今日は「勝手にシカゴ交響楽団の日」ということで、それに
参加します。
「忘れられないコンサート実演、お気に入りのCDなど、・・・・」と
ありますが、でも私にはそんな特別な何もないので、とりあえず
1977年録音のシューベルトの最後の交響曲「ハ長調 ザ・グ
レート」のLP盤を聴きました。
「未完成」交響曲にすっかり魅了された高校の頃、シューベルト
には第7番の「グレート」と呼ばれる交響曲があり、それがNHK
交響楽団の演奏で放送されることを知って、急いで帰宅して
ラジオの前にかじりついたことを、不思議にも覚えているのです。
確か、土曜日の午後2時くらいからの放送だったように思います。
(あの当時は第7番、その後9番と呼ばれたり、今は8番とも)
そんな記憶があるほどに特別な想いのあるこの曲のレコードが
たまたま、シカゴ交響楽団の演奏(指揮はジュリーニ)でありま
した。
有名なホルンの序奏。 意外にも想い入れたっぷりなどと言う
ものではなく、さらりとしたもの。決してもったいぶった感じでは
ない。しかし音は澄んで美しい。
続く木管や弦の音に思わず、うっとりしていまいました。
ずっと聴き続けて行くうちに、ジュリーニから想像していた演奏
とは違うことに気が付いたのです。
ジュリーニによるブラームスのヴァイオリン協奏曲(Vnはパール
マン)が、あまりに想い入れたっぷりのねっちこい演奏だったので
それが先入観のように頭に沁み込んでいるのです。
(ちなみに、これもシカゴ交響楽団で、思い返すとこのレコードに
ついてはかなり以前にエントリーしていました)
つまり、今日聴く演奏では、そんなねっちこいものではなくて、か
なり淡々としたものに感じるのです。しかし、そこから聴かれる
音楽の綿密さや密度の濃さが、すばらしい音の響きと共に表現
されているように感じました。
シューマンが評した「天国的な長さ」。 それは同じフレーズが執拗
なほどに繰り返されるから長くなってしまったのかも知れませんね。
確かに冗長に感じられ部分もあるのですが、シューベルト独特の
微妙な和音の味付け・・・多分7度や9度の和音が多く使われている
のでしょう・・・の所為か、それともその微妙な音を演奏し得た巧みさ
の賜物なのか、今日はさほど冗長に思えなく、いや、これが天国的
なのか、とさえ不思議な魅力にも感じられるのでした。
第2楽章の第1主題のオーボエに代表されるように、木管は清純で
あり、金管は第1楽章のトロンボーンを聞いたとおり、それは実に重
厚な輝きがあってたくましい。そして弦はなんとも柔らかくて滑らかな
ことか。そして、それらの音のバランスが大変いい。
前述した「音楽の綿密さや密度の濃さ」が、こういう音のすばらしさ
から聞こえてくる、と言ってよいのでしょうか。
ジュリーニは殊更らしい表現をせずとも、この交響曲の偉大さを充分
に引き出している、そんな印象を受けました。
淡々と、どちらかと言えば遅めのテンポで、極めて悠然と運んできた
ジュリーニは、第4楽章に入って、俄然急ピッチで烈しい表情を見せ
ます。金管は怒号し、再現部に入る手前の弱奏の中で突如聞かれる
弦の烈しいタッチ。その音に思わず息を呑みました。
天国的な長さは、第1楽章だけでなくて、他の楽章にも感じられまし
たが、最後の楽章は膨大な小節数らしいですが、案外早く終わります。
シューベルトの音楽としては非常に男性的で勇壮な力強さを持って
いて、それを極めて引き締まった演奏で聴かせてくれたのです。
有名な曲にしては、私は殆ど聴き比べをしていませんが、シュリーニの
シカゴ交響楽団によるこれは、名演のひとつではないでしょうか。