「思想は大衆の心をつかんだ時、力となる」

ウラジーミル・レーニン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イコール・パートナーシップ」という幻想

 

 

この標語は、50年以上語られているが

それは決して実現しないということである。

 

 

日本が米国の従属と誰もが知りながら

口先では対等と言うことは、一種のストレスになる。

 

 

対アジアとなると興奮するのは

無意識に堆積した「主権の欲求不満」の解消

 

 

「主権」とは何か

自国で安全保障を行う能力

 

 

第二次大戦後、これを維持できたのは米ソ2か国だけ

「主権国家」は、この2か国以外、消えた。

 

 

両陣営に属し、主権は実質的に制限され

国家主権という観念自体が、世界的に擬制となった。

 

 

戦後保守の例外は、福田恆存

 

 

「第二次世界大戦後の世界で単独防衛の可能な国は米ソ2か国にすぎず

戦後の世界において戦前のような意味での独立国は存在しえない」

 

福田恆存  『日米兩國民に訴へる』(P114・123)

 

 

江藤が夢想したのは、憲法を斥け交戦権を回復

それによって、米国と「対等な」関係に立つことだった。

 

 

福田も戦後憲法を批判するが

9条の改定は、主権回復を意味しないことを見抜いていた。

 

 

思考停止・自己目的化型の対米従属主義者に

批判的な後継者たちも、永続敗戦の構造の陥穽の中にいる。

 

 

要約

2001年9月以降、小泉政権下の”安全保障サークル”で

繰り返し議論されてきたテーマ、「日米同盟は手段か目的か」

 

 

「米国の言いなりじゃないか」と目的論を批判する若手が

「主体的に米戦略に参加することで発言力が高まる」と論じるのが、常

 

 

”戦略的親米”論者は、米国の要求の変化に応じて

敵を先取りして米国を巻き込むという考え

 

 

ある海上自衛隊員

北朝鮮だけでは足りない。中国に対する包囲網に米国を取り込む。

それが米国をつなぎ留める手段になる。

 

 

それは、米国の意思を先取りすることではじめて

自主性を確保できるというねじれた論理である」

 

豊田祐基子  『共犯の同盟史 日米密約と自民党政権』(P278)

 

 

米国の世界戦略に付き合わなくてすんだのは

平和憲法とソ連の力を背景とした社会主義勢力の有力さ

 

 

自己目的化した対米従属主義者を批判する彼らは

戦前の革新官僚や青年将校を髣髴(ほうふつ)とさせる。

 

 

批判して出してきたものが軍拡・戦争という構図によく似て

現代の「安全保障サークル」の若手住人も

 

 

永続敗戦の構造に目を向けない。

「米国の言いなり」から「米国の言いそうなことの言いなり」に進化して

 

 

他諸国との関係で何を失い、バカにされるのか

彼らは考えてもいない。

 

 

日米関係以外の世界は

彼らの想像力の外にある。

 

 

 

フセイン、ビン=ラディン、自民党

 

 

「それは親米的保守派から見れば、アメリカはどんなことがあっても

日本を見捨てないという希望的観測から来る安心感であり

 

 

反米的革新派から見れば、アメリカは自己の国益保持の為には

どんなことがあっても日本を手放さないという絶望的観測から来る反感であって

 

 

いずれにせよ、アメリカは政治的、経済的、軍事的に

日本無くしてはやっていけないという「自信」に基づいている」

 

 

福田恆存  『日米兩國民に訴へる』(P12)

 

 

福田は、このような「自信」にはなんら根拠がないという。

米国の死活的国益と日米同盟が、永遠に結び続けることなどない。

 

 

同盟の維持か破棄かの米国の判断は

国益の計算に基づいてなされるから

 

 

朝鮮戦争の結果、半島全体が社会主義陣営に入らず

韓国という国家の存在を、日本人は評価しておらず

 

 

朴正煕政権の強権的統治に対しても、熱心に批判していたが

日本社会はそういう資格を持っていない。

 

 

総力戦で敗北することで、属国化させられる厳しさによって

日本の戦後民主主義体制は、米国に強制されてできた。

 

 

永続敗戦の構造が維持不可能になっている状況は

その批判の刃が、米国から親米保守に向けられている。

 

 

戦後日本の親米保守に孕むねじれは、「米国的なるもの」が

「戦前的なるもの」を否定・断絶しているにも関わらず

 

 

「保守」が意味するものは、「戦前的なるもの」との

人脈的、価値観の連続性を含み、両者が曖昧に化合している状態

 

 

戦後の自民党政治は、「戦前的なるもの」を曖昧に共存させ

時に応じて、高めたり低めたりして、今日に至っている。

 

 

自民党は、占領政策を批判しているが

米国は結党を支援し、許容してきた。

 

 

全面的否定となれば、許容されず

その代表的な事例は、靖国神社問題となる。

 

 

日本の政治家の参拝は、東京裁判、ひいては米国ならびに

全連合国への不満のメッセージだから、米国は論理を突き詰めることをしなかった

 

 

「戦前的なるもの」を代表する安倍晋三は

第一次政権で、「虎の尾」を踏んでしまった。

 

 

2007年、訪米時、従軍慰安婦問題の歴史認識を追及され、謝罪と弁明を重ねる

2012年、第二次政権発足とともに、河野談話・村山談話の見直し

 

 

新見解を打ち出したが、米国のメディアが厳しい批判

「傀儡の分際がツケあがるな」と堪忍袋の緒が切れかけている。

 

 

米国が育て上げてきた、日本の親米保守の低劣さは

サダム・フセインやウサマ・ビン=ラディンと本質的に同型

 

 

イラン革命に対抗させたフセイン、アフガン戦争で対ソのビン=ラディン

このような覚悟はないが、日中の軍事問題の放置はできない。

 

 

選択肢は二つあり、対アジア諸国と友好関係構築

紛争を焚きつけて、武器の商機とするか。

 

 

前者だと、米国の後ろ盾なしに周辺諸国と向き合うことになり

後者だと、悪夢そのもののシナリオ

 

 

いすれにせよ、日本は米国から見放され、日本社会・国民は

永続敗戦の構造の本質に向き合わざるを得ない。

 

 

 

 

ゾンビと化したマルクス・レーニン主義視点で

拝米従属主義者をこき下ろすのは、けっこう面白い。

 

 

「闘争」「革命」「歴史」などを軸とするマルクス・レーニン主義

この思想から、暴力を抜き取ることはできない。

 

 

米国の総力戦、つまり非戦闘員の虐殺の肯定

北朝鮮は、今だ戦争継続中だから、拉致被害は甘受せよ

 

 

米国をはじめとした諸外国がおこなった

婦女子の強姦は、問題ない。

 

 

しかし日本国家・国民が武装することは許されず

戦場における売春婦は、日本だけ認められない。

 

 

暴力を全面的に肯定する一方、日本だけは許さない

こうした魔術的で曲芸のように論理を構成するのは、けっこう面白い。

 

 

米国なしで近隣諸国に向き合うことに

何か問題が生じるのだろうか。

 

 

後者を選択した場合、対中関係が戦争になるというが

それだと日本は核武装せざるを得ない。

 

 

歴史を改竄し、歴史を支配することも

またマルクス・レーニン主義の特徴だとも言える。

 

 

歴史の改竄、周辺諸国へカネをばらまき土下座を強要

核兵器所有国に対しても、ひたすら土下座

 

 


永続敗戦と非難する見地は、徹底した土下座主義であり

永遠の敗北主義から生ずるのかもしれない。

 

 

これが現代の日本人に受け入れられるかどうかは

いまいちよく分からない。

 

 

右であれ、左であれ、こうした徹底的な土下座主義は

諸外国から、侮蔑の目でしか見られないことは確かである。

 

 

 

 

 

永続敗戦論―戦後日本の核心(atプラス叢書) [単行本]

 

 

 

 

福田恆存評論集 第10卷 日米兩國民に訴へる

 

 

 

「共犯」の同盟史