ウラジーミル・ソローキンの「氷」。 | クリムゾンの箱

 

839作品目のSF小説は、ウラジーミル・ソローキンの「氷」。

 

一部と打って変わって雰囲気が違う。ミステリー風味で無機質な感じ。よくわからないので、巻末の解説を読んだ。
物語は、カルト集団が人々を拉致し、氷でできたハンマーで胸を殴打し、多くは死んでしまうが、原初の光の人々だけは生き残り、それによって心臓が「真の名前」を語り始める。そして、カルトの一員として受け入れられることになる話しなんだけども、ソローキン本人は「氷」について、「現代の主知主義に対する幻滅への反応」、「直接的なものへの哀愁」、「失われた楽園への郷愁」と述べている。

「主知主義」とは、「人間の精神において知性や理性を重視する立場」を意味する。現代では知識や理性を重視する傾向が強まり、食べ物から愛に至るまで、あらゆる側面で外部の知識や技術が介在している。知識やテクノロジーが進歩し、情報が溢れている一方で、直接的な体験や感情的な共感が薄れている。

テクノロジーの進歩により、仮想的な体験も増えているが、ハンマーで胸を打たれるような直接的な衝撃を感じることが少なくなっている。SNSやオンラインコミュニケーションが増えているが、同時に対面での人間関係が希薄になってもいる。

ネットは無数の情報で溢れているが、この情報過多は感情的な共感を鈍らせているのかもしれない。言葉を用いて自分の経験を伝えることができるけれども、それも経験そのものの影や模型であって、決して経験そのものではない。

直接的に利害が及ぶのは当の存在だけで、一個の存在と他の存在との間には深淵があり不連続性がある。「失われた楽園への郷愁」とは、我々はこの不連続性に対して不安を覚えることで、直接性を求めているということ。

直接性とは、個体という囲いの解体であり、自己存在の溶融であり、主客の合一、全体性との融合を意味する。「あー、直接性ってエヴァンゲリオンの人類補完計画のことか」と思うだろうが、あのアニメよりも先駆けて「直接性への郷愁」を語ったのは、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユである。