土俵にのぼる
相撲の世界は八百長問題が騒がしいようだが,八百長自体は完全になくすことはできないと思っている。関取同士の星のやりとりは,古来からの様式美を維持するための負の部分という側面でもあるから。ガチンコばっかりやってたらケガが絶えず,選手寿命も短い。ヤワな相撲取りが増えたとオールドファンは言うのかもしれないが,今時,誰が好き好んで相撲取りになろうとするか?子供や孫にさせたいスポーツか?完全に八百長辞めたら,単にデブが激突するだけのプロスポーツになってしまって,逆に,見てもつまらなくなるような気がする。けが人ばかり続出で,面白い組み合わせが作れなくなるリスクだってある。別にオリンピック種目じゃあるまいし,そこまで目くじら立てる必要はない。競走馬だって,しょっちゅう走らされたら,伝説のオグリキャップだって体調万全じゃなくて勝てないレースもあった。(体調万全なら,どんだけすごかったんだ?)星を買う,売るにしても市場原理があるだろうから,買ってばかりも,売ってばかりもいられないんだから。基本,8割程度はガチンコ勝負せざるをえないんだろうから,8割は本物の勝負が見れると思って割り切って考えるのもありなんじゃないかと思ったりしないでもない。問題は,年間6場所制の過密スケジュールにも起因するとも考えられる。まあ,フルでガチンコ勝負やるなら,けがの回復を考慮して,精々3ヶ月に一場所開催の年四場所制にするのが妥当なところじゃないのかな。八百長問題を突き詰めていけば,当然,場所数を減らす議論に行き着くはずなので,お年寄りの楽しみが減ることにはなる。その分,充実した取り組みが増えて,ファンにとっては3ヶ月後が待ち遠しくなるから,人気が増すし,なかなか手に入らないプラチナチケットかもしれないのは,いた仕方ない。その分,申し訳ないけど,相撲茶屋さんやNHKには泣いてもらうことになるのだが。残念ながら,伝統と,商業主義のはざ間にいる犠牲者でもあるわけだから,思い切ってボイコットしてみりゃいいんだ。場所数は減らしたほうが絶対いいって。希少価値が高まるから,安易に誰も批判できなくなる効果がある。瞬間的には収益が減るから,弱小の相撲部屋にはきついかもしれないが,相撲界全体で見れば,中長期的には収益基盤が磐石になる。相撲用語は,歴史が古いだけに練れている。色街言葉もそうだ。やはり土俵にのぼらないことには話しにならない。土俵の下にいるのは,観客と付け人だ。まずは土俵に上るまでが大変なのだ。序の口,序二段,三段目で,日の目を見ない勝負を繰り広げても誰も評価しない。マイナーリーグ,ハンバーガーリーグ,J3でも本当はそこにこそ,素人の目には分からない魅力がある。文化って,そんなもんだろ?評価が固まっていないところに価値を見出す醍醐味が,見る側にもあるわけじゃん。俺も仕事してて思うけど,それなりの形になるまでが,とにかく大変なわけよ。形になるまでに,いろいろと工夫して,人に見てもらえるような試作品を何回も作っては,その都度ダメ出しされて,苦労して,いろんな人の意見が入って,どうにか見れる形ができてっての作業を繰り返すわけだけど,最後の完成品になると,「これはすごい!今まで見たことがない」とか勝手に他人が言うわけじゃん。「それまでの苦労を解って言ってんのかよ!あんたらは気楽でいいよね」とか思うんだけどさ。そんなこんなで,俺も,たぶんかつてなかった作品を作ったらしいんだが,実際に作ってる現場の人間からすると,作品が日の目を見るころには,賞賛もクソもない世界で,ボロカス言われながら次の作品作りに没頭してて,過去の作品の評価は好きにしてくれって感じなわけよ。土俵に上る前が本当の価値であって,いざ土俵に上ったときのことには興味がない。そうは言っても,土俵に上ったときの評価が最終的には価値を決めるんだろうけども。