日本って、長期デフレに苦しんできて
今も、需要不足は相変わらずなんだけど
戦後に、デフレってほかに経験したっけなと考えていると
そうだ、ドッジ・ラインがあったじゃんと思い至る。
敗戦後4年目の昭和24年(1949年)年初
マッカーサーは、対日占領政策の転換を示唆する。
「日本の民主化は終了し、今年は経済の安定に取り組む年である」
マッカーサー GHQ総司令官
2月、トルーマン大統領の特命を受け、GHQの経済顧問として
ジョセフ・ドッジ公使(デトロイト銀行頭取)が来日
「日本経済はアメリカの援助と国内のさまざまな補助金の
二本足でやっと立っている。
足が地についていない〝竹馬経済”であり、自立経済を達成するためには
〝竹馬”を切り落とさなければならない」
ジョセフ・ドッジ
ドッジ・ライン(荒療治)
① 一般会計のみならず、特別会計、政府関係勘定を含めた総予算の
各年度ごとの財政収支を均衡、黒字化させる。
② 政府の補助金の思い切った削減と、すべての補助金の可視化
③ 復興金融金庫の新規貸し出しは打ち切り
通貨供給の抑制によりインフレ要因を根絶する。
④ 1ドル360円の単一為替レートを設定し
日本経済の国際市場への復帰を可能とする。
などを命令し、吉田内閣は、この狂気の予算を作成、敢行、成立
昭和24年4月25日から、米政府の強い意向で1ドル360円の単一為替レートが実施
5月16日、GHQによって、東京、大阪、名古屋3証券取引所の再開が許可され
占領経済から、自由経済へと大きく舵を切る。
同年5月には、税制改革のためにカール・シャウプ(コロンビア大学教授)の
使節団が来日し、ドッジ・ラインの経済安定化を税制面から支援する
シャウプ勧告を行う。
シャウプ勧告
所得税中心主義の徹底、資本蓄積のための減税、法人税の減税
大衆課税の強化、補助金制度の見直しなど
国の負担を地方に回し、地方税を2倍にするなど
従来の税制の抜本的な改革を求めた。
ドッジ、シャウプの2大カンフル剤の効き目は強烈だった。
この強力なデフレ政策により、(占領軍の膨大な予算はそのまま)
翌昭和25年、消費者物価は、なんと7.2%下落
安定恐慌という言葉まで誕生した。
第2章 戦後経済復興期における経営
通貨供給は、政府部門と民間金融部門が行うのだが
この2つを閉めてしまえば、国家全体の通貨供給は強制的に止まる。
歴史の中を歩いてきて、経済政策について考えることが多くなった。
歴史上の人物でも、財政均衡主義から逃れられる人は少ない。
もしくは歴史の書き手が、経済、特に資本主義について
ほとんど分かっていないという側面もあるかもしれない。
塩野七生は、たくさんの歴史本を書いたが
経済について、まったく知識がないので、異常な財政均衡主義者で
貨幣についても、驚くほど左翼の金属主義者
一生懸命、金貨の金の比率を主張するのだが、すべて間違っている。
財務省の「うんこ税金ドリル」から考えるに、財務省=うんこ省
そして財政均衡主義者は、すべて「うんこ主義者」と言い換えてもよいだろう。
税金=肥料=うんこ、という「うんこ省」の定理に従えば
財務省=「うんこ省」なので
財務省のトイレは、すべて「ぽっとん便所」にすべきである。
声を大にして、この主張をしたい。
ドッジ・ライン不況から、脱線してしまった。
これもまた、財務省=「うんこ省」のせい
(P50~P51)