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司法書士 荒谷直樹のブログ

埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 淵源とは、物事の起こり、根本、源流を意味する言葉です。「武士道」(新渡戸稲造著)には次のように書かれています。

 

☆厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、孔子の教訓は武士道の最も豊富たる淵源(えんげん)であった。君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友間における五輪の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能の認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。政治的道徳に関する彼の教訓の性質は、平静仁慈にしてかつ処世の智慧に富み、治者階級たる武士には特に善く適合した。孔子の貴族的保守的なる言は、武士たる政治家の要求に善く適応したのである。孔子についで孟子も、武士道の上に大なる権威を振った。孟子の力強くしてかつしばしばすこぶる平民的なる説は、同情心ある性質の者には甚だ魅力的であった。それは現存社会秩序に対して危険思想である、叛逆的である、とさえ考えられて、彼の著書は久しき間禁書であったが、それにもかかわらず、この賢人の言は武士の心に永久に寓(やど)ったのである。

 

 どうであろうか???孔子も孟子も中国古代の思想家です。武士の心に大きな影響を与えていたのです。吉田松陰も孟子を愛読していました。

 

 今の日本人のどれくらいの人が、孔子や孟子はじめ、中国の古代思想家が武士・日本人に多大な影響を与えていたという事実を認識しているでしょうか?????こういう古代思想家たちを生んだ国が中国です。

 

 「浅薄なでインチキ臭い日本人の精神やら、愛国心やら」をわめき散らし、こういう歴史・思想の積み重ねを無視した「妄想」「妄言」に浸るのはカッコ悪いですよ。学校時代に、なんにも勉強もせず、本もロクに読まなかったと言っているようなものですから。いくら「有名大学」を出てても、それだけじゃダメです。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 令和現代日本人の、日本人に関する観念上の精神的美徳・憧憬を「日本人固有の精神」と仮に表現してみます。それは「大和魂」といわれるものかもしれない。とにかく、最近の政治家の国民に対する「煽り方」を見ていると、非常に危ういものを感じます。そして、煽られた日本国民は、漠然とした「日本人固有の精神」をもとに、「安っぽい日本人スピリット」を振りかざして、「うすっぺらい愛国心」をむき出しにする。

 

 「日本人固有の精神」とはなんですか???そこから、派生しているであろう「愛国心」は本物ですか????勝手なイメージだけで、日本を美化し、日本人らしさを叫び、「中国には毅然とした態度をとるべきだ」「高市国会答弁は問題ない」「対抗するためには日本も核をもつべきだ」という戯言を繰り返す。そうではないですか?

 

 どうも、日本人は、どこかの時代から「勘違いによる洗脳」の中で溺れているらしい。最近の日本人の無責任な一連の世論を見ていると、自分のアタマの中の知識・イメージ・考え方等を自ら検証する能力がない者は、正常な思考をすることすらできない意識レベルになっているらしいと感じます。

 

 武士道という言葉は誰でも知っていると思います。この言葉の中にも、漠然とした「日本人固有の精神」を連想する日本人は多いと思います。「日本人固有の精神」「大和魂」「武士道」、こんな言葉を、だいたい同じようなイメージで連想している日本人へ問いたい。

 

 こういう言葉をもとに連想される「日本人らしさ」という観念上の美徳・憧憬は一体なんですか????ルーツや根拠はきちんと認識できていますか????それは日本人の真実の姿だと本気で言っているですか????

 

 と。「違うの?????」と思った人は、勉強不足だと思います。今度ちょいちょい、このブログにこれ関連の記事を書いていこうと思います。断片的にはなってしまうと思いますが、「武士道」(新渡戸稲造著)などから、引用などしながら書いてみます。

 

 結論を少し。「日本人固有の精神」というものがあるとしても、それは日本人だけの固有の文化や教育、歴史の中で醸成されたものではありません。日本人が漠然としたまま抱いている、「美しい国日本」などの言葉から連想される「日本人固有の精神」は、単なるイメージ・思い込みだと思っています。どこかで、そういう風に刷り込まれたのが、ずっと続いてしまっているんじゃないかと感じています。そして、それは今も現在進行形で流行しています。江戸から明治に変わったのは、日本人なら全員知っていますよね?あの明治期から終戦までの時期は、日本は世界の平和を唱えることはなく、ひたすら自国の国益のみ主張し、近隣諸国の侵略を試みていたような時代です。日本はどんな国にも負けない。強い、と。そして、敗戦後は、敗戦処理を続けながら経済成長の路線に舵をきりました。そして、経済的に豊かになり、国際社会の中でも経済大国としての立場・地位を確立していくことになります。明治から現代までの歴史的な変遷を見ていても、令和の日本人が漠然として抱いている「清く伝統に根差した日本人固有の精神」みたいなものは、見つけることはできません。戦前は、自国の国益のために武力行使すら厭わないというのが日本という国だった。戦後は、経済成長を目指してひたすらガムシャラに「カネ」を追い求めた。日本の明治~現代まではそういう時代です。

 

 だから、少なくとも、明治以降では「日本人固有の美しい心・精神」が社会に浸透していたような形跡は見つけることができまません。今の日本人が抱いている日本人の漠然とした美的なイメージというのは、気高く・品位があり・平和を愛し・毅然としていて・情け深く・慈愛に満ち・正義感があり、こんな感じではないですか???そういうものが、日本のここ150年くらいの歴史を眺めていてもあまり感じられないのです。もし、そういう精神や心があったとしたならば、江戸時代以前ということになると思います。今の日本人は、江戸以前の日本人の心・精神を拠り所にして、「愛国心」を叫んでいるのでしょうか????具体的には、江戸以前の日本人のどのような精神の在り方・心の在り方にその根拠を持っているのでしょうか?

 

 ちなみに武士道(ぶしどう)とは、日本独自の武士階級の倫理・道徳で、主君への忠義、名誉、礼節、勇気、誠実さ、克己心などを重んじ、死を覚悟して恥じない生き方を追求するものです。鎌倉時代に始まり、江戸時代に儒教(特に朱子学)の影響を受けて発展し、新渡戸稲造の著書『武士道』によって世界に紹介され、日本の国民道徳の根幹として現代にも影響を与えています。 ただ、 武士道の理念や考え方は、それに基づいた具体的な「行動」を必要としました。自らの、日々の生活の中での「実践」を要求したのです。単なる「理念」「机上の理想論」などではなかった。口先だけの知識のひけらかしなどは、人々の嘲りの対象となっていました。

 

 今の日本人は、そもそもがそういう「理念」「理論」を知らない。よって「実践」などできるわけがない。

 

 にもかかわらず、「日本人スピリッツ」を語れると思っているのは、一体なぜですか????

 

 ほとんどが、大衆映画、大衆演劇、盲目的に語り継がれる言葉から強く刷り込まれた、よく分からない「日本人らしさ」ではないですか??????漠然とした、美しい、伝統がある、日本古来から受け継がれる「大和魂」・・・それ、たぶん、ほとんど「妄想」に近いですよ。わたしは、もちろん日本国籍を有する、むかしむかしからの日本国民です。だから「日本人の精神」みたいな概念は好きです。ただし、本当の「日本人の精神」は、「卑怯」(ひきょう)を蔑みます。軽蔑します。本物はです。

 

 わたしから見ると、今の政治家は、「卑怯」(ひきょう)なことばかりが目につきます。間違いを潔く認めない。詭弁、言い訳、論点ずらし、無視、責任転嫁。高市総理なんか、都合の悪い質問になんか、全部この対応でしょう???まともに答えない、説明しない。卑怯そのものです。抽象的な「強い経済をつくりだす」のワンフレーズで、滅茶苦茶なことばかりする。意味不明ですよ、あの人。

 

 手元にある「武士道」を読んでいると、今の日本人がいかに間違った「日本人スピリット」に支配されているかを感じます。次回以降のブログでこの本をもとにいろいろ書いていきたいと思います。

 

 

 

 
 

(愛読書たち)
 

(こういう書籍は、いつもバックに入れて持ち歩いています。国語辞典も、「読み物」として読みます)

 

 





 説得力がない。与党にしがみつく金魚のフンみたい。もし維新が野党だったら、こんなコメントしないと思う。

 「核を保有すべき」という言葉を、なぜ、わざわざ言葉にして発言する必要があったのか?

 オフレコだろうが、なんだろうが、また言うべきでないことを軽々しく発言して、あっちこっちにつつかれて。台湾有事発言と同じじゃない。意図せず、覚悟もせず、ポロっと言ってしまってまた「大問題」。

 高市内閣のメンバーは、言っちゃいけないこと、言葉にしちゃいけないことを簡単に表に出すみたいだね。