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司法書士 荒谷直樹のブログ

埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 今回のGWはよく歩いた。


 歩くのが心身に良いと感じてから、時間があればその辺を歩いている。


 横浜も歩いた。川越も歩いた。アタマがスッキリした感じがする。


 GW をこんなに有意義に使ったのは、たぶん、はじめて。いつも勉強してたり、仕事してたりだったからである。


 今回のGW は、ひたすら歩いた( ̄ー ̄)


 今頃、世の中の人たちは、強烈なサザエさん症候群に見舞われていることであろう。


 私は違う。わたしは、自分で作った事務所に行くだけの話。リフレッシュした状態で。明日午前は、事務所で弁護士と打ち合わせ。午後は新規の相談1件。これから愛しの事務所に行って、少し準備をしてくる。


 わたしは、自分の事務所がどんな場所より好きなのである。何??羨ましい???なら、司法書士にでもなって自分で事務所をやればいい。簡単な話である。


 嫌な人間関係もイヤイヤやる仕事も、わたしには無い(⌒‐⌒)自由気ままである(笑)

































 食事は大事だと思う。


 栄養価が無いようなものばかりとっていたら、体もアタマもバカになると信じている。


 カロリーや栄養だけ摂取しようとして、ウイダーinゼリーだの、栄養ドリンクだの、サプリメントばかりとっている人間は弱くなると思う。


 コロナで亡くなった志村けんさんが、大量のサプリメントを摂取している様子をテレビで見たことがある。大量のアルコール、タバコ、仕事のストレスの影響を受けた身体に、サプリメントは無力だったようである。


 おそらく、人為的に作られた、抽出されたような栄養素は、人間が想定したような作用を体内では果たしていないのである。自然界にないものを摂取して、うまく機能させることができるほど、人間の身体は高性能ではないのだと思っている。


 クルマのエンジンオイルも、今の時代の高性能な化学合成油は、昔の鉱物油を入れることを想定して開発されたクルマには合わないらしい。そんなことを聞いたことがある。


 それと同じ理屈である。


 なんでもかんでも新しいものが「善」であるわけではないと思う。






 今日の朝メシである。朝の散歩のあと、冷蔵庫に入ってるもので作った。味噌汁、ごはん、納豆、わらび、鳥のレバー煮。わたしは昼メシは食わないから、これを夜まで活動するエネルギーに変換する。

鳥のレバーは安く売っていたから買ったもの。材料費はあまりかかっていない。物価高騰というが、安い食材を調理できれば、なんとかやれるんじゃないかという気がする。


 男は、勉強する前に、自分で食うメシぐらい作れなければダメである。私は魚もさばく。旬の手頃な魚が手に入れば、別に物価高騰と言われても、これまでとあまり変わらない生活ができる。納豆だってまだ3パック100円くらいで買える。高くなったものは、極力買わなければいいだけの話。料理ができないと、こういうことができないから、物価高の影響をモロに受けるのである。


 勉強より先に料理を覚えるのが先である。見てくればかりの、映える食事の写真ばかり撮っていても、アタマは良くならんぞ(。・ω・。)


 


 

 昨日、2つの事件を体験した。どちらもわたしが被害者である。


1つ目の事件。

ある日帰り温泉に行ったときに起きた。風呂から出て、ロッカーの前で着替えていた。近くで、小学校に入る前くらいの男児2人が木製の丸イスに同時に座って、ふざけあっていた。こちらにイスごと動いてきたかと思ったら、足の指に激痛が走った。イスがわたしの足の指を押し潰す形になったのだ。わたしの体は反射反応で、思い切り転倒した。わたしは横のロッカーにアタマをぶつけた。子どもたちも床に落ちた。ひとつの事件である。その子らの父親は、わたしがひとりで転倒して子どもが巻き込まれたのだと思って、わたしに「気を付けてください」と言った。わたしは勘違いを正すべく経緯を説明した。父親はすぐに謝ってきた。


2つ目の事件。

夜、回転寿司で食事をしていると、店内放送がアナウンスされた。わたしのクルマのナンバーが読み上げられた。すぐにクルマにお戻りください、とのこと。室内灯でもつけっぱなしだったのかと思って行くと、男がひとり立っていた。50ー60歳くらい。わたしが近づくと「クルマを擦っちゃいました」とのこと。右バンパー前方に幅3センチくらいの白い擦り傷が15センチくらいついていた。わたしは「どうやればこんなぶつかり方できるんですか?」と言った。となりに黒いクルマが停まっており、「コレで擦ったんですか?」というと、違うという。説明を求めると、どこかに電話をかけはじめた。「すぐに出てこい」という。話によると、ぶつけたのはその男の娘で、父親は店の中でその報告を受けたのだという。娘が運転してきて、父親と他の家族を先に降ろした後の出来事であったらしい。わたしは、説明を受けて事態を理解した。父親は、修理させてほしいと申し出た。わたしは、それを断った。それより、わたしも食事の途中だし、食事しましょうと伝えて、解散した。クルマのキズはコンパウンドで磨けば大丈夫だろうと判断したのである。


 どっちも経験したことがない不運であった。


 どうだろうか??


 わたしは、どちらの人たちにも、文句を言ったり、怒ったりしなかった。どちらにも故意がなかったからである。せっかくの休みに、ゴタゴタ揉めて、労力を使いたくなかったのもある。わたしがアタマのおかしいクレーマー気質の変態司法書士なら、クルマの件は、民事事件に仕立てあげることは簡単だった。法的には、書面に落とせば、それらしい事件内容になる。


 しかし、こういう態度をとった最大の理由は。わたしは、どちらの男にも、子を想う父親の姿を見たからである。そういう父親相手にケンカするのは、司法書士の品位に悖る。恥ずかしい態度であると思ったのだ。


 法的に正しいことが、人間倫理として必ずしも正しいわけではない。裁判所の手続きを希望する依頼者の大半が、法的には正しいが、人間倫理に照らすと落第点だと感じている。自らに争いを引き起こした原因が大いにある。ことばひとつ、対応ひとつの失態が原因になって、裁判沙汰まで発展することがあるのである。


 なんでも、法的に正しいからという理由で、デカイ顔をしていいわけではない。事案ごと、人ごと、個別具体的事情に応じて、対応を考えるべきだと思う。勘違いしてはダメである。