仕事柄、時折他人の動画を見る機会がある。当たり前だが、仕事上のものなのでいつも内容には無関心だ。だいたいそうでなければ仕事が進まない。しかし、先日偶然見た動画がなかなか頭から離れてくれずに困っている。


思いがけず、急に再生を始めたその動画は幼い兄弟が映っているもので、二つほど年上の兄とその妹だった。場所はおそらく公園のような所だと思う。盛んに走り回る二人の様子をカメラが捉えていて、そんな中その妹の方が邪気のない、愛らしい声で「にいちゃーん」と兄に向かって叫んでいた。私は急に誰かに胸の奥にある何かを鷲掴みにされたような感覚を覚えて胸が苦しくなった。次の瞬間、私は涙が溢れ出そうになっていることに気づいて必死にこらえた。こらえはしたが目にはこぼれそうな程に涙が浮かんでいた。仕事中泣いてなどいたら頭のおかしな人間だと思われかねない。絶対にそんなところなど職場の人間に見られる訳にはいかなかったので、こみ上げてくる感情を抑えるのにとても苦労した。


私の住んでいる部屋の近くには団地があって、幼い子供のいる家庭が多く住んでいる。平日私は仕事なのでどうなのかはわからないが、休日の遅く起きた朝や昼下がりなど遠くから子供たちの楽しそうに遊ぶ声が私の部屋までよく聞こえてくる。私はよくそれをベッドに横になったまま、耳を澄ましてぼんやりと聞いている。楽しそうな笑い声や、自分の意見が通らずに泣いてしまった子の泣き声、自転車の補助輪のガラガラと転がる音、ボールの弾む音などだ。
又、先日など仕事からの帰り道にふと視線の下に何か見えたような気がしたので見てみると、今でもこうした遊びが残っていたのかと少し驚いたが、ケンケンパの丸い輪や、罪のない落書きなどがチョークでアスファルトに書かれていた。それが街灯に照らされてぼんやりと浮かび上がっていた。それを見た時には思わず知らず笑みがこぼれ、とても微笑ましい気持ちになった。
きっと昼間にはここには楽しい笑いがあって、小さな背中を丸めてこの絵を描いたに違いないとか、ケンケンパの輪の小ささ、輪と輪の幅の狭さなどから、ここで小さな体がぴょんぴょんと跳ね回っていたのだろうなどということを想像すると、一時にもせよその日の疲れがどこかに吹き飛んでしまった程だった。


私の心がその幼い女の子の兄を呼ぶ声に反応してしまったのは恐らく弟のせいだろうと思う。小さい頃から友人らしい友人も居なかった私にとって弟は弟以上に親友だった。小さい頃はよく一緒に色々なことをして遊んだ。その時の弟の屈託のない笑顔や笑い声、ケンカして泣かせてしまった時の泣き顔、背丈が私より小さかった時の私を殴りつけた時の力などを今でもはっきりと覚えている。そして、何より今でも弟は私の親友であり1人だけ残った唯一の幼馴染みだ。

弟とは今でもよく話す。電話越しに聴く弟の声は今でもあの頃と何も変わらない。私とは正反対の明るい、朗らかな人間で、多くの友達に囲まれ、裕福ではなくとも妻と愛らしい子供たちに囲まれて暮らしている。私の自慢の弟だ。


弟のことは後でゆっくりと語ることにしたいと思う。何より、とてもじゃないがこんな少しばかりの言葉で書きつくせるものではない。

一週間かそれ以上前になるだろうか、行き帰りの道端にアザミが咲いている。少し前までは花の盛りだったのだが、もう残るつぼみも無くなって、時期も終わろうとしている。空気もすっかり入れ替わって、今年も夏はもうすぐそこまで来ているようだ。日差しの皮膚を押す圧力も高く、春先の軽く柔らかい絹糸のような繊細さは見られない。


さきに私は自分の郷里のことを散々に意地悪く書いたが、けして私が自分の育ったその土地を恥じているということではない。勿論、ずっと子供の頃は、そのひどい田舎の土地を嫌っていた時もあるにはあった、しかし、それはほんの一時期のことで、今ではなんとも思ってはいないし、むしろ最近では何の観光資源もないようなその寂しい土地が愛らしくさえ思える。


人はとかくその自身の郷里を紹介するにあたって名所、名物などを引き合いに出したがるものだが、私はそんなものを借りて、自分の血となり肉となった土地を見栄えよく飾り立てようとは思わない。勿論、土地の由来や縁起は大切なものだ、しかし、たとえそのようなものが無くても自分が生まれ育った土地だという、その事実は何ら変ることはない。たとえそれが、某土地開発が何処そこの山を造成して、聞こえの良い、カタカナやら、きらきらしたイメージの名前を付けた、郊外の建て売り住宅地であったとしてもそれは同じことだ。生まれただけの土地、育っただけの場所であっても、自身のルーツ 拠り所が在ること事態が幸福なことなのだと私は思っている。又、そういった形ある土地や家などではなくとも、自分を受け入れてくれる人々がいてくれれば、それもまた揺るぎない拠り所だ。そうした意味で、私はその何もない緑と灰色の土地をとても大事に思っている。


梅雨入り前の時期、学校の帰りによくレンゲの花咲く休耕地に寝そべって空を見ていたことを思い出す。空は水に白い水性絵の具を溶いて、ほんの少し青を加えたような淡い空色で、端の方をくっきりとした飛行機雲が横切っていた。遅れて聞こえてくるその飛行機の音が地表に寝そべっている私に高い高い空から春の光を伴って降り注いでいた。その高い空の中に、姿は見えないがそんなに遠くないところで空を旋回しながらしきりにさえずっている鳥の声が聞こえた。鋤き込んで肥料とするために冬の間、休耕地に蒔かれたレンゲの花が、自生したシロツメクサなどと一緒にその辺り一面に咲いていた。道の路肩にも野生のマメ科の花やオオイヌノフグリなどの小さく愛らしい花々が咲いていたのをよく覚えている。そうした花々が風に揺らされている様子はまるでくすくすと笑っているようだった。シロツメクサ、つまりクローバーはとても繁殖力が旺盛で、その濃い緑色の葉を我が物顔で茂らせていた。顔を近づけて茂った葉をかき分け中を覗き込むと、中は本当の森のようで、その下からはしっとりとした冷たい土の冷気と匂いが上がってきた。そんな中にランドセルを枕にして大の字になって仰向けに寝そべる。額には春といってもそろそろ強くなり始めた日差しがじりじりと照りつけていて、すこしひりひりした。近くにミツバチが飛んでいる羽音が聞こえて、飛んではとまり 飛んではとまりを繰り返し、忙しそうに花から花へと飛び回っている。やわらかい風がそよぐ穏やかな学校帰りの春の日に私はそうして過ごすことがよくあった。その間眠るのでもなく、考え事をするでもなく、ずっと空をぼんやりと眺めていた。その間、頭も心も中は空っぽで、ただただ空を見ていた。しばらくして起き上がると背中がしっとりと濡れていたのを覚えている。


およそ四季のある土地ならば春は必ず巡ってくる。そうした春が私に昔のことを思い出させたようだ。

私は都内で働いている。
行き帰り通勤に利用する道には空き地の近くを通る区間がある。その空き地はたぶん随分以前から借り手、もしくは買い手が決まらずに放って置かれている土地のようで、造成に使われた土がかつてあったのであろう山から持ってこられた雑草の種がこれ幸いと繁茂し、人の背の高さ近くまで伸び放題になっている。鬱蒼と生い茂ったその藪からは、むっとする程の濃い草いきれが近くの歩道までいつも吐き出されている。春先の微かに香るような青臭さではない。目に見えるほど濃い、生命の匂いだ。
旺盛なその生命力を自分達の成長に使うだけでは足りないとでも言うように、眠い目をこすり、疲れた体に鞭を入れながら出社する、私を含めた人間達にこれ見よがしにわざと吹き付けてでもいるかのようだ。


勿論、彼らがその生命を謳歌するのは人の目にはほんの一時に過ぎないのかもしれない。しかも、そうして何時までもそこに栄え続けてもよいと約束されているわけでも無いのだ。いずれその土地にも、たとえどんな業種でもあれ、利用者によってしかるべき建物が建てられ、その結果彼らは跡形もなくその場から消え去ってしまう。もちろん、いつの日か再びそこに建てられていた建物が取り壊される日が来て、厚いコンクリートが地面から剥がされ、彼らが再び日の目を見る日がやってくるにもせよ、それが50年後、100年後、またそれ以上の時間を待たなければならないかもしれない。しかし、彼らはそんなことは意にも介さない。

我々人間は自身をして万物の霊長と自負する。しかし、彼らは我々のことなどは眼中にないとでも言わんばかりに、我々の活動など取るに足らないもののようにして、まるで見下しているかのように生きているではないか。彼らからすれば我々人間など彼らの活動を時折阻害するほどの障害物くらいでしかないのだ。芽を出して伸びだそうという時に多少邪魔になる石ころのようなものだ。それ以上のものではない。だとしたら、万物の霊長など、生命の、存在の優劣など誰に決めることが出来るだろうか。彼らのほとんどは半年もすれば枯れる。しかし、彼らはしっかりとその時を知って生きるときには懸命に生き、死ぬときにはしっかりと死ぬ。待つべき時にはじっと耐え、その時が来れば躊躇などしない。人間に果たしてこれが出来るだろうかと私は思う。この半分でも、この四半分でも人間にはなかなか難しいだろう。勿論、私はそういった人間を咎め立てたりはしないつもりだ。人間はそれを行うには、もう 余りにも自然の輪から遠く離れすぎている。自然のようにはもう行うことは出来ないだろう。しかし、それらを見習い、そう有りたいと願うことは出来る。そして、そうして願うことが出来るのは人間だけだ。何故なら、自然のものはそう願わずとも、もう既にそうあるのだから。


願わくば私もそうありたいと思う。その半分、その四半分でも。