人生は自ら主体的に築いていくもの | 司法書士 荒谷直樹のブログ

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埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず人生に有益な情報を発信!!法律&メンタル&個人的戯言♪

かくなせば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂(吉田松陰)

 

 実存主義的なアプローチをとる心理療法というものがあります。この立場では、「人生は自分が主体的に築いていくもの」と考えます。世の中の理論や理屈、常識、合理的判断・科学的判断等に頼るのではなく、自分の身体と頭で知ったこと、判断したことが、人生において一番大切であるという立場です。もとは哲学的な思考から発生した心理療法のようです。


 

 上記の松陰の歌は、わたしの好きな「言葉」のひとつですが、これこそ「本人にとって意味のある行為は善である」という実存主義的アプローチからみたときの「善」を端的に表しています。


 この歌は、吉田松陰が捕らえられて江戸に護送される途中、泉岳寺の前を通る時に詠まれた歌です。江戸に送られた松陰は、その後刑死します。当時、徳川幕府大老の井伊直弼は「安政の大獄」で、幕府政治を批判する人々を取り締まりました。松陰にもその疑いがかけられ、江戸へ送られることになったのです。江戸へ送られた松陰は、幕府から取調べを受けますが、そこでも松陰は自分の意見が正しいと信じ、幕府への批判を堂々と述べます。松陰は「至誠」を貫き通し、1859年29歳という若さで刑場の露と消えた人物です。

 

 松陰は学識ある人物でした。自らの志を貫けば、自分の身がどうなるかは容易に予見できたはずです。合理的判断によれば、自らの言を慎み、お上に従っていれば、捕らえられることもなく、29歳という若さで命を落とすこともなかったはずです。しかし、そういう生き様を松陰は良しとはしなかった。自分の命よりも志の方に重きを置いていたのだと思います。

 

 松陰の生き方に見られるように、実存主義的アプローチにおける善とは、本人が意識して選び、その結果は甘受しようと胆を定めているならそれでよいのではないかという思想です。期待される人間像は「意識性」と「責任性」のあるパーソナリティということになります。したがって、酔生夢死の生き方、人まかせの生き方、責任転嫁の生き方、これらを唾棄します。

 

 最近では、なんでもかんでも政治のせいにしたり、誰かのせいにしたり、人の顔色ばかりを窺う人たちが多い気がしますが、そういう人たちは結局「人生は自分が主体的に築いていくものではなく、政治家や世の中の仕組みが与えてくれるもの」と勘違いしているんじゃないかという気がします。

 

 仕事柄、いろいろな人たちの相談を受けますが、法制度や社会制度に助けを求めても、「幸福な人生」までは与えてはくれません。あくまで、補助的なサポートです。最後は人生を生きているご本人の自覚と覚悟が大事ではないかと感じます。