吉田松陰が唱えた「国家に誠を尽くし自己犠牲を払え」とした愛国心が歪んだ愛国心だと言える理由。 | クリムゾンの箱

吉田松陰が唱えた「国家に誠を尽くし自己犠牲を払え」とした愛国心が、なぜ歪んだ愛国心なのかと言うと。戦前の様に、政府がその愛国心観を採用した場合、国民にとって様々な危険性がある。

まず、市民がまるで自分の主君かの様に政府に対して盲目的服従を示す可能性がある。それは政府の誤った政策や行動に対して批判的な意見を抑制することにつながる。安倍自民党時代には、政府を批判すれば、反政府と看做された。

そして、その政府への盲目的服従によって、他国や異なる意見を持つ市民との対立が生じるだろう。排他的な愛国心は、国際的な協力や平和的な解決策を妨げ、日本の国益を損ねることに繋がる。

さらには、その歪んだ吉田松陰的愛国心が国家主義と結びつき、他国に対する攻撃的な姿勢や排他的な態度を助長する。幕末の坂本龍馬ら劣悪な人材たちが陶酔した尊王攘夷思想そのものと言える。

政府が愛国心を利用することで、市民の自由や権利を侵害するだろう。愛国心を政治的な目的に利用することは、権力の乱用につながり、最終的には、戦前のように市民は政府の奴隷と化し、喜んで自爆攻撃などの異常な軍務を進んでするようになる。

 

真の愛国心とは、同胞に対し連帯の債務を負うことである。それは主に弱者救済として発露されるものだ。