母が亡くなる3日前

この日はモルヒネの持続投与で鎮静をかけているにもかかわらず母は何度も目を覚まし
『溺れそうなくらい苦しい』と言っていました



鎮静薬の投与量を徐々に上げてもらいなんとかコントロールしていたけれど、それでも目が覚めて酸素マスクを取ろうとしたり身の置き所がないようなどうしようもない状態で、私は側から離れられずにいました


そんな時緩和ケア病棟の先生が母の病室を訪れ
緩和ケア病棟に移動できることになったと話に来ました



本来ならあと数日で亡くなる患者は緩和ケア病棟にわざわざ転棟せず今いる病棟で最期を迎えることも少なくない中で、奇跡的に緩和ケア病棟に入棟できることが決まったのです


最期は絶対に緩和ケア病棟で過ごしたいという
母と私の思いが叶った瞬間


今日1日ここで頑張れば母の精神的な苦痛も
全て和らげてくれる病棟にいける!!ということがすごく嬉しかったです


あまりの辛さに母は『今夜が山場なの?』

『今先生が来たけど、もう今夜亡くなるって言ってきたの?』


と聞いてきたので




私は

『明日緩和ケア病棟に移動してもっともっと辛さを取り除いてくれるところに行くんだよ。そばにいるから呼吸が辛くなったらすぐに看護師呼ぶから大丈夫だからね』



『孫たちもみんなそばにいるから何も心配いらないよ』




涙を堪えて笑顔で励ますのが精一杯でした




思い返すと母は闘病中にも関わらず

私が仕事復帰をしてからは夜勤で家を開ける日には、夜に泊まり込みで手伝いにきてくれて孫達が寂しくないようにいつもそばにいてくれた母


子供が熱を出し私が勤務を休めない時は始発に乗って私の出勤に間に合うように駆けつけてくれた母


子どもたちは私の母に育ててもらったといっても
過言ではないくらい、沢山の愛情を注いでくれました



長女が不登校になりご飯も食べられなくなった時は、私の母がご飯を食べさせると口を開けてくれたので急激な体重減少を少しでも抑えることができました



そして何よりも

妊娠した時に誰よりも孫の誕生を楽しみにしてくれたのです

子どもたちがおばあちゃんの辛そうな様子を見るのは初めてだったと思う


ばぁばの手を握り身体をさすり声をかけて
おばあちゃんの側から離れませんでした

わたしは今まさに命が終わろうとしている母に
どうやって感謝を伝えたらいいんだろう…
私があんまり感謝の気持ちを伝えると
母はもう自分はダメなんだ手の施しようがないんだと気付かせてしまうかもしれない



だけど、ちゃんと言葉にして感謝の気持ちを伝えたい!そうやって葛藤しながらも時間は待ってくれず生きることを諦めない母に上手く感謝の気持ちを伝えられないまま母の旅立ちはすぐ目の前まで迫っていました