シェイクスピアの「オセロー」
第一幕
舞台:ヴェネツィア
第1場
貴族ロダリーゴーが、オセローの旗持ちのイアーゴーに不満をぶつける場面から始まる。ロダリーゴーは名門貴族の娘デズデモーナを愛しているが、彼女がムーア人の将軍オセローと駆け落ちしたことを知り、動揺している。
イアーゴーはオセローを激しく憎んでおり、その理由は自分が副官に抜擢されず、代わりにキャシオーが昇進したためだと明かす。二人はデズデモーナの父ブラバンショーの家の前で騒ぎを起こし、「娘が黒人のムーア人にさらわれた」と叫ぶ。ブラバンショーは激怒し、武装してオセローを探しに出かける。
第2場
モーア人の将軍オセローはキャシオーらと会い、トルコ軍がサイプラスを攻撃する危機について話し合っている。そこにブラバンショーが手下を連れて現れ、オセローを「魔術で娘をたぶらかした」と非難して逮捕しようとする。オセローは冷静に対応し、公爵のところへ行くことにする。
第3場
公爵と元老院は、トルコ艦隊がサイプラスに向かっていることを議論している。オセローが召喚され、ブラバンショーの告発を受ける。オセローは自らの経歴を語り、戦いや冒険の話でデズデモーナの心を射止めたのだと説明する。
デズデモーナ自身も登場し、父への義務より夫への愛情を優先すると公言して、オセローの側に立つ。公爵はブラバンショーをなだめ、オセローをサイプロス防衛の司令官として派遣することを決定する。デズデモーナも夫に同行することを認められる。
イアーゴーはロデリーゴに「諦めずにサイプラスへ行け。金を使えばデズデモーナを手に入れられる」とそそのかし、さらに自分の腹心の計画を独白する。キャシオーを利用してオセローに嫉妬心を植え付け、二人を破滅させようという陰謀だ。
愛によって結ばれた二人が、社会的偏見と他者による解釈によって切り離されていく。
第1場は、オセローへの偏見とイアーゴーの私怨。「偏見」
第2場は、異人種間の結婚への社会的拒絶。「告発」
第3場は、「他者」だったオセローが公的空間で自己を語る。「自己弁明」
第3場は、父から夫へ、所属関係が移る。「愛の確認」
第3場末、愛を「疑い」に変える計画の開始。「陰謀」
第1場の冒頭では、オセロー本人がほとんど登場しないまま、オセローについて大量に語られる。ロダリーゴーとイアーゴーは、「ムーア人がデズデモーナを奪った」というイメージを作る。
特にイアーゴーは、ブラバンショーに、「お嬢さんがムーア人と一緒にいる」という事実を伝えるのではなく、「黒羊があなたの白羊にのりかかっています」など、非常に扇情的な言葉で知らせる。つまり第1場では、「オセローそのもの」ではなく、「オセローについてのイメージ」が先に登場する。
イアーゴーの動機として最初に示されるのが、キャシオーへの昇進への恨みだ。イアーゴーは自分の軍事経験を誇り、「自分のような実戦経験のある者ではなく、机上の理論を知っているだけのキャシオーが副官になった」ことに怒っている。
しかし、イアーゴーの憎悪には複数の理由が重なっている。昇進への不満だけではなく、オセローへの敵意、キャシオーへの嫉妬、デズデモーナへの欲望や敵意、自分が他人を操作できるという欲望などが絡み合っている。
第2場のオセロー本人は意外なほど冷静だ。第1場では、「危険なムーア人オセロー」というイメージが作られてたが、ところが本人が登場すると、かなり落ち着いている。ブラバンショーが激しく怒っているのに対して、オセローは逃げたり暴力を振るったりしない。
そして、「公爵の前で話そう」という態度を取る。シェイクスピアは、他人が作ったオセロー像と、実際のオセローを意図的に対比する。
ブラバンショーは、「娘が自分の意思でムーア人を愛するはずがない」と考える。だから、「魔術を使ったに違いない」となる。なぜならブラバンショーは、デズデモーナの主体的な選択そのものを認めていないからだ。
彼の論理は、娘が自分の意思でオセローを選ぶことはありえない。だから誰かに操られたとなっている。ここには、「自分の理解できない他者の選択を認められない」という問題がある。
第3場で、オセローは「語ること」によって自分を現す。元老院の前で、オセローは自分の人生を語る。そしてデズデモーナが、それを聞くうちに彼を愛するようになったと説明する。第1場ではイアーゴーが、「ムーア人とはこういう人間だ」という外部からのイメージを作った。
しかし第3場では、オセロー自身が「私はこういう人生を生きてきた」と語る。他人によって語られる人間から、自分自身を語る主体へと変わる。デズデモーナは「オセローの物語」を愛した。彼女は彼の話を聞き、「彼の苦難や冒険を聞くことで、彼を愛するようになった」と語る。
二人の愛は、オセローが自分の人生を語ることと、デズデモーナがそれを聞くことによって成立している。これは後のイアーゴーの方法と対照的だ。オセローは、自分の物語を語ることで他者に理解される。イアーゴーは、他者についての物語を作ることで人間関係を破壊する。
「なぜヴェネツィアの女性がムーア人を選ぶのか?」という社会的疑問が提示されている。シェイクスピアは、社会が「ムーア人」というカテゴリーによってオセローを見ているのに対し、デズデモーナは彼の語る人生を聞き、一人の人間として彼を愛したという構造を描く。
ブラバンショーはオセローを「ムーア人」「魔術師」「娘を奪った異邦人」というカテゴリーに押し込む。イアーゴーはオセローを「嫉妬させれば操作できる男」として見る。イアーゴーはデズデモーナを「いずれ夫を裏切る女」という物語を作る。
そして最後には、オセローはデズデモーナが、「自分を愛してくれた唯一の女性」から、「貞淑なのか不貞なのか判定しなければならない対象」へと変化していく。
第二幕
舞台:サイプラス島
第1場
(サイプロスの港近く)激しい嵐により、サイプラスを攻撃しようとしていたトルコ艦隊は壊滅し、戦争の脅威は去った。モンターノ(サイプラスの総督)らが様子を見ていると、まずキャシオーの船が到着。
続いてデズデモーナ、イアーゴー、エミリア、ロダリーゴーの船が到着する。キャシオーはデズデモーナを礼儀正しく、丁寧に歓迎するが、イアーゴーはこの様子を見て「これほどの小さな網でも、キャシオーのような大物を捕まえられる」と独白し、陰謀の材料にしようとする。
やがてオセローの船も無事到着。オセローとデズデモーナは再会を喜び、深い愛情を示し合う。イアーゴーは二人の幸福を見て、それを破壊すると心に誓う。その後、イアーゴーはロダリーゴーをそそのかし、「デズデモーナはすぐにオセローに飽きて、若いキャシオーに心を移すだろう」と嘘を吹き込む。
さらに、今夜の夜警でキャシオーを挑発して喧嘩を起こさせ、地位を失わせるようロダリーゴーに命じる。イアーゴーは独白で、自身の動機(昇進の恨みや、オセローが自分の妻と関係したという疑念など)を語り、陰謀をさらに進めようとする。
第2場(町なか)
オセローの布告係が、トルコ艦隊の壊滅とオセローの結婚を祝して、夜まで飲食・祝い事を自由にすると布告する。
第3場(砦の広間)
オセローはキャシオーに夜警を任せ、デズデモーナと一緒に退場する(新婚の初夜を迎える)。イアーゴーは酒に弱いキャシオーを執拗に誘い、祝いの名目で飲ませて酔わせる。酔ったキャシオーは、イアーゴーの指示でロダリーゴーが挑発したことで怒り、喧嘩になり、
止めに入ったモンターノを負傷させてしまう。騒ぎを聞きつけたオセローが現れ、真相を問うと、イアーゴーは「正直そうに」事実を歪めて報告し、キャシオーを不利にする。オセローは激怒し、キャシオーを副官の地位から解任する。
失意のキャシオーに、イアーゴーは「やさしい心のデズデモーナに仲介を頼めば復職できる」と助言する。キャシオーはこれに従うことにした。イアーゴーは独白で、この機会を利用して「デスデモーナがキャシオーを助けようとする姿を見て、オセローに嫉妬の毒を注ぎ込む」計画を明かす。
イアーゴーは、存在しない不倫を直接作り出すのではなく、無害な出来事を不倫の証拠に見えるように配置していく。
同じ出来事を二人がまったく違って見る。キャシオーは、デズデモーナを丁寧に迎えた。しかし、イアーゴーは「キャシオーはデズデモーナに好意を持っている」と解釈する。事実そのものは一つなのに、解釈が違う。さらにイアーゴーは、その解釈をオセローにも植え付けようとする。
これは第一幕からの、「事実」よりも「事実についての物語」が人を動かすというテーマの続き。イアーゴーは、自分で直接オセローを殺そうとしているのではなく、オセロー自身に自分を破壊させようとしている。
ロダリーゴーは「道具」にされる。イアーゴーはロダリーゴーに、「デズデモーナはすぐにオセローに飽きる」「若いキャシオーに惹かれる」と吹き込む。ロダリーゴーはデズデモーナを愛しているので、それを信じたい。イアーゴーは、人々の中にすでに存在している欲望や不安を利用する。
何もないところから人間を操るのではなく、人間の中にある弱点を見つけ、それを増幅する。ロダリーゴーの場合、「デズデモーナを失いたくない」という欲望。オセローの場合は、「デズデモーナに裏切られたくない」という恐怖になる。
イアーゴーはキャシオーに酒を飲ませた。キャシオーは酒に弱い。イアーゴーは、キャシオーの性格を利用している。キャシオーは礼儀正しく、軍人としての名誉を重視する人物だからこそ、「自分が酔って暴力沙汰を起こした」ことによって、強いダメージを受ける。
キャシオーの失脚し、イアーゴーの計画が一つ成功した。オセローがやってきて事情を聞く。ここでまた、「事実」と「物語」の問題が出てきた。イアーゴーは完全な嘘をつくわけではない。しかし、その前に何があったのかを隠す。事実を捏造するのではなく、事実の編集によって真実を歪める。
オセローは自分の旗手であるイアーゴーを信頼している。そのため、「イアーゴーがそう言うなら、そうなのだろう」となる。イアーゴーは、嘘を信じさせる人物というより、他人に「自分で判断した」と思わせながら判断を誘導する人物なのだ。
キャシオーは失脚して絶望する。するとイアーゴーは、「デズデモーナに頼めばいい」と助言する。これは一見、親切だが、しかし実際には、イアーゴーの罠だ。第2幕終了時点では、デズデモーナとキャシオーは不倫をしていない。それなのに、イアーゴーは「証拠」ができるように状況を作っている。
デズデモーナがキャシオーを助けるという出来事は、普通に考えれば、「親切な人が困っている人を助けた」だけだが、しかしイアーゴーは、「デズデモーナがキャシオーを特別に気にかけている」という意味を与える。さらにオセローに、「二人が親しくしている」という場面を見せる。
親切が恋愛に発展し不倫に至るという「意味の連鎖」が作られる。第2幕の核心は、「嫉妬」は事実から生まれるのではないことにある。イアーゴーは、「疑うための状況を作ろう」となっている。そして、存在しない不倫を、存在するように見せる。これがイアーゴーの方法だ。
だからオセローの嫉妬は、事実として不倫があったから嫉妬したのではなく、嫉妬するような見方を先に与えられ、その見方によって現実を解釈するようになった。「語ること」が第1幕では愛を作り、第2幕では欺瞞を作る。
第三幕
第1場(砦の前)
キャシオーは復職を願って楽士を雇い、オセロー夫妻の前で演奏させようとするが、イアーゴが道化を使って楽士を追い払わせる。イアーゴはキャシオーに「デズデモーナに取りなしてもらうのが一番だ」と勧める。エミリアが現れ、キャシオーをデズデモーナのところへ案内する。
第2場(砦内の一室)
短い場面で、オセローがイアーゴに手紙を託して送り、自らは城壁の視察に出かける。
第3場(砦の前)
デズデモーナはキャシオーの復職を約束し、彼を励ます。キャシオーが去るところをオセローとイアーゴが目撃し、イアーゴが「あれは好ましくない」とほのめかして疑惑の種を植え付ける。
イアーゴは徐々にオセローの嫉妬を煽り、「女の貞節は疑わしい」といった一般論から、キャシオーとデズデモーナの関係を暗示していく。その間、デズデモーナが落としたハンカチ(オセローが最初に贈った大切な品)をエミリアが拾い、夫のイアーゴに渡す。
イアーゴはこれを証拠として利用する。オセローが「証拠を出せ」と迫ると、イアーゴは「キャシオーが寝言でデズデモーナとの関係を口にした」「ハンカチをキャシオーが持っていた」などと嘘を重ねる。激昂したオセローは復讐を誓い、イアーゴを副官に任命する。
第4場(砦の前)
デズデモーナはハンカチを探している。オセローが現れ、ハンカチを見せるよう要求するが、彼女は持っていないため、オセローの怒りが爆発する。
一方、キャシオーはビアンカにハンカチ(イアーゴがキャシオーの部屋に落としたもの)を渡し、模様を写してほしいと頼む。キャシオーはそのハンカチを気に入り、持ち主が現れ返してくれと言われる前に、模様を写しておきたかった。ビアンカは嫉妬を抱きつつも受け取る。
第三幕で、愛していた夫が、妻を「愛する他者」ではなく「調査し、判定し、裁く対象」として見るようになる。
キャシオーが一つの問題を解決しようとするたびに、それがイアーゴーによって別の意味に変換される。「デズデモーナに頼め」という助言は、善意に見える罠だった。デズデモーナはキャシオーに、「必ずあなたを助けます」と約束した。ところが、その場面をオセローが目撃する。
そしてキャシオーが立ち去ったあと、イアーゴーが、「あれは好ましくない」という趣旨の言葉を発する。イアーゴーは何も言わないことで疑わせる。疑いをイアーゴーからオセローへ移している。イアーゴーは「答え」を与えない。
オセローが、「何か知っているのか?」と尋ねる。イアーゴーは、「いや、そんなことは…」と濁す。するとオセローはますます知りたくなる。人間は、「教えられた秘密」より「教えてもらえない秘密」のほうを知りたくなる。イアーゴーはこの心理を利用している。
イアーゴーはまず、「人間は見かけほど誠実ではない」という一般論を話す。さらに、「女性の貞節も信用しすぎてはいけない」という話へ進む。そして徐々に、「キャシオーは以前からデズデモーナと親しい」という具体的な話へ移る。
一般論から暗示、疑い、個別の人物への疑惑という段階を踏んでいる。巧妙だ。そして、オセローが自分で疑い始める。肝心なのは、イアーゴーがオセローの代わりに結論を出していないこと。オセロー自身が、「まさか……」と考え始める。
イアーゴーはオセローに、「デズデモーナは不実だ」という考えを植え込むというより、「もしかすると不実なのではないか?」という問いを植え込む。そして、その問いにオセロー自身が答え始める。ここで「愛」が「所有」へ変わり始める。
第一幕ではオセローは、「デズデモーナは私を選んでくれた」と語っていた。ところが第三幕では、「彼女は本当に私だけを愛しているのか?」という問題になる。さらに、「彼女は私の妻なのだから、私に忠実でなければならない」という所有的な感覚が強くなっていく。
そして最終的には、「彼女が不実なら、自分は何をすべきか」という裁きの問題に変わっていく。ハンカチーフという愛の象徴が証拠に変わった。もともとはオセローがデズデモーナに贈ったもので、二人の愛の記憶だった。
ところがデズデモーナが落としてしまい。エミリアが拾い、イアーゴーに渡す。イアーゴーはこれをキャシオーの部屋に置く。ここでハンカチーフの意味が完全に変わり、不倫の証拠になった。しかし実際には、何も証明していない。
「証拠」とは何なのか?オセローはイアーゴーに、「証拠を出せ」と要求した。これは一見、合理的だが、問題は、どんな証拠なら十分なのかということにある。イアーゴーは、キャシオーの寝言やハンカチーフ、キャシオーの態度などを「証拠」として提示した。
しかしどれも、本当に不倫を証明してはいない。つまりオセローは、「確実な証拠がほしい」と思った結果、証拠らしく見えるものを次々に証拠として受け入れるようになる。これは第1幕から続いていた「他者を知りたい」という欲望の最終的な変質だ。
レヴィナスの哲学的には、他者は、私が完全に把握し、所有し、分類できる対象ではない。デズデモーナもそうだ。しかしオセローは、「彼女の心の中を知りたい」と思う。そして、「彼女が本当に貞淑なのか証明したい」と思う。
すると、生きた一人の他者が、「貞淑/不貞」という二択で判定される対象になってしまう。ここに悲劇がある。ハンカチーフは「他者を物に還元する」象徴にもなる。デズデモーナ本人ではなく、ハンカチーフという物が彼女の貞節を「証明」するようになる。
つまり、デズデモーナ自身の言葉よりも、ハンカチーフという物のほうが「真実」を語るとオセローが考えてしまう。第一幕ではオセロー自身が自分の人生を語り、その言葉によってデズデモーナと結ばれました。ところが第三幕では、人間の言葉より物証を信じるようになっている。
その結果、デズデモーナの言葉は信用されなくなる。そして、まだ疑っている段階から復讐へ。少し前までオセローは、「デズデモーナは自分を愛している」と思っていた。ところが、「不倫しているかもしれない」「いや確実に不倫している。「だから罰しなければならない」と急速に変化した。
疑いは、証拠が増えることで確信になるとは限らない。疑いに合う情報だけを集めることで、確信になってしまう。イアーゴーはオセローを騙すことで、オセローから信頼を得た。
キャシオーがビアンカに自分の部屋で拾ったハンカチーフを渡した。キャシオーは単に、「この美しい模様を写してほしい」と思っているだけだ。キャシオーもビアンカも、このハンカチーフがどんな陰謀の中にあるのか知らない。
ところがオセローから見れば、「キャシオーがデズデモーナのハンカチーフを持っている」という決定的な証拠だ。観客だけは、ハンカチーフがどのようにしてキャシオーの手に渡ったのかを知っている。だから観客には真実が見えている。しかしオセローには見えない。
一度疑い始めると、オセローは過去の出来事まで、「あれも怪しかった」「あのときも嘘だったのではないか」と読み替えてしまう。人間の記憶そのものが、疑いによって書き換えられていく。現在の疑いから過去を再解釈してしまう。




