私には時々訳もなく、体の中で怒りに似た、獣じみた醜い感情が昂ぶって暴れ回ろうとする時がある。今日は前触れもなくそれが現れて、危うく今朝はもう少しのところで大声を上げてしまうところだった。


この獣じみた感情は何の前触れもなく現れる。得体の知れないもので、何を求めて動き出したのかも分からないものだ。怒りに似ているといったが、その対象が何であるかも分からないし、だいたいそうしたものが在るのかどうかさえ分からない。とにかく強烈に凶暴で暴力的な力が体の内部に渦巻いていて、しきりにそれが外に出ようとして暴れまわるのだ。


そういう時はとにかく暴れたいと体が疼いて仕方がない。大声を上げて何かを圧倒し、拳で気の済むまで何かを殴り続けたい衝動に駆られる。血を見たいという感覚とは違って、とにかく何かを目茶苦茶に破壊したいのだ。気の済むまで何かを粉々にしたいのである。


全く、自分のこうした気違いじみた部分が嫌で嫌で堪らない。


これも休日に起こってくれれば無理矢理にでも体を眠らせて一日やり過ごすことが出来るのだが、平日の朝に起こるとその日は一日が終わるのが非常に長く辛いものに感じられる。それでも今朝は奇声を上げることもなく何とかやり過ごすことが出来た。これを書いている今でさえ、実際のところ自分を上手くなだめすかしてコントロールしながら書いているのだ。





もう随分大人しくなったようだ。朝飲んだ風邪薬が効いてきたようで、頭がぼぅとするかわりに外部感覚が鈍くなって外からの刺激をうまく麻痺させてくれているようだ。落ち着いてきたらどっと疲れがでて眠くなってきた。



暴れ回る衝動を抑えるのはとても骨の折れる仕事だが、こうしたものと長い間付き合っていると自然と対応策というか、処方箋的な手段を身につけることが出来るようになるもので、今回もそれで何とか無事峠を越すことができた。


手段というのはとくに特別なものではない。とにかく自分の中にいて、時折目覚めては暴れ回る獣の部分を満足させてるような刺激を体に加えてやればよいのである。


大声を上げたり、ひたすらに何かを殴りつけたりできればよいのだが、そんなことはとてもできるものではない。人に迷惑がかかるし、危険な人間と思われて精神病院ヘ入れられかねない。そんなことはおよそ賢明な方法とはいえないし、それに確実に手に怪我を負ってしまう。そんな事をしなくても歯を強く食いしばってみたり、口の周りの筋肉を頻繁に動かしたり、目をむいてみたりといったような、人の体に残っている動物の部分の筋肉に刺激を与えてやるだけで不思議なことにかなりこの獣の衝動は大人しくなってくれるのである。詳しいことは分からないが、口の周りに多く存在している原始的な快感を受けやすい部分を刺激してやることで、脳と精神の古い獣の部分が一時的に騙されているのだろうと私は思っている。


もちろんこのようなことは人前ではできない。とんでもなく滑稽だし、とんだ馬鹿面だ。そうしたわけで、絶対に人に見られないようにして行われなければならない。幸いにも私の周りにはあまり人がいないので容易に獣の筋肉に刺激を与えてそれらを騙してやることができる。




こうした人間の獣の部分に抵抗するのは実に骨が折れる。

安堵感からか、どっと疲れが出て眠くなってしまった。

今日は最悪の天気だ。帰りまでに少しでも収まってくれればいいが、どうやらこの様子ではそれは望むべくもないようだ。雨の粒も大きいし、何より風が強い。しかもその風が激しく巻いているので、一足進む毎に風向きが変わるような有様だ。今朝は時折吹き付けてくる風のあまりに強い勢いのためにしばらく動けなくなることもあったほどだ。


昨日は公立小学校の入学式だったようで、夕方曇り始めた空の下を両親に連れられて式から帰って来る新入生の家族に度々行き会った。本当に天気が一日ずれて幸いだったと思う。そうした晴の日に今日のような天気ではあんまりではないか。


その日は式への出席だけだったためか、男の子も女の子も共に手ぶらだった。下ろしたてのぴかぴかの靴に真っ白な靴下をはいて、嬉しそうにぎこちないリズムでスキップを踏んでいる姿がとても微笑ましかった。私の通った小学校には上着だけ制服があった。それは四つ釦の紺色のジャケットで入学に先立って購入するのだが、だいたい二年生か、人によっては三年生位まで着ることができた。しかし私が見たその小さな新入生達が着ていたのは学校の制服ではなくて、子供用の一揃えの小さなスーツだった。当然のことだが、その子達がそのスーツを着て翌日から毎日学校へ登校することはないだろうと思う。近いうちに必要になることがあったとしても、その頃にはもう小さくなっていて着ることは出来ないだろう。ことに女の子の場合、体の成長スピードが小学校の間は男の子よりもずっと早いために、まず二度とその服に袖を通すことはないだろうと思う。しかし、そうした二度と着ないかもしれない服をその日の為だけに新たに両親が用意したであろうということは誰の目にも一見して分かることだった。


私が目にした家族のうち、おそらく一部の母親は、その入学式に一度袖を通しただけの真新しい服を箱の中に仕舞い込んで後々まで大切に保存することだろうと思う。六年間の使用でランドセルはくたくたに使い込まれてしまうのだろうけれど、その一度しか着ていない服は何年経とうとその時の新しいままを保っていることだろうと思う。随分以前に目にしたことだが、私の母も私が小学校の時に着ていた、まるでおもちゃのように小さな紺色の制服を、もう二度と誰も袖を通すことなどないのに、大切に衣装ケースに保存しているのを見たことがある。更衣の時に目にしたのだが、開けられた衣装ケースからは防虫剤の独特な匂いがして、その匂いが部屋中に充満していたのを今でもその匂いと共に覚えている。おそらく今でもあの時のまま、プラスチックのケースに仕舞い込まれて保存されていることだと思う。もちろん母は年のせいもあり、そうして服を仕舞ったことなど今ではもう覚えていないかもしれない。ただただ化石のように押し入れの奥に眠っているだけかもしれない。しかし、そうして大事に保存してくれたその行為がとても有り難く、尊いものに思われるのである。


私の母は何でも溜め込んでなかなか物を捨てられない人なので、私の制服もそうした彼女の性質からそうして保存されたのかもしれない。とにかく物を処分することができない人なので、その結果とんでもない掃除下手、片付け下手である。祖母がいてくれたので何とかなっていたが、そうでなかったらと思うと実に恐ろしい話だ。しかし、それでもそうした物を捨てられない性質が、物に思い出や記憶を強く結び付けるところからきていることも私はよく知っていた。ひとつひとつはごくつまらないものなのだけれど、彼女にとってはそのつまらない小さなものでも大切なものなのだと思う。


私が見たその小さな新入生がそうしたことを知るようになるのはずっと先で、その上それを有り難いと思えるようになるのはさらに先のことだと思う。人間とは愚かなもので、ある年頃など自分一人で大きくなったかのように思い違いする時がある。まぁそれでも、そうした勇んだ青臭いところがないと若者としては逆に頼りなく思えるところがあることも事実だ。しかし、そのような無軌道な時代を経て、いずれはそうした真心が分かるようになってほしいと思うものである。親を親として認識している時分は、親がそのままずっと自分の傍にいるかのような気がするものだが、ある時目から鱗が落ちて、親を一人の人間として見ることが出来るようになった時、その残されている時間のあまりの短さに愕然とさせられるものだ。そしてその一人の人間が自分のためにどれほどの愛情を注ぎ、苦労をし、理不尽を忍んでくれたかに思い至った時、どれほど頭を下げても下げ足りない思いがするものだ。


今私が話したことにうまく合点がゆかなかったとしたら、そうした者は自らがまだ温かい繭の中かネバーランドの住人だと思ったほうがいい。又、言い換えれば、未だ青春の只中におりその道を疾走しているのだとも言えるだろう。


小さな子供達の足どりを眺めながら、私はそうしたことをひとり考えていた。どれほど遅くなったとしても構わない。いつか知るようになって欲しいと願うものである。

東京は桜が咲き始めるのも散り始めるのも本当に早いものだ。どういった理由からそうなるのかは知らないが、街自体が熱源のようになっているということが原因のひとつであろうことは確かだろう。どれほど満開に咲き誇っていようと、それをゆっくりと眺められるような時間がなかなかとれないので、その見事なうつろいを十分に堪能することが出来ずに、いつも私は朝の僅かな間に、まるで時間に背中を押されるような思いで眺めていた。天気も良く、満開の桜がそよ風に優しく揺られているような日などは、そうしたものとは正反対の、ビルの一室に閉じこもってやるような仕事が非常に恨めしく、何とも疎ましいもののように思われた。しかし、働ける仕事があるだけでも有り難いことだ。そうしたものに恵まれなかったことが多かっただけに余計にそう思われる。


早くに咲き始めた枝のものは、もう大分散ってしまっていた。その桜の植わっている広場の黒い土の上に、殆ど白く見えるくらいの桜の花びらが無数に落ちていた。その場所の土がとても黒っぽい色をしているために、対比の効果でまるで土の上の花びらが幼い頃に見た星空のように見えた。花びらを落とした枝は、まだ花の残っている枝と比べると随分淋しくなっていたが、枝に残った赤みを帯びた花の萼がその淋しさをいくらか補っていた。


そうした桜の花と入れ替わるようにして、同じように植樹されている落葉樹の木々が若葉を出してきている。若葉が出始めたのに気付いたのは十日ほど前のことだ。その頃はまだ蕾から葉を出し始めたばかりの頃で、遠目に見て木々の枝先に黒いものが確認できるかどうかといったほどの僅かなものだった。それはあまりにも小さく、あまりにも頼りないもので、四月の少しずつ強くなり始めた光にその存在が簡単にかき消されてしまうほどだった。そういったごく小さな変化だったものが、毎朝見上げる度に姿を変えてゆく。最初はわからないほどのものだった輪郭が次第に大きく、はっきりとしたものになっていった。外に出たばかりの若葉はまだ赤黒いような色をしていて、その色が遠くからも日を透かしてはっきりと見て取ることができた。その赤黒い若葉も二、三日もすると明るい目の覚めるような緑に変わり、少しずつその数を増やしていった。今朝見た時には、もう上の枝先の方はほぼ出揃っていて、青々とした緑が朝の程よく冷たい風に吹かれて揺れていた。その木は幹周りからして、もうそれなりの樹齢があるものと思われるものなのだが、僅かに纏った若葉を優しく風に揺らしている姿は何となく初々しく、まるで青年のように若返って見えた。




昨夜はずっとエスキースの制作にかかっていた。輪郭も定まらないような朧げで、落書き同然のものを描き留めたスケッチから、重要な要素だけを選別し、形を与えてやるという作業の第一段階である。昨日の夜の段階で、全体のおおよその構造は確認することができた。明暗のみで着彩してみて、完成時の画面の見え方もある程度想像することができた。しかし、まだイメージを固めきれないところがあるので、もう少しこの作業を続けて煮詰めてゆかなければならないだろう。先ずは形態をもう少し見直さなければならないだろうし、色彩を使って様々なパターンを試さなければならない。習作用に使えるパネルはもう既にあるので、今張られている以前描いた習作を外して新しくキャンバスを張り直すつもりでいる。私は自身の技法の性質上、木枠ではなく木パネルにキャンバスを張って支持体としているので作るのが木枠のものよりも幾らかやりづらく、時間がかかるのだ。紙の上で構想が練り上がるまでにはそれらを用意しておかなければならないだろう。


今年はタブローと呼べる水準の作品を最低二点制作するというのが私の目標のひとつである。そのためには幾つもの習作や駄作ができてしまうだろうが、そんなことは構いはしない。それよりも今年はそれが出来そうな気がするのだ。そういう予感がする。それでも予感を予感で終わらせないために努力しなければならない。