私は今日の空のようなドラマティックな雲が好きだ。天気が急激に変わるときなどによくこうした雲がでる。台風の前などにもよくでていた。どうしてか分からないが、子供の頃は台風が来る前とか、実際に台風がやってきて、その強烈な雨と風で日常をもみくちゃにしてしまう時など、ひどく興奮し、心が高ぶった記憶がある。


昔から不思議に思っていたのだが、こうした雨の日は、からりと晴れた気持ちのいい快晴の日よりも大気に生命力が漲っているように感じられる。青い空で、柔らかいそよ風が吹く日のほうが心地良いのはたしかなのだが、しかし、それと同時にそうした日はおそろしく白々しい印象を私に与える。ひねくれた感じかたかもしれないが、昔から私はそのように感じていて、今もその感覚は変わっていない。周囲にある空気が普段より濃くて、同じ一呼吸でも全然酸素が足りないみたいだ。

ことに、こうした日の海は不思議な力に溢れている。2月や3月の詩的な雰囲気とも、夏の盛りのギラついた悪魔的な雰囲気とも違う独特のものだ。善でも悪でもない、中性的な、神話に出てくる神々やニンフの住む世界のような、うまく言い表すことが出来ないが、そういった聖と邪が混在するような、そうしたものに似ている。


そうした淡い灰色に曇った空と、群青よりも深く濃い色をした海が遠くの水平線で溶け合っているようなさまは、まるで思春期のような印象を与える。遠くから聞こえる地鳴りのように低く、延々と鳴り響く海鳴りは、言い知れない不安を抱えていたあの頃を思い出させる。潮気を含んだ海風が吹いて髪をかき乱してもみくちゃにし、湿度と潮気で肌はじとじととべとついて気持ちを苛立たせる。そうした不安や苛立ちもそっくりだ。


昔、私がまだ19歳の頃、ちょうど今頃の時期だったと思う、ある日むしょうに何処か遠いところへ行きたくなって、夜遅くバイトの帰りに地図だけを買い、次の日の朝、当てもなくふらふらとバイクで出かけたことがあった。持って出掛けたものといえば、その時に手元にあったお金ぜんぶと地図くらいだったと思う。それらを鞄の中に入れ、日が暮れるまで海沿いを走った。夕暮れになる頃には体はくたくたに疲れていたが、それでも走りつづけた。もうすっかり日も落ちて、そう、その頃には11時をまわっていたと思う。おなかも減って、走り続けるのが困難だなと思うころ、私は御前崎まできていた。体はもうくたくたで、バイクを降りると腰や股関節がおそろしく痛かった。ふらふらとした足取りでコンビニに入り、もうその時何を買ったかなど覚えていないが、適当に食べ物を買い、近くの堤防に寄りかかって野良犬のように貪り食い、腹に入れた。腹は満たされたが、しばらくは動く気力がおきなかったので、数時間その堤防に寄りかかったまま、ぼんやりと海を見ていた。その日も今日と同じように空には荒々しい雲がかかっていて、おそらく海もいくらかしけていたのだと思う、海鳴りが地鳴りのように遠い真っ暗な水平線から聞こえてきて、その場で少しうとうととしてしまった私の眠りの中にもその海鳴りが入ってきた。
しばらくして体が冷え、その寒さで目が覚めた。昼間はあれだけ暑かったのに海辺の夜風は冷たく、長い間座っていたのでズボンのお尻のところが湿っていた。まだ体は疲れたままだったがバイクに戻り、そのまま別の浜辺へと移動した。移動した先の浜辺はどういった場所なのかはその時は分からなかった。もうその頃には日付も変わっているような時間だったので、海辺の人家や商店などの明かりもほとんど消えていた。真っ暗な海に向かって堤防を降り、砂浜に座った。そうして堤防に寄りかかると、私は朝までその場所で過ごした。もう、いい加減体はくたくたに疲れていたので、私はそこで寝入ってしまった。
朝起きると、まだ時間も早かったのだと思う、周りの景色は一面青くて、曇り空だったので光がとても弱かった。私は眠気覚ましに浜辺を歩くことにした。着いたときには分からなかったが、その浜辺は波打ち際までかなりの距離がある大きな浜辺で、曇った空が白々と明るくなっていくさまがとても綺麗だったのをよく覚えている。まだ疲れが残る体を引きずるようにして砂浜を波打ち際まで歩いた。昨日と同じように低い海鳴りが轟々とうねるのが聞こえ、白く泡だった波が寄せては返していて私の他に辺りには誰もいなかった。一晩中浜辺にいたので体が潮気でべたべたした。そうやって、どれくらいの時間だったか、しばらくぼんやりと海を見ていた。そして私は胸一杯に潮風を吸い込むとバイクを止めた場所まで広い砂浜を横切って戻ることにした。靴の中に砂が入り気持ち悪かったので一度靴から砂を出そうと思い、ふと足元を見るとウミガメの通った足跡があるのに気がついた。不思議な感覚だった、ゆうべ私がくたくたに疲れた体を堤防にもたせかけて真っ暗な海を見ていたときに、同じ真っ暗な砂浜でこの足跡を付けたウミガメが産卵をしていたのだと思うと少し奇妙な感覚だった。

バイクの所までたどり着くと、何となく疲れもそれほど感じなくなっていて、私はそのままバイクに跨り、帰り道を走りだした。帰りはいくらか道を覚えていたこともあり、行くときよりも早く自宅へ着くことが出来た。自宅へ着いたのは夕方頃だったと思う。自分の部屋へ着くと死ぬほど疲れていて、すぐにでも眠ってしまいそうだったが最後の力を振り絞ってシャワーを浴び、そのままベッドに飛び込み死んだように眠った。起きたのは次の日の19時か20時位だったので、24時間以上眠っていたことになる。


次の日、バイトへ出るとすぐさま「どうしてん?」と驚いたように聞かれた。無理もない、初夏の炎天下の中、2日間も外を走り回っていたのだ、私の肌は街を歩けばすぐにでも見つけられるような褐色の肌の遊び人よろしくこんがりと日焼けしていた。普段はモヤシのようなこの私がだ。あまり詳しくは話さなかったが、こういう訳でと話すと、「おぉ カッコよろしいやん!」などと笑われ、散々からかわれた。勿論、これは悪意からではない、彼らなりの冗談であり労いだ。しかし、私は何を言われても全く気にならなかった。


私がこの旅で何かを得られたかといえば、得られたものなど何もない。体力とガソリン代を無駄にしたくらいだ。しかし、不思議なことにこのときの記憶は失われずに今も残っている。あの時の真っ暗な海も、水平線から聞こえる海鳴りも、青い朝の景色も、肌がひりひりするような強い昼間の日差しもみなよく覚えている。


やれやれ、いったいどういう話の流れでこんなことを話し出したのか知らないが、ずいぶん青臭いことを話してしまったようだ。

こうして何かの拍子に時々昔の記憶が蘇ってくることがある。今日はそういう日だったようだ。

今日、ツバメを見た。いつも通る通勤路には歩道に面した個建ての家がいくつも建っていて、そのなかの一軒の車庫の出入り口のところに、つがいで忙しそうに飛び回っている姿が見えた。まだ雛の鳴き声が聞こえなかったので、時期的にもおそらく巣作りをしていたのだろうと思う。近くには公園もあるので巣作りの材料にも、雛の餌になる小さな虫にも不自由しないということなのだろう。丹頂鶴などと違って一生沿い遂げるというわけではないが、夏の間、雛を育て上げる短いあいだのこととはいえ、二羽で懸命に巣作りをするその姿はとても微笑ましく見えた。きっとしばらくすれば卵から雛がかえって朝の通勤時にその愛らしい元気な鳴き声を聞くことが出来ると思う。


昔、つばめが巣をかける家は栄えると聞いたことがある。勿論、つばめが幸運をその家に運んでくるなどということではない。ツバメが来るから栄えるのではなくて、栄えている家、栄えそうな家に巣をかけるのである。

ツバメが巣をかける場所は家の軒先など、ほとんどの場合がある程度人の出入りの多い場所である。人間が絶好だと思うような静かな場所には巣は作らない。ツバメはわざと人がよく通る場所にかぎって巣を作っているのである。何故そうした所にあえて作るのかといえば、天敵であるヘビやカラスなどに狙われない為なのだ。人の出入りが多ければその場所にはヘビなどの天敵は姿を現しにくい。ヘビにしたってツバメの雛を得るためだけに危険を覚悟でそんな場所にのこのこ出て行ったりはしない。そんな危険を冒すよりもほかの獲物を探したほうがより賢明だからだ。そうしたことをツバメは十分に承知した上で巣を作っているのである。彼らから見れば人間は丁度番犬のようなものなのだろう。


朝早く起きて、働きに行ったり、学校に行ったりして昼間はその家には誰もいなくて、家の住人が帰ってきてもすぐに眠って暗くなってしまう。その家の住人も少なくて、怒鳴り声、泣き声、物の壊れる音しかしなくて、おまけに訪ねてくる客などいない。そうした家にはツバメはまず巣をかけることはない。逆に、家にはいつも誰かいて、その家の住人も多く、いつも賑やかな笑いがあって、たくさんの客が訪ねてくる。そうした家には、たいていツバメは巣をかけていたのを私は今まで見た経験から知っている。


昔の人は彼らなりの統計学でもってそれを知っていたのだと思う。ツバメは毎年きちんとやって来てどこかに巣をかけていく。そのなかで栄えた家にはたいていツバメの巣があった、つまり、ツバメが巣をかける家は栄えるという具合にして長い時間をかけ、事実が積み重なってそうした言い伝えが生まれたのだと思う。昔から伝わるそうした迷信にも似た言い伝えには、一見おそろしく馬鹿げたことのように思えるものがあるが、その根底にはきわめて科学的で理屈にかなうものが含まれていたりする。知識においては我々現代人には及ばないものがあるかもしれないが、長い時間をかけて積み重ねられた経験からくる知恵はあながち馬鹿には出来ない。


私の記憶では、郷里の家にツバメが巣をかけたことは、私が生まれてからあの家を離れるまで一度も無かった。このツバメの言い伝えの真実性を私は自分の経験からよく知っている。

昨日からずっとひどい頭痛に悩まされている。鈍い、頭を締め付けるような痛みだ。体がだるくて鼻水も出るし、夏風邪かもしれない。


いつも電車の車窓から見える学校のプールがあるのだが、そのプールの掃除が始められているのが見えた。まだ完全には終わってない様子だったが、きれいに磨き上がったプールの内壁のブルーとは対照的に、掃除で出た濁り水がまだ抜かれずに残されたままになっていた。私の通った中学校は水泳があるにはあったが、いつも他のスポーツに変えられていたので、学校のプールで泳いだ記憶となると小学校以来無いと思う。


私はここ数日、自分の至らなさにほとほとうんざりするような思いで生活している。前にも書いたが、私は人に対して優しさをもって接することの出来ない人間だ。やたらと短気で怒りっぽく、全くといっていいほどこらえ性がない。では逆に、誰に対しても確固たる態度で厳しく接することが出来るのかと言われればそれも出来ない人間なのだ。意気地がないくせに、やたらキャンキャンと吠えたてる小型愛玩犬のような人間だと我ながら思う。情けない話だが事実だから仕方がない。そうした所を変えていかなければと思っているのだが、それがなかなかそれが難しい。


もう一週間以上前になる、お昼時のことだ。私はいつものごとくいつもの店に入りオーダーが取りに来られるのを待っていた。その日は珍しく混んでいて、もともとこの店はスタッフが少ないということもあり、かなり対応に追われているようだった。その為、なかなかオーダーを取りに来ず、ずっと待たされていた。そうして10分が過ぎ15分が過ぎと時間が経っていくにつれ、段々とイライラの虫が騒ぎ始めてくるのが自分でも分かった。私の職場の昼休みは短い。短時間で食べて戻らなければ間に合わないのである。遂に私は我慢できなくなり、近くにいた対応に追われている女の子をつかまえ、いつまで待たせるんだというようなことを怒鳴ってしまった。「すいません すぐに…」と彼女は言いかけたのだが私はそれを制止して怒ったまま店を出てしまった。


たしかに時間がなかったのは事実だ。しかし、もう少し言いようがあったと思うし、対応のしようがあったと後になって思う。思えば彼女はよくやっていた。忙しくてもふてくされず、元気に明るく接客していたと思う。実に立派だ、私には絶対に出来ないだろう。なのに私ときたら少しのことで腹を立て、当たり散らす始末だ。これではまるで腹を空かせた野良犬同然ではないか。情けないとしか言いようがない。私に当てはまるこれ以外の言葉は見当たらない。今でもはっきり覚えているのは、私に怒られながら下から私を見上げていたその目だ。私のような気持ちの悪い男に絡まれるのはどれほど不愉快だったかしれない。その困惑した、申し訳なさそうな目が今でも頭から離れない。こんな小柄な女の子にお前は何をしているのだと私の心が諫めるのが聞こえたのだが、感情がその声を押し黙らせてしまった。
しばらくして、高ぶった感情が静まると、途端に罪悪感がこみ上げてきてどうにもやりきれなくなった。まったく、すぐに後悔することになるくせに感情の暴走を止められない不甲斐なさが我ながらまったく情けない。この性質の為に今までの人生で損ばかりしてきているというのに全く学習できていない。最近では昔よりいくらか丸くなったと自分では思っていたが、どっこい全く変わってない。重ねていうが、至らない自分がつくづく情けない思いだ。


懺悔してみたところで何が変わるということでもないが、こうして書いて整理することで反省し、自分を見つめ直すきっかけにはなるだろうと思って書いてみた。何より、その彼女に本当にすまなかったと思っている。その後、その店で彼女を見かけなくなったことがより一層私を苦しめている。

しかし、もし私がカトリックの国に生まれて、その上熱心な信者だったとしたら、しょっちゅう懺悔に行って神父と顔なじみになるに違いない。きっとおそらく、あきれ果てた奴だと思われ、散々なじられるだろう。

「また貴様か!この罰当たりめ 地獄に落ちるがいい!」などと罵られれば少しは気分が晴れるだろうか。