今日は本当に、本当に憎々しいほど晴れている。全く雲一つない空だ。近くにある建物の白い外壁が恐ろしく眩しく、目が痛いほどだ。その上気温も高い。こういう日は、暑さの苦手な私にはとにかくこたえる。全く、恨めしい限りだ。しかし、天気予報によると、この暑さも今週いっぱいのようで、来週からは次第に秋めいてゆき、涼しくなるのだそうだ。まぁ、あくまで予報なので確かではないが、心底そうあってもらいたいものである。寒いときは身が引き締まって、内に力を蓄えることが出来るが、厚いときは体中の穴という穴から力が出て行って、何もやる気が起きなくなる。大体、「明日は冷え込みます。」なら頑張って乗り切ろうと思うが、「明日はたいへんな猛暑になります。」では明日起きる気力さえ奪われるというものではないか。
今朝はひんやりと心地よかったが、日が高くなるにつれて蒸し暑くなってきた。まぁ、もう暫くすればある日突然、驚くほど寒くなって、この蒸し暑さも終わりを告げることになるのだろう。
実際に社会に出て働くようになると、長い休みをとることなどほとんどといっていいほど出来なくなる。仮にとれたとしても、今の私には、せいぜい5日程度の話だ。
私が通った大学は夏期休暇が9月末まであった。実際には8月末までなのだが、ゼミなどとくに選択している科目のなかった私は事実上9月末まで休みを満喫することが出来た。満喫といっても自分で生活費を捻出しなければならなかったので、ほとんどといっていいほど毎日バイトが入っていたし、その他の大抵の時間は作品の制作のためにアトリエに籠もることに費やされた。まぁ、平たく言えば、家で寝ている時間以外はアトリエとバイト先を往復するといった生活を送っていた。思えば今の生活と何ら変わり映えがしないようだ。現在の私の生活の雛形はこの頃すでに作られ始めていたように思える。しかし、そういった生活を続けていると、どうしても息抜きがしたくなるもので、たいてい毎年夏休みの間に二度ほどは必ずバイクでツーリングに出掛けていた。8月の暑い盛りと、9月のちょうど今頃だったと思う。
毎回そうして旅に出るときは殆ど一週間位の日程だった。宿に泊まるお金など、私のような貧乏学生が持ち合わせているわけはなく、その旅の間は全て野営になった。野営というといくらか聞こえが良いが、要するに野宿である。最初の一泊目は久しぶりのアウトドア、キャンプ気分でいいのだが、三泊目ともなると、とにかくベッドが恋しくなる。熱いシャワーを浴びて、真っ白なシーツの広げられたベッドに飛び込み、ふかふかのマットに身を沈めて深く深く眠りたくなる。しかし、そうした誘惑も、薄いキャンピングマットの上に身を横たえて、寝袋にくるまり一晩をなんとかやり過ごしてしまえば、たいていの場合、もう次の日にはそうした野宿の辛さもたいして苦にならなくなっていた。これは本当に不思議な現象である。
そうして私は一週間くらいの間、まったく気の向くまま、いろいろな土地を転々と旅してまわった。その頃の私のこうした旅には目的地などというものはたいていの場合無かった。ただただバイクを走らせて、どこか自分の知らない所へ行ってみたいという、その一心からの旅だった。出発の前日に念入りにバイクの整備をし、テント、寝袋、キャンピングマット、ランタンや調理器具、着替えやタオルなど細々としたものをバッグに詰めて、それら全てをバイクにセットした。あとは全国地図を見ながら幾らかルートを決めてゆくのだが、たいていは最初の1日目のルートを決めるだけで2日目以降は、もう本当に、風の向くまま気の向くままただただバイクを走らせた。
無謀な一人旅には色々なことが起こった。9月という時期も時期だけによく雨に降られたのを覚えている。バイクで雨に降られると、体温が一気に奪われて、すぐに凍えるような寒気に襲われたものだった。こうした旅を始めたばかりの頃は、「なに、雨くらい...」などと思っていたのだが、体温が下がるとどれほど集中力が低下するか、また、マシンの挙動の変化を捉えるのが遅れるかを身をもって経験したので、3度めの旅の時には専用の雨具をきちんと準備したものだった。
泊まるところもかなり色々なところに泊まった。普通のキャンプ場からサービスエリアの駐車場、浜辺や山奥の河原など、かなり薄気味の悪いところにも泊まった。今思えばよくやったものだなと思う。いや、当時の私でさえ思ったかもしれないが、泊まらざるを得ない状況下に置かれると、人間どんな侘びしいところや薄気味悪いところでも眠れるものである。もちろん、バイクでの旅でくたくたに疲れていたということも考慮に入れる必要もあるだろうが。
そうして気ままな旅を続けるのだが、私は大抵、いわゆるよく知られたツーリングコースというようなルートはあまり走らなかった。勿論、苦学生の貧乏旅なので有料道路も極力使わない。一般の国道や県道の、しかも山間部の道を走った。そうした所は、もちろん場所にもよるのだが、まるである日ある時から時間が止まってしまったような、完全に時代に取り残されてしまったような、まるで映画のセットのような光景に出くわすことがある。以前は都市部への物資の供給ルートだったのが、その麓のほうに山を貫通するトンネルが出来て、その為に、まるでその時代のもの全てをそのまま残したようなゴーストタウンを目にすることもしばしばだった。また、まるで江戸時代で時間が止まってしまったような建物に服装をして生活をしている老人を見たことも度々あった。
私が見たそうした光景の中で、今でも強く記憶に残っている光景がある。
それは峠越えのルートで、国道の細いの一車線の道を山頂まで上がった所だった。なぜ国道などという細かいことを今でも覚えているかというと、こんな細い、ガードレールもまばらな道が本当に国道なのかと、とても信じられずに何度も地図を見ながら、錆だらけになった標識を確認しながら不安を胸に走ったので覚えているのである。それくらい山奥の心細い道だった。そうしてようやく峠を越したようだとたどり着いた山頂から下を望むと、麓の方には山間に帯状に広がった、細くて小さな水田地帯が見えた。その中に小さな学校が見えた。おそらく小学校だと思われるその学校の校庭では、今まさに運動会が行われているところだった。山間部では平地は貴重なので校庭はかなり小さいものだった。それはその校庭にいる児童の大きさから見てもすぐに分かった。石灰で引かれた白い線が山頂から見ている私の目にも眩しく映えた。先生と保護者用の白いテントが2つ並んで立っていた。グラウンドのまん中では、赤と白の帽子を被った児童が玉入れをしているところだった。赤と白の帽子と白く小さな体操服の人影が愛らしく飛び回っていた。皆とても楽しそうだった。遠くにいる私の方まで微かに聞こえてくるスピーカーの応援の声や子供達の歓声は、その場にどれだけの笑顔や幸福があるかを想像させるのに十分なものだった。
何というささやかな、しかし、かけがえのない幸福だろうと、私は体が震える思いだった。私はバイクのエンジンを切り、その麓の校庭を見つめながら思わず目頭が熱くなった。
子供の学力やモラルの低下を声高に叫ぶ人は多い。しかし、私はそういった人々がどれほどのものを見てそういったことを口にするのだろうかと、度々疑問に感じることがある。
この国ではあらゆるものが、東京や他の少数の都市に集中してしまっているので、どうかすると、そこやその周辺で行われていることが全てであるかのような錯覚に囚われてしまいがちである。また、少数の悪を見てそれが広く行われているように思ってしまうことも多い。その上、マスコミが集中しているこの東京では、目にした少数の悪を、まるでこの街では広く一般に行われているかのように吹聴し不安を煽っているかのようなところがある。
私はこの街に流れ着くまで、色々な土地を田舎から都会まで転々と移り住んできたが、彼等の言うような一様な悪の傾向は見たためしがない。どこにでも悪党はいたし、善人もいた。
子供の学力が、声高に叫ばれているようなかたちで一様に低下しているかといえば、決してそうとは言えないものだった。私には個人個人の差が広がって、出来ない方の数がいくらか増えて平均を押し下げているという風にしか思えない。真ん中あたりを取って見てみれば、昔と大差ないのではないだろうか。
性が乱れているという人がいるが、皆が皆ではないし、実際には無理をして周りに合わせているだけという人間も多い。それに、そうしたことを赤線の存在した頃の人たちが声高に叫んでいること自体が考えてみればおかしな話だと思う。若いうちは頭で物事を十分に考えられないので、いくらか無軌道になることもあるし、それに、青春時代はいくらか無軌道なところがあったほうがむしろ健康的だとさえいえる。
凶悪事件が増えたという人もいるが、陰惨な事件は昔もあったはずだ。人が人を殺すのは何も今に始まった事ではない。「最近の子供はちょっとしたことですぐにキレる」などと、嘆かわしい、世も末だとばかりに語る人間がいるが、その子供は何を隠そうそういう人間たちが育てたの息子娘なのである。
世を儚み、子供たちの未来を慮る風を装って、自分の心のみを慰めている人間のいかに多いことかと思う。
こうした無責任な大人の言葉の一つ一つがいかに子供を傷つけているか、どうして思い知らせることが出来るだろうかと思う。
私はこの山間の小さな小学校の校庭を眺めながら、決して、したり顔をした大人が言うような子供ばかりではないと確信した。私たちが日頃目にしない、知らないだけできっと善はあるのだと強く思った。散々に打ちのめされた時に、この世には幸福などないと思うような時があっても、それはどこかに隠れているだけなのだと。そう信じさせるに足る光景だった。
やれやれ、今日はとりとめもないことを長々と書いてしまったようだ。しかも、いったい自分が何を言いたかったのか、はたしてきちんとまとめられたのかさえ自信がないような有様だ。
しかし、どうか子供たちを言葉によって傷つけたり、不必要なもので縛り上げたり、商売の道具にするようなことは、どうか止めて欲しいものだと思う。
休みの日に街をふらついていても、通勤の途中であっても、男女を問わず美しい人間はいるものだとあらためて思う。
国が豊かになるとその国民も垢抜けてくるのだろうか?それに、栄養状態もよいので体型も昔の人間と比べると見違えるほど良くなっているように思える。私はそういう人間を見ると、その美しさを素晴らしいと思う反面、とてつもなく強い嫉妬心にかられてしまうことが度々ある。
私はとても醜い男だ。一見して人好きのしない男だということを、およそどんな人間でも容易に理解できると思う。ただの醜男であればまだいいのだが、私の場合それだけではなく、何かこう人を不快にさせる顔をしているらしい。いわゆる“キモイ”顔なのだ。ただの醜男だったなら道化の役回りも出来ようものなのだが、人を不快にさせ、気持ち悪がられるようではそれさえ出来はしない。母には本当に悪いと思うし、五体満足な体で結構なことだと思うのだが、それにしてもどうしてこんな顔なのだろうとつくづく思う。まったく、残念なことだ。
私が自分が醜いということを初めてはっきりと意識したのは中学校の2年生のときだった。それ以前にもうすうす気付いてはいたが、はっきりと認識したのは中学2年生のときだったと思う。その時、私は初めてまじまじと自分自身をとことんまで観察してみた。それ以前はそこまで徹底して自分を観察してみたことは無かったのだけれど、もうその頃、私は絵の世界に本格的に迷い込み始めていて、“美”というものに取り憑かれ始めていた。いろいろなものを観察する過程で、自分を観察するようになっていたのだ。そうやってさまざまな美しいものを観察した目で自分自身を観察してみると、それまで自分で認識していたよりも、自分の実体がはるかに醜いということを確認した。美しさというものに目覚め始めていた当時の私には自分自身の肉体の醜さは到底承服しかねるものであったことを今もはっきりと覚えている。本当にショックだった。それまでも、自分が周りのものよりも飛びぬけて端正な姿をしているなどと考えたことは無かったけれども、それでも中位かそれより少し劣る位であろうと思っていた。しかし、実際には私の姿はそれよりはるかに劣るものだった。まったく、惨めだった。そして、そう思いながらもまじまじとその惨めな姿を観察した。
私の顔はとにかく平たい。全体として全くといっていいほど凹凸が無い。そうした感じをより強くさせるのが私の目だろうと思う。私の目は分厚い一重の瞼に覆われた小さなものだ。眼裂も小さいが、虹彩、そして眼球自体も小さい。これは眼科で測定したことがある極めて科学的な事実だ。このやぶ睨みの一重瞼が私の印象をより暗い陰気なものにしているのは間違いないように思われる。その上、全くといっていいほど表情が無い。明るい気分の時でも不機嫌だとか、ふて腐れているなどと言われることが多々ある。実際に私もこれ以上ないというほどご機嫌なときに、ふと大きな鏡に映った自分の顔が目に入ったとき、自分の精神状態とは裏腹に明日にでもこの世界など消えて無くなれと言わんばかりの表情をしているのを見てぎょっとしたことがあるので、そうした言われようをされるのも残念ながら実際にそうであるが故に理解できる。
そんな目の下に、平たい顔から妙に大きな三角形の鼻が出っ張っている。まったくバランスの悪い、不似合いなくらい大きな鼻だ。妙に鋭角な三角形の鼻が、まるで鍋蓋の取っ手のように不恰好にくっついている。その様子から姉からは取れそうだとか、付け鼻だとか揶揄されたこともある。これは私の顔の中での唯一の出っ張りだと思う。
その下にへの字型をした小さな口がついている。男の口にしてはいくらか小さいほうだと思う。口角は下がっており、下側に向かって165度ほどだろう。いつだったか、口角を上げるトレーニングをしたことがあるが、どの筋肉を使えば上がるのか全く分からなかったのを今でも覚えている。指で口角を押し上げてみると、なるほど精神状態はそのままでも外から見た様子では柔和に見え、ポジティブな印象を与えるものだなと感心した。
その情けない3つの部位の下にこれまた小さな顎が付いている。顎自体は後退も前進もしていないが何より全体のバランスとして不恰好なくらい小さい。証明写真ではそれが特に顕著になる傾向がある。
横に目を移すと、奇妙な形をした扇型の耳が付いている。これがまた妙なもので、まるで動物の耳のように横に向かって立っている。正面から見るとまるでサルのようだ。一般的な人間の耳のように側頭部に沿って倒れていない。
その耳から斜め上部に目を移すと、つむじを挟んで頭部の二つの出っ張りがある。逆に言えばつむじの部分が平たくへこんでいるとも言える。なんにしろ、きれいな卵形ではなく、私の頭骸骨はあちこちがでこぼこと不恰好な形をしている。
その頭に生えている頭髪は癖毛で、俗に言う“天然パーマ”というものだ。縮れているというのではなくうねうねとうねっている。今でこそいくらか治まったが、思春期の頃は、そのウエーブはとんでもない方向へ曲がっていって、その上猫っ毛なので、少しのびてくるとくるくるの髪が額にぺったりとくっついて、全く情けないバカな漫画のキャラクターよろしく、ずいぶん惨めな有様になっていた。いや、あの頃はとても苦しい思いをした。
まぁ、こうして自分の醜いところを挙げ始めればきりが無いのでこれ位で止めておく。
そうして私は自分の醜さをはっきりと認識した後、それから一切写真を撮らせなくなった。理由は自分の醜い姿が形として残ることを自分自身で許せなかったからだ。そのために記念写真と証明写真を除けば私の写真はひとつとしてこの世にありはしない。その考えは今でも変わらない。この世に残るものは美しいものだけでよい。私のように醜いものがその姿を行政上の記録として以外にこの世に残すことは全く不必要なことだ。その代わり、それ以降私は以前にもまして美しいものを愛するようになった。また、自分が醜いが故に、美しいものを自身の手で生み出したいという欲求に駆られるようになった。
ずいぶん長い話になってしまったが、これが私が絵を描くようになったきっかけのひとつだ。
美に取り憑かれるようになったきっかけのひとつである。
逆に言えば、私がもし人並みの容姿を持っていたとしたら、こうしたことにも取り憑かれずに済んだかもしれない。