伝える怖さと
伝えられる喜びと
伝えられない悲しみと
人と関わるのって、なんでこんなに難しいんだろう
ここはどこ? 暖かい海のようで?
意識が生まれて僕は息を吹き返す
僕を望んだ人達の笑い声と涙の中で
理由が欲しい
人が人を超える事はあり得ない
人の中に上下があっても、それを超える世界はないと信じてる
軽いのはうんざり
聞こえないように舌打ちする
それで満足か、って
んなわけないだろ
許せない人種があっても
それを超えるものは、なぜかあるんだな
1~3行ブログ(笑)
軽いの嫌いだけど、体重は軽い方が嬉しいなぁ
と思う俺は寒くて動けないのであった
ギリギリ乗れそうな電車にダッシュして乗れなかったら
悔しいっていうよりも、恥ずかしい
そんで、ドアの向い側にも、周りにも、俺の事を笑う奴らが居る
そんなリスクを背負ってまで、その電車に乗ろうと思わない
初めから諦める
俺を殴る連中に、反撃しろという人間が居る
そんなハイリスクなこと誰がするか
そりゃ痛いけどさ そりゃ殴り返してやりたいけどさ
その場殴られれば済むんだ
その日だけは済むんだ
無理して痛い目見る必要なんてない
俺はそうやって生きてきたんだと思う
手のひらに幸せが乗ってるなら、握りしめればいいんじゃねぇの
後で手を開いたら、実は不幸でしたってこともあるんだろうがね
ただ、基準は無い
自分の判断、行動が正しいかどうかも
それに伴う結果がどうなって、それに対して自分がどう思うかも
例えば前述の電車に乗りそこなって
周りから嘲笑される中、ホームのベンチに腰掛けてココアでも飲んでたら
思いがけず中学時代の仲間に遭遇することが出来、次の電車で楽しく帰る事が出来た、と
この場合俺にとっては、1本前の電車に乗るより幸せな気持ちになると思う
例えば前述の電車に何とか間に合って
周りを見渡したら柄の悪い連中ばかりで肩身が狭かったとか
これじゃ嬉しくもなんともない
逆に、乗りそこなってホームで次の電車待ってたら
事故で電車が止まって予想以上に待つハメになったとか
会いたくない奴に会ってしまうとか
逆に、飛び乗った電車の中で旧友に出会うことだってある
分からんのよ
いつの間にか掴まされていた不幸が、幸せに変わることだって必ずある
幸か不幸かの選択肢はその場にあるようで、実はない事が多い
全てにおいて偶然が絡むから、その先見なきゃ分からない
もちろん、確率の高低はあると思うがね
んで、その先見たって
それが幸せなのか不幸なのか決めるのも自分
他人じゃない
そりゃ3億円当たれば殆どの人が幸せだろうよ
そりゃ交通事故に遭えば不幸だろうよ
でも、そんなことじゃないだろ
「こうすればもっと幸せになれる」とか
「そんなことしたら不幸になる」とか
それほどくだらない言葉なんて無い
自分がいいならいい
相手がいいならもっといい
どうやったって幸せになるか不幸になるか分からないのなら
その時、自分にとってベストだと思える行動を重ねればいい
攻略本もトゥルーエンドもない人生だから
そう思うから、人の判断にはあまり口出ししたくない
間違っていたと後悔する日が来るかもしれない
そんな不安なんてガムテで包んで蹴飛ばせるほど幸せに思える日々が待ってるかもしれない
良くも悪くも、それもまた一興
人生って、そんなもんじゃないの
ま、人生経験が薄すぎる人間が何を言おうと、ただの戯言にしか聞こえんな
というか今読み返して「数分前の俺何考えてんだ」って思うのだが
暇な時、こういう事書いて頭働かすのは俺結構好きなんだ
勉強に使えよ、ってね

