鉢かつぎ
ガソリン入れて、DVD借りてヒーター入れてフィールドオブドリームスを見た有り得んし、クサい。わかっちゃいるけど、なんでだろう?バート・ランカスターのシーンはジーンと来る。やりたいことができる人は限られる、やりたかったことができなくても・・・明日は休みだ普通の人とは違うから、休んでいいときは休める。その代わり、人と違って理不尽なくらい休めない日のほうが多い。そんな生活に慣れてはいないけど、そう思うしか心の整理がつかない。そういう人も世の中にはいないと、社会というものは回らない。誰もが週末休んでたら社会生活は麻痺する。自分がそうなるとは思わなかったし、なりたかったわけでもない。結果的にそうなってる。自分で、どちらを選ぶかだ。人がやりたがらないことをしないと、なかなか居場所は見つからない。幸いにして、最初から人と同じは嫌なタイプだったからな。人ができないことをしてやろうと、ずっと思ってた。そしてそうなった。ドラマの主人公になった。やっとだが。本当にやりたいことではなかったのかもしれない。でも、それなりに魂を注げる仕事にありつけた。辛い仕事ではあるけれど、そこから逃げる気持ちは起きない。休みたいな、とは思うが、不思議と休まない。以前なら、時々、休んでしまえと思って、本当に休んでた。布団かぶって嫌なことをやり過ごそうとしてた。それで逃げられるわけでもないのに。やっぱ嫌な仕事は嫌なのだ。どんなに頑張ってみても。砂を噛んで我慢しても望みが叶えられず、とうの昔に涙も涸れてしまった。おれは、おしんか、小公女か?嫌じゃない仕事を手に入れるだけでも簡単じゃない。歴史に名を残すところまではいかないだろうけど、やった仕事を歴史に刻み付けることはできるのではないか。ちょっとだけでもいいから世界を動かすことができたら。その原動力が、実はこれまで散々受けてきた世間の仕打ちから出ていたとすれば?事実、なぜかこのところやってる仕事は、自分が歩んできた過去の苦い歴史をなぞりつつ進むことが多い。過去に前例のないことをしなければならない今の時代、テストの成績が良かっただけの人間では、対処の仕方がわからずにっちもさっちもいかない、結局、異質な経験を経てきた俺にお鉢が回ってくる。お鉢が回ってきたからといって、結果を出すのは容易じゃないけど、これまた怪異な経験を積んできたことが役に立ってしまう。やったからといって、頭のいい人間たちは、便乗しようとすれ、決して評価せず、むしろ過小評価しようとしてくる。それも十分わかってる。そのために飼われているのだろうことも。普段は使い道のない化け物を飼ってる人らは賢いと思う。化け物はそれでも十分に感謝して生きていける。これもお伽噺、奇譚のたぐいとなるのだろう。現代でもお伽噺はある。