空は白く濁っているがとてもよく晴れている。しかし、天気予報によると晴天は今日までのようで、明日からはまた天気が崩れるとのことだ。


昨日見かけたツバメが今日も飛んでいた。昨日は飛んでいるところを見かけただけだったのだが、今日は通りに面した一戸建ての家の軒下に入っていくところだった。その家は狭い敷地に建つ家の典型で、一階の玄関脇が駐車スペースになっている三階建ての家である。いつもは車が停まっているのだが、車が出ていてその場所にないときなどは、奥の方に奥さん用や子供用の自転車ががらんとしたコンクリートのスペースの端に壁に沿うようにして停めてある。子供用の自転車にはまだ補助輪が付いていて、その側には小さな遊具の車が置かれている。


視界に入ってきたツバメが軒下に入ってゆくと"ギャギャギャ"という雛の声が聞こえた。私は頭をいれて軒下を見上げてみるともう既に巣がかけられており、三羽か四羽ほどの雛鳥が大きな口を開けて盛んに鳴いていた。この場所は朝しか通らないため、いつも通る道ではあるがいつの間に巣をかけたのか全く気がつかなかった。


誰から教わったわけでもないのに上手い具合に親と同じ巣を作り、同じ季節に渡ってきてまた去ってゆく。動物はどのようにして時を知り季節を知るのだろうか。


ツバメは巣をかけさせてもらった家に幸運を置いてゆく。その小さな自転車の持ち主にいつまでも幸福が続くことを願いたい。

今朝ツバメが飛んでいるのを見かけた。桜の季節が終わったばかりだと思っていたのだが季節が巡るのは早いものだ。通勤路の歩道の植え込みには赤や白、ピンクの花が無数に咲いている。まだ押されるような強さはないものの、明らかに強くなり始めた光に照らされて遠目にはきらきらと眩しく光っているようにさえ見える。そこ此処にタンポポが咲いていて、黄色い花弁を反り返るほどにいっぱいに広げている。時期的にまだ綿毛になったものはみられないが、しばらくすればきれいなふわふわとした綿毛をつけたものが見られるだろう。他にもオオイヌノフグリやカラスノエンドウなどの雑草と呼ばれる野の草がたくさん花をつけて短い花の季節を謳歌している。


最近私は精神的にも肉体的にも極めて不安定な状態が続いている。両方とも日替わりで、まるで猫の目のように変わるので自分をコントロールするのが本当に困難な時がある。昨日など朝から一日中頭痛が酷く、おまけにインフルエンザに罹ったときのように体中の関節という関節が痛んで、体を動かすたびにギシギシと軋む音が聞こえてくるかのようだった。本当なら仕事どころではなかったが、それでも何とか一日をやり通した。家に帰り着くまでは本当に辛かった。頭痛が引き起こす目眩が酷くて普通に歩いていても何度も足が縺れて転びそうになった。家に着いてからはすぐに頭痛薬を飲み、湯舟を張ってゆっくりと浸かり全身を揉みほぐした後、その日は早めに休んだ。


昨日に比べれば今日は格段に調子がいい。少なくとも頭痛はしない。目の奥の痛みや倦怠感は残っているがそうしたことは一年を通じてあることだ。しかし、一年の内で春は一番好きな季節なのだが、何故かこの季節になると心身共に不安定になり鬱症状に悩まされることが多い。全くどうにかならないものかと思う。



先日、司法書士事務所から連絡があった。以前依頼していた借金の利息の再計算ができたとの連絡だった。過払い金はあるにはあったがそれは微々たるものだった。それを支払わせると成功報酬が発生し、私の側からすると支払い額が増し損になってしまうので払わせることはないと思う。それでもそこの支払いは無くなっていたのだからこれ以上のことはない。それにしても、すべて合算して年収ほどあった借金が月の給料よりいくらか多いくらいになっていたのには本当に驚いた。こうした手段に踏み切る前は未来など全く見えなかったが、整理後の金額ははっきりと返し終わる未来が見えるものだった。話によると、五年ほどはどこからも借り入れは出来なくなるらしいが、それでも先の見えない暗闇に稼ぎの大半を放り込むことにくらべればずっといい。今までは夢として諦めていたが、上手くすれば借り物ではない自分の住所を手に入れることも不可能ではないかもしれないと思えるようになった。

もうすっかりどの桜も葉桜になってしまった。芽吹いて間もないと思っていた若葉もすっかり出揃ったようで、今はまだ若々しい緑色をしているがその色が日増しに濃くなっていっているのは遠目にもはっきりと認めることができる。今朝も淡い緑の若葉が春の風にざわざわと気持ち良さそうにそよいでいた。


気が付いたのはもう二週間ほど前なのだが、今年もハナミズキの咲く季節になったらしい。まるで枯枝のように水気の無かった枝先に小さな拳のような蕾ができて、まだ冬の寒さの残る空気のなかでじっと堪えていたのがつい最近のことのように思われる。それが桜の咲く少し前くらいから蕾が割れ出して、小さな若葉が顔を出しておずおずと外の様子を伺うほどになっていた。本当に小さな若葉で頼りないことこの上ないほどだったのだが、今では何枚もの葉を出して一身に光を集めている。まだ花を咲かせるには幾らか時期が早いが、おそらく月末近くには花を咲かせていることだろう。そういえば、ハナミズキの花のように見える部分は正確には花弁ではなくて萼であるそうだ。しかし、そんなことは私にはどうでもいいことだ。私の目に彩りを与えて楽しませてくれるものであれば花であろうと葉であろうと何だって構わない。



先週末は給料日前ということもあり、私はずっと家にこもっていた。お金を節約する必要もあったし、だいたい特に出掛ける用もなかったからだ。都合よく天気もぐずぐずとしていたこともあって外に出掛ける気を起こさずに済んだ。そうして家にいる時間を絵の制作や部屋の掃除、料理を作ったりすることにあてていた。


一日家の中にいると好きな時に横になれるので昼寝もしたいだけすることができる。そのせいか、そうした日の夜はなかなか眠れないものだ。日付が変わり、一時間経ち二時間経ちしてもなかなか眠気は訪れない。それでも明日のことを考えて睡眠をとっておかなければと思いベッドに入り横になるのだが、それでも眠ることは出来ない。しばらく前までは窓の外でちらほらとついていた家々の窓の灯りもすっかり消えて、幹線道路から離れたこの辺りは車の音も聞こえず辺りはしんと静まりかえっていた。常夜灯を点けない私の部屋は真っ暗で、その真っ暗な部屋の何処とも分からない宙空にぼんやりと視線を預けながら、私は取り留めのない切れ切れの思いが頭に浮かんでは消えるのに自分自身を任せていた。頭に浮かんでくる思いなど愚にもつかない取るに足らないものだ。しかし、それでも有り余った力を弄ぶように脳は私の色々な記憶を復元しては暗闇の中に投げ捨てていた。


もう卒業してから一度も会ったことのない多くの同窓生の顔が浮かんでは消えていった。もちろん名前などもう殆ど覚えてはいない。教室の風景や休み時間のがやがやとした騒がしい話し声、学校の椅子や机が立てる独特の音が教室の壁に反響していた。廊下ではエコーがかかったような楽しそうな笑い声がいつも響いていた。春の窓際の席はぽかぽかと暖かくていつも眠くなったものだった。頭を持たせかけたアルミサッシの桟は春の日差しの中でもひんやりと冷たかった。前の席の椅子の背もたれに書かれた意味の分からない落書きを眠い目でぼんやりと眺めていたのをよく覚えている。


バイト先の狭い厨房、背ばかりひょろ長い店長、可愛い後輩、面白い眼鏡の男、様々な職場に様々な人、太ったのや痩せたのなど次々と現れては闇の中へ消えていった。思えば多くの出会いがあったものだと思う。しかし、その中のひとつとして私の周りに残ったものはない。何もかもが消えていった。今はその記憶が刻まれた場所と遠く離れた街でひとり暮らしている。



なかなか眠れないうちに外は白々と明るくなってきて、窓から入る光がイーゼルに架かった絵を青白く照らし闇の中から浮かび上がらせていた。私はその光景を見ていると何ともいえない侘びしさが込み上げてくるのを抑えることができなかった。


外では朝刊を配る配達のカブの音が聞こえてきた。郵便受けの間を走っては止まり走っては止まりする規則的な音が朝の青い光の中で響いていた。学生のころ夜から朝までのバイトをしていたことがあるが、丁度この時間になると同じ音が聞こえていた。一日の始まる、この世界の何者かが動き出すような気配が感じられるような時間が一日のうちにはあるのだ。眠っていた何かが起き出してきて、ざわざわと騒がしく動き出す時間だ。それは譬えるなら夏の遠雷に似ている。


そうした世界の騒ぎ始めた音を聞きながら、ふと訪れた眠りに誘われて私はようやく眠りにつくことができた。



目覚ましに起こされた時には外はもうすっかり白い昼間の光の色に変わっていた。二時間ほどしか眠ることができなかったので、その日は一日中かなり眠かった。