
「うん」
それを聞いて少し希望の光が見えてきた。

ことり。
君が何故消えてしまったか分からないけれど、
絶対にこちらに連れ戻す。
世界が消えてしまうのは一大事だけれど、
それよりもなによりも、
やはり俺は君が居てくれないと……。


つづく

―――次回予告
みなさんこんにちは、鷺澤美咲です。

消えてしまわれたことりさんを
連れ戻す方法が分りそうでよかったですね、
凛さん。


さて次回は……

学校が消えそしてお友達まで。
事態がどんどん悪化をたどり焦る凛さん。

そんな時、芳乃先生から意外な名前を聞かされます。
「姫乃亮平さんて人、知り合い?!」
果たしてこれは何を意味するのでしょうか?


次回、D.C.F.L 第116話「奏人」
みなさんまた、読んでくださいね。