「悩み」が人生にとって持つ「不可欠の意味」 | ~「クロスロード」~栄光への架け橋( ^-^)ノ~

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司法書士フラワー総合事務所代表司法書士(埼玉県所沢市)。司法書士・行政書士・整体師・心理カウンセラー資格を保有。ブログ内容はジャンルを問わず、徒然なるままに書いています。どこかの誰かのお役に少しでも立てれば幸いです(^^♪

 

 

 

 もう何年も前から本棚にあった本で、読まずに並べてあった本を手に取って読んでみたら、深く自分の中に入ってきました。何回かに分けて、この本に書かれている内容と、それを読んだ感想などを書いていきたいと思います。テキスト:「悩みぬく意味」(諸富祥彦著 幻冬舎新書)

 

 

 (テキスト:引用)

 「悩み」は、自分というものを、そして自分の人生を「深めていく」ために、不可欠の意味を持っています。

 人間は、傲慢な生き物です。何事もなくすごしていれば、何にも気づくことなく、何からも学ばずに、成長もないまま、日々をやりすごしてしまうでしょう。しかし、「悩み」がふりかかってくれば、そうはいきません。多くの人は、さまざまな悩みに直面した時はじめて、そこから何かを学ぼうとするのです。「悩み」は、その人に気づくべきことを気づかせ、学ぶべきことを学ばせるために人生に現れる「気づきと学び、自己成長の機会」であり、「人生の教師」とも言えるものなのです。しかし、それは悩む人、本人の受け止め方にかかっています。その悩みから何かを学び、何かに気づいてみずからの成長の機会へと転じうるか、それとも、何も学ばずにそのままやりすごしてしまうかは、その悩みにどう向き合いどうかかわっていくか、「悩み」に対する本人の姿勢如何にかかっているのです。すなわち、「悩み」は、それを受け止める人の対し方次第で、単なる無意味な悩みとしてやりすごすべきものにもなれば、その意味を深く受け止め「悩み抜く」ことによって、貴重な気づきや学び、自己成長の機会にもなりうるのです。(引用終わり)

 

 たしかに。自分の人生を振り返ってみてもそうですし、こうして司法書士をやっていて、いろんな方の人生を見ていてもそうです。

 

 「悩み」について、これほど簡潔に本質的な表現した文章はなかなか無いと思います。

 

 単純に考えれば、悩みは無い方が良いに決まっていますが、この本を読み進めていくと、そうではないことに気づかされます。そう言えば、わたしがまだ20歳くらいの若い頃に、こんな言葉に出会いました。若い頃から使っている例のバインダーから引用します。さんざん悩んだ果てに、ひとは幸福へと近づいていくのだということを分からせてくれる文章かと。

 

 (引用)本当に自分を信じるにいたった人とは、実に実に、われわれには想像も出来ぬくらい深く悩み傷つき、挫折や絶望の体験を持っていた人びとだ。このことは、たとえばドストエフスキーやトルストイ、ゲーテやシラー、バルザックやスタンダールなど、文豪と呼ばれるほどの人びとの書いたものを見ればすぐに納得できよう。かれらが作品に描いてみせた人間的苦悩の深さは、とても凡人には耐えがたいほどだが、まさにそういう深い苦しみ悩みを通じてこそかれらは、その反対に光り輝く美や愛や幸福を、あれだけ深くいきいきと感じることができたのだった。われわれ凡人には、とても苦しすぎてあんなふうにまで深く苦悩に沈む力はないが、しかしたとえそこまでいかずとも、苦しみ悩むことを通じてしか光と幸福へ達せられないという点では、天才も凡人も変わりがあるわけではない。(中野孝二著 「自分らしく生きる人間らしく生きる」)

 

 「苦しみ悩むことを通じてしか光と幸福へ達せられない」。

 

 普遍的妥当性という言葉があります。ある判断が真として成立するとき「妥当する」と言いますが、時間と空間とに制約された個々の具体的、経験的、心理的事実性をこえて常に必然的に成り立つ場合、そういう場合に普遍的妥当性を有する事象として成立する、こんな意味合いです。真実・真理という言葉に近いと思います。

 

 「苦しみ悩むことを通じてしか光と幸福へ達せられない」普遍的妥当性を有する言葉ではないかと思います。