前回のブログ





2020年10月21日
母が亡くなる前の
最後の受診日だったので



その時のことを思い出して
久々に涙が止まらなく
なりました

私が元旦那と
別居することになったとき

母は都内に住んでいて
自宅近くの病院で
長年治療を受けていました


長く通院していたにも関わらず
私の住む街まで県をまたいで引越しをして

通院する病院も転院し治療を継続してくれました





その時の母は
再発した鎖骨リンパ節の癌が、母の頭の大きさくらいに腫れ上がり今にも破裂しそうなくらい大きくなっていて…



なのに
私と孫たちの力になりたいと父に相談し

私たちの住む街へと
引越しを決めてくれたんです


母の一声がなければ
同居はおろか今私はこうやって生きていられなかったかもしれない


それから4年が経過し2020年
母が亡くなる4日前
一般病棟に緊急入院‼️



自宅から救急車で運ばれるときはストレッチャーに仰向けになれないくらい呼吸苦が強く


救急隊と一緒に私も背中を起こしてなんとか車内に入りました




もう  いよいよ
お別れが近いのに私はそれを受け入れることが
できずにいました


病院に着くと休日で居ないはずの主治医が駆けつけてきて母にこう言いました


「○○さん(母)、今はとにかく呼吸が楽になる治療を優先にしましょう。緩和病棟に行って苦しさを楽にしてもらうのがいい。この苦しさじゃ、抗がん剤も飲めないから、一旦内服は止めて、点滴から呼吸が楽になる薬をしてもらうのはどうだろう?もしそれでよければ、直ぐに緩和病棟の申し込みをしますから」



(´;ω;`)





主治医は母を傷つけないように優しい言い回しで説明してくれて治療の中止と緩和病棟に行くことを母自身が納得できるような説明をしてくれたのです




14年間続いた治療が
終わる瞬間








病室に着き
酸素投与とオキファストという
麻薬の皮下注射が始まり



少しだけ呼吸が楽なったとき一番最初に口にした言葉は

「〇〇ちゃん(孫)は何してる?
ご飯食べさせた?」



でした




コロナ禍だったので子供の面会は難しいと思っていましたが終末期だったため特別に面会の許可が降りたので、急いで家で留守番をする私の子供たちを連れて母の元へと行きました




子供たちが到着すると


母は…


息子に
「すごくかっこよくなったね」

と力いっぱいの
声を出して伝え


娘には
「可愛いよ美人さんだよ」


と笑顔で話しました。



しばらくすると皮下注射だけでは呼吸苦が落ち着かない状態になってしまい、会話が出来なくなってしまう覚悟でモルヒネ投与が始まりました



穏やかな顔で眠る母をみていたら


ありがとうという気持ち以外何も言葉が見つから
なかったです





母のお陰で息子はかっこよく成長し娘は可愛くて美人さんに育ったんだから



全部母のお陰なんだよ



まださよならなんて言えないよ


まだまだ成長する姿を見せたいし子ども達の結婚式にも参加してもらいたい




溢れ出る涙が止まらなかったのを今でも覚えています









ここから母が天国へ向かう
カウントダウンが始まりました









母の仏壇に新鮮な花をお供えできるので
助かってます