台風の後、うんざりするような暑さが戻ったと思ったら最近はずっと雨が続いている。今日も朝からしとしとと本当によく降っている。
雨の日が好きだという人は、おそらく一般的にはきっと少数派だと思うが、私は雨の日というのがそれほど嫌いではない。もちろん、風の強い日の横殴りの雨や、バケツをひっくり返したような大雨などは除くが、最近続いているような静かな雨なら週に一日二日はあってもいいように思える。それでも靴が濡れて靴下まで雨が染みてくるあの不快な感じだけはどうにも嫌なものなのだが。
小学生の頃、週に土曜日ともう一日、何曜日かは忘れてしまったが時間割の関係で少しだけ普段より早く帰れる日があった。私の家は共働きの家庭だったので、そんな日は家に帰っても祖母か、もしくは同じように早く終わった弟しか家にいなかった。早いといっても平日なら授業1時間ぶんほどしか変らないのだからたいして早いともいえないのだけれど、それでも子供の心には何かこう、妙に特をしたような気になって訳もなく急いで帰ったものだった。
子供なので大人になった今のように傘を真っ直ぐに立ててさすことが出来ず、傘のシャフトを肩に立て掛けるようにして斜めにさして帰った。そんなふうだから前の方から雨が吹き込んで、いつも膝から下が濡れる有り様だった。いつも学校を出てしばらくの所ですぐに靴の中までびしょ濡れになった。足の指あたりの不快感は昔も今も全く変わっていない。その頃はそうなると、どうせもう濡れてしまったのだしということで、いつもと少し様子のちがう、たくさん出来た水溜りの中をわざと通って歩いた。浅いところや深いところ、日によってはびっくりするほど冷たい時もあったし、逆に夏の日などは温めのお風呂のように温かい時もあった。植え込みをはさんで向こうの車道を車が通ると、路肩に出来た大きな水たまりの水をはね上げた。道路の場所や、その日の雨の量によってはとても大きく深い水たまりが出来ていた。車の速度と大きさにより変化するが、高いものでは2メートルくらいまで水をはね上げていた。もちろん、子供にとってはこうしたことは恰好の遊び道具になった。車が水をはね上げるのをわざと待って、それを傘で防いでみたり、逆に思い切り頭からかぶってみたりして、まったく今考えるととてつもなく馬鹿な遊びだが、その頃はそれが結構楽しかったし、何より不思議と雨に濡れるのがそれほど嫌でもなかった。一度完全に濡れ鼠になってしまえば、その後はどれほど雨に濡れようが何ともなかった。むしろ清々しくさえあった。
そんな訳で、家に帰りつく頃には頭からつま先、下着や、度が過ぎたときなどはランドセルの中のノートや教科書まで濡れているような状態だった。まったく、傘があるのにこの有り様なのだから、いったい何のために傘を持って行ったのだか分からないと祖母から呆れられるのも無理はない。家に帰ると、着ていたもの全てを脱いで着替えた。今まで散々雨に濡れて遊んでいた体には、着替えた後の何気ないいつもの服のきちんと乾いた肌触りがとても心地よかったのを今でもはっきりと思い出せる。そういう時は何の変哲もないいつもの服からもとてもいい匂いがしたように思えた。
着替え終わると、祖母は私の馬鹿さ加減に呆れながらも、冬ならストーブをつけてあたるようすすめてくれ、おやつがある時はそれを出してくれたりした。しんとした家の中でストーブにあたったり、おやつを食べたりしていると、祖母のゆっくりした足音や老人らしいとりとめもない独り言のほかには、静かに窓を叩く雨の音しか聞こえなかった。本当にとても静かだった。
今でも時々だが、わざと雨に濡れて帰る時がある。もちろん、大抵そんな時は傘を持って出るのを忘れた時だ。ビニール傘を買ってもよいのだが、大抵の場合私は買わずに濡れて帰る。最初は気持ち悪いが、ある程度濡れてしまうとたいしたことはないと思うようになってくる。そうやって頭からびっしょりと濡れて家に帰りつく頃には、ぐずぐずと頭の中で考えていた悩み事などは大抵の場合どこかに流れていってしまっている。
時には雨に降られるのもいいものだ。
雨の日の匂いも。