家に向かいながら事情を聞けば、将臣はのりえたちより三年半前の時間に飛ばされてしまったらしい。

 

 この世界に着いてすぐに二人の姿を捜したが、見つかることはなく、その途中である邸に迷い込んでしまった。

 

 そこで賊として捕まってしまったものの、邸の主人が死んだ息子にそっくりだという理由で将臣を客人としてあたたかく迎え入れてくれた。

 

 そこでも邸の者たちに二人の行方を捜してもらったが、一向に見つからない。

 

 世話になり続けるのも申し訳なかったので、将臣は二人を捜しながら邸のために働き出した。

 

 この地に来たのも、その家の使いとして来たとのこと。

 

「三年もずれてりゃ、捜しても見つからねぇわけだな」

 

「その三年分、将臣くんは年を取っちゃったんだね」

 

「なんか不思議な感じだな。一人だけ二十超えてるってのは。おまえも譲も、あの頃のまんまなんだろ?」

 

 全部が全部、あの頃のようではないと将臣も気づいていたが、あえて口にした。

 

 のりえの身体は異様に細くなっていることには、抱き締めた瞬間に分かっていた。

 

「でも、将臣くんかっこいいよ! 大人になると、そんなふうに成長するんだね!」

 

 懐かしむような口調に、のりえはつないでいた将臣の左手を強く握った。

 

 ちなみに、九郎と景時は積もる話もあるだろうと、数歩遅れて二人の後ろからついてきている。

 

「なんだよ、なぐさめてくれんのか? 心配しなくても、これはこれで楽しいぜ? 酒も飲めるしな」

 

「え……将臣くん、お酒飲んでるの!?

 

「一応、二十超えてから飲んだよ。んなに驚くことか?」

 

 しかし、すぐに将臣はあることを思い出して言いつくろった。

 

「……いや、ああ。悪ぃ。でも、おまえがきらうほど、ぶっとぶまで飲むことねぇから安心しろ」

 

「…………」

 

 のりえのテンションが目に見えて下がったことを、後ろを歩く二人にも分かった。

 

 のりえは将臣と再会して、これまで見たことのない活き活きさを見せて会話を楽しんでいたが、酒の話になってそれは空が曇るようにどんよりと沈んでしまう。

 

「……譲くんには、二十超えてもお酒飲まないでって頼もう」

 

「平気だよ。おまえの前じゃ、絶対飲まねぇから」

 

「――それってあたしのいないところでは飲むってことでしょ!?

 

 ふいに気が狂ったかのように声を荒げ、将臣の手を振り払った。

 

 九郎と景時にはなぜ、のりえが急に怒り出したのか分からない。

 

「のりえ、落ち着け。酒って言ってもこっちじゃ――」

 

「うるさい!!

 

 つかもうとして伸びてきた手を叩き落して、その場から駆け出す。

 

「あっ、走るな!!

 

 将臣が後を追いかけようとすると、すぐにのりえは近くの民家に飛び込んだ。

 

 目的の家は目の前にあった。

 

「ったく……」

 

 あきれたように息をつく将臣。

 

「のりえちゃん、どうしたの? なんで急に怒り出しちゃったの?」

 

 景時が横に並んで訊く。

 

「あー……おまえら、あいつの前で酒、飲んだことあるか?」

 

「ないよ。オレ、元々飲まないから」

 

「俺は飲むが、のりえの前ではなかったな」

 

「そっか……。じゃ、譲も話してねぇか。――あいつ、酒と酒を飲む奴が大嫌いなんだよ」

 

「え、どうして?」

 

「あいつが施設にいたって話は?」

 

「しせつ?」

 

「両親がいねぇってことは?」

 

「なんだと?」

 

「男に襲われた……ってことは、誰も話したがることじゃねぇしな」

 

「えっ!?

 

「……OK、分かった。なんにも話してねぇんだな」

 

 もっとも、すすんで話すような内容ではないので、九郎たちが知らないのは当然といえば当然だ。

 

「あいつの人生は酒に苦しめられたようなもんなんだ。まあ、酒そのものはまったく悪くなくて、それを飲む人間が全部悪いんだが。……詳しい話は避けるが、あいつは酒を飲む人間に虐待され、自分を娘として引き取ってくれた両親を殺され、あげく襲われたっていう過去がある」

 

 本当に詳しい話は避け、簡単に説明した。

 

 しかし、それでも要点は突いていたので、事実を聞かされた二人はのりえの過去に驚愕する。

 

「……だからのりえちゃん、あのとき、あんなこと言ったんだ……」

 

 三草山で九郎と言い争ったとき。

 

 激昂した九郎がのりえを殴ろうとして、彼女はこう言った。

 

〝……殴られるのなんか、慣れてる……! 殴りたければ殴ればいいじゃない!〟

 

 今思い返して言葉の意味を考えれば、なんて悲しいことを口にしていたのだろうと胸が痛んだ。

 

「俺もちょっとうかつだったな。あいつに会えたってことで舞い上がって、いらねぇこと言っちまった」

 

 ばつが悪そうに頬をかく。

 

 と、そのとき、民家から少年が飛び出してきた。

 

 譲だ。

 

 彼はものすごい勢いでこちらに向かって走ってくると、

 

「よぉ、譲! 久しぶりだな、元気に……」

 

 どかっ。

 

 問答無用の、譲の右ストレートが将臣の顔にヒットした。

 

「譲くんっ!?

 

「譲!?

 

 あまりの衝撃に、将臣は後ろに尻餅をつく。

 

「……兄さんの事情なんか知ったこっちゃない。先輩は今までずっと兄さんに会いたがっていたんだ。ずっと、ずっと兄さんだけを思って……――ここに来て、先輩はどれほど苦しんだと思う!? その度に兄さんを呼んでいたんだ! どこにいるともしれない、行方知れずの大馬鹿者をずっと呼んでいたんだ!!

 

 あたり一帯に響く譲の怒鳴り声を聞いて、離れた民家からちらほらと人の目が覗き始めている。

 

「それなのに、会えたと思ったら先輩の神経逆撫でること言って……! 兄さんがそんな馬鹿なことしているとき、先輩がどんなつらい目に遭っていたことか!」

 

「……っ、悪かったよ。考えなしだった」

 

 いきなり殴られたので歯を食いしばる暇がなかった。

 

 口の中を切ったらしく、溜まってきた血を吐き出す。

 

「俺に謝ることじゃないだろう!?

 

「ま、まあまあ譲くん! 落ち着いて! せっかくの再会なのに、こんなんじゃさびしいよ!! そうだ、今日の夕餉は何かな? オレ、手伝うよ!」

 

 景時がぽんぽんと譲の腕を叩き、そのまま家へと連れていこうとする。

 

 譲もその場に留まりたくなかったのか、景時に素直に従った。

 

「……譲め、手加減なしで殴りやがって……」

 

 痛みに顔をしかめながら、将臣は立ち上がる。

 

「将臣、すまない。譲があのような行為に出た原因は……俺にある」

 

 九郎が神妙な面持ちで口にした。

 

「は?」

 

「今は……元気に見えるかもしれないが、のりえは――一度、命を落とした」

 

「――――」

 

 九郎の告白に、将臣の顔から血の気が失せる。

 

 いつもの将臣なら、冗談はよせの一言ですませるはずが今回ばかりはそうもできなかった。

 

 将臣自身、その兆候に立ち会ったからだ。

 

 ただの夢として片付けられない、不可思議なあの空間。

 

 そこでのりえは〝もう生きてないと思う〟と漏らしていた。

 

「譲がぴりぴりしているのはそのせいだ。俺が原因を作ってしまい、以前にも……のりえに対してひどい仕打ちをした。だが、世話になっているという思いで直接俺に手を出すことはしない」

 

 いっそのこと、殴られてしまったほうが九郎としても多少気が楽になる。

 

 けれど、譲は絶対にそれをしない。

 

 彼は自分たちの立場がどんなものなのか、よく理解している。

 

「その憤りもあって、兄であるおまえを殴ってしまったのだと思う……」

 

「……教えてくれ。あいつの身に何が起こってる?」

 

 静かな声で将臣が問う。

 

「俺ではうまく説明できない。中に仲間がいるから、その者から聞いてくれるか?」

 

 

 

 

 

 

 将臣は弁慶から話を聞いた。

 

 自己紹介もそこそこに、のりえの身に何が起こっているのか、弁慶は分かりやすく、そして簡潔に話した。

 

 もちろん、どこに敵方と熊野の目や耳があるのか分からないため、源氏の部分はいっさい口にしない。

 

 白龍の神子、龍神、白龍、八葉、怨霊と戦うこと――話は将臣だけにでなく、蒼陽と紅夜にも聞かせた。

 

「なんでのりえが、どうしてのりえがやらなくちゃいけない? 他の奴じゃだめなのか?」

 

 やはり兄弟だろうか。

 

 将臣は譲と同じことを言った。

 

「俺は別にこいつが無事だったら帰れなくたっていいさ」

 

「あたしはともかく、将臣くんと譲くんが帰らなかったら、おじさまとおばさまが心配する。だから何がなんでもやるの」

 

 そう答えるのりえは、居間の一番隅で体育座りしている。

 

 どうやら、将臣に対する不信の表れらしい。

 

「おまえも帰らなきゃ、親父とおふくろはより心配する」

 

 声色に険が帯び始めた。

 

「……っ……」

 

 一瞬のりえが言葉に詰まったが、すぐに、

 

「……それに、ここには守りたい人がいっぱいいる。みんなを守るためにやるの」

 

「自分の命と引き換えになってもか?」

 

「役立たずで生き残るより、役立って死んだほうがよっぽどいい」

 

「馬鹿言うな!! んなの、ぜってぇ俺は許さねぇぞ!」

 

「許してもらわなくてけっこう! あたしは将臣くんのモノじゃないもの!」

 

「おまえっ――!!

 

 将臣が我を忘れ、のりえにつかみかかろうとしたとき、大きな影が間に入った。

 

「将臣、もとより怨霊は神子の存在を厭い、排除しようと襲ってくる。神子が戦わぬと決めたとしても、向こうには関係ないこと。神子を殺すまで襲い続けるだろう」

 

 リズヴァーンがそうなだめる。

 

「龍脈の気が元通りになれば、神子は戦わずにすむ」

 

「くっ……!!

 

(怨霊、怨霊、怨霊……――怨霊を作り出しているのは平家だ。平家が怨霊を生み出すかぎり、のりえが戦わなくちゃいけない……)

 

 将臣はちらっと敦盛を見た。

 

 視線が合うと、彼はすまなそうに目を伏せた。

 

(敦盛自身も……救われたいと思っている、か)

 

「怨霊と戦う神子を守るために我々八葉がいる。将臣もその一人なのだ」

 

「こいつを守るってのに異存はもちろんない。だけど、のりえ……なんで話してくれなかったんだ?」

 

 夢の逢瀬で状況を知れば、何かできたかもしれない。

 

「……あたしだって、言えないことの一つや二つ、あるもの」

 

「…………」

 

「――さあ、もうそこまでにしましょう」

 

 険悪な雰囲気に包まれる中、朔が空気を換えるために割り込んできた。

 

「明日はここを発つんだから、ゆっくり休まないと。特にのりえは充分な睡眠をとってちょうだい」

 

 有無を言わさず、朔はのりえの手を取り立たせ、白龍とともに居間を出ていってしまった。

 

 残るは男たちのみ。

 

「……先輩がなんでも兄さんに話すと思ったら大間違いだ。それに、先輩は兄さんだけのものじゃない」

 

 棘を含ませた口調で言い、譲も出ていく。

 

「将臣には少し時間が必要だな。最初は譲も戸惑っていた。一晩かけて気持ちの整理をするといい」

 

 九郎が声をかけ、続いて弁慶、リズヴァーンが退室する。

 

「あの、さ……。多分のりえちゃん、話さなかったんじゃなくて、話せなかったんだと思うんだ。将臣くんに心配かけたくなくて……」

 

「だが、話してくれないほうがもっと心配するだろうが」

 

「うん……でも、将臣くんも同じようなことがあるんじゃないかな? のりえちゃんに話したくても話せないようなこと。それ考えたら、おあいこだと思わない?」

 

「っ……」

 

「もちろん、戦いに引き込んだのはオレたちで大きなこと言えないけど、あんまりのりえちゃんを責めないであげて……?」

 

 そして景時はおやすみと言い残して出ていった。

 

 いまだ敦盛、蒼陽、紅夜の三人が残っている。

 

「ま……将臣殿、私は……平家であったものの、ここにいるのは……神子に救われたからです。神子は、怨霊にとって唯一救いの存在です。私は……その神子を、守りたいのです」

 

「……ああ、そうだな。だけど、あいつは――」

 

「神子の苦しみを、目の当たりにしたことが……あります。神子は泣いて……おられた。けれども、怨霊と立ち向かう……思いは強くて……」

 

 途切れ途切れに紡がれる敦盛の言葉。

 

 何を言わんとしているのか分からなかったが、のりえを弁護しようとしている気持ちは伝わってきた。

 

「……分かった、もういい。俺だって、のりえを責めようとしていたんじゃないさ。ただ……」

 

 のりえに関して自惚れている自分がいたことにショックを受けていた。

 

 なんでも話してくれると思った幼なじみは、いつの間にか秘密を持ち始めていた。

 

 もちろん、将臣も秘密はいくらだってあるが、のりえに限ってそんなことはないという自分勝手な思いがあった。

 

「……俺、ちょっくらのりえんとこ、行ってくるわ」

 

 朔に怒られるかもしれない。

 

 だが、なんとしても今日のうちに話をつけないとわだかまりが残る。

 

 将臣は立ち上がり、居間を出ていく。

 

 残った敦盛はしばし考え込んでいたが、ふいに顔を上げ、

 

「……失礼する」

 

 ぽつんと話題からはじかれた双子に会釈して出ていった。

 

 …………。

 

 取り残された二人は互いに顔を見合わせ、

 

「……おれたち、仲間はずれだな」

 

「うん。おれたち、これからどうしたらいいんだろう?」

 

 誰もが、双子の同行を伝え忘れていた。

 

 

 

 

 

 夏を忘れさせる、ひんやりとした夜気が二人の頬をなぶる。

 

 意外にも将臣が彼女たちの部屋を訪れ、のりえを外に誘い出したとき、朔は何も言わなかった。

 

 ただ、あまり遅くならないようにと言うだけで、二人を優しいまなざしで見送った。

 

 家の中では存分に話ができないので、将臣たちは近くの川に行く。

 

 のりえが蒼陽たちに捕まった川だ。

 

「……元の世界では、あたしはただいつ来るとも知れない死を待ち続けるだけだった」

 

 平べったい大きな石の上に座りこみ、膝を抱える。

 

「誰もが生き長らえてくれるだけでいいとしていた……。高校を卒業して、大学に行って……学生でいるうちはいい。けれど、卒業してしまったら? こんな身体だから就職することもできない……。そうなれば、あたしはただの厄介者でしかない」

 

 右隣に立っている将臣の大きな手が、のりえの頭に置かれた。

 

「将臣くんたちは〝そこ〟にいるだけでいいって言う。でも、何もできない存在ほど苦しいものはないんだよ? 元の世界であたしは何ができた? ただ日常を生きていただけでしょ? ……けど、ここでは違うんだ。あたしは神子としての力を持ってる。みんなが恐れる怨霊をどうにかすることができる」

 

「だからって、どうしておまえが戦わなければならない?」

 

「その力を持っているからだよ。……ここに来るまで剣を持って戦うことなんてしたことないのに、身体が勝手に動くんだ。最初はすごくびっくりしたけど、すぐにそれはありがたいことなんだって思うようになった。だって、そうじゃなければもうとっくにあたしはこの世にいない」

 

 わしゃわしゃと何度か頭を撫でてから、将臣は腰を下ろした。

 

「それでも……怖いと思った。戦いに出ればどうしたってこの身体は悲鳴をあげる。そして将臣くんに会えないまま死ぬのかなって思って……。でもね、その反面……ここに来てから、あたしと譲くんは――特にあたしは、多くの人に守られてきた。この目を持つゆえに」

 

 そう言って、隣の将臣のほうに顔を向ける。

 

 闇夜に慣れた視界は、はっきりと互いの顔を見て取れた。

 

 右眼の深い闇色を持つ目はさすがに同化して見づらかったが、左眼の明るい青は深海のようだった。

 

「目が……どうかしたのか?」

 

「将臣くん、聞いたよね? なんで面なんかつけてるんだって。……額の傷と、目を隠すためなんだよ」

 

 額の傷はリズヴァーンから〝罪人の烙印〟とだけ聞いた。

 

 有り余る力の中に身を落とした罪人の証――彼の説明は難しくて理解できなかったが、誰かに強引につけられたものではないと知ると、怒りは湧き起こらなかった。

 

「どこかで……〝鬼〟の話を聞いたことはない?」

 

「鬼? なんだそりゃ。赤鬼とか青鬼とかか?」

 

「そうじゃなくて……ここでの〝鬼〟っていうのは、金髪碧眼を持ち、不思議な力を操る種族で、他の人から恐れられる存在なんだって」

 

「金髪碧眼……じゃあ、あのリズヴァーンって奴が鬼なのか?」

 

「そう。そして、あたしも鬼になる」

 

「おまえが? おまえは普通の人間だろうが」

 

「ううん。……戦いになると、あたしも不思議な力を使うんだって。自分じゃそんな意識、まったくないんだけど……。でも、それがなくたって、ここの人たちは青い目を見るだけで、恐怖に駆られて……――そんなことを知らずに町に出たら……殺されそうになった」

 

 今でも忘れられない左肩に受けた打撃の痛み。

 

「……すごく、怖かった……あんなに大勢で、あたしを殺せって……!」

 

 大きな腕を震える肩にまわし、のりえの身体を自分の胸に抱き寄せた。

 

「あんなの、初めてだった……! いじめには慣れてるけど、命まで奪われるなんて……」

 

 そこで言葉が途切れ、将臣の胸に顔を埋めて泣き出してしまった。

 

 将臣は何も言わず、ただそっと背中を撫で、頭のてっぺんにキスを落とす。

 

 しばらくして落ち着いたのりえは将臣から離れ、再び言を継ぐ。

 

「だけど……朔はもちろん、九郎さんや弁慶さんは初めてあたしを見たとき、そんなことは何も言わなかった。戦場に迷い込んでいたあたしと譲くんを助けてくれて、景時さんと朔のおうちにお世話になって……ずっと、今も守ってくれてるの。その人たちが怨霊に困っていて……怨霊を封印しないと白龍に力が戻らなくて、あたしたちが帰れないってのもあるけど……だから、戦うって決めたの」

 

「…………」

 

「命と引き換えにって将臣くんは言ったけど、本当にそうだよ。あたし、命を賭けて守りたいの……あの人たちを。九郎さんとは口喧嘩が絶えなくて、しょっちゅう衝突してるけど、本当は優しい人だって分かってる。弁慶さんはよく怪我をしたり、発作を起こしたときにすごく手をかけさせちゃって……でも、あたしのために身体にいい薬や薬湯を作ってくれる。景時さんは常にあたしを気遣って、楽しませてくれたり、些細なことでも心配してくれる。リズ先生はすごく強くて頼りがいがあって、たまに厳しいこともおっしゃるけど、それは全部あたしのためで……」

 

 ――そしてなぜだか、他人のような気がしない。

 

「敦盛さんは……あたしの思いを唯一知っている人。ひどい八つ当たりをしても、敦盛さんは見捨てないでくれた。朔には、本当によくしてもらってる。出会ったときから今まで……言葉にできないほど、感謝してるの。白龍だってそうだよ。元は白龍があたしたちをここに連れてきたとしても、白龍はあたしを慕ってくれてる。一度、ひどく傷つけてしまったことがあったのに、それでも彼はあたしから離れなかった。あたしが寝込んだときも小さな身体で必死に看病してくれて……」

 

 譲は言うまでもなく、のりえの大事な幼なじみだ。

 

「京の邸には藤代さんもいる。神子を守る八葉以外であたしをはじめから恐れなかったのはあの人だけ。鬼と非難されるあたしを守ってくれた。達沢さんと臣さんだってそう。最初は怖がっていたけど、打ち解けてくれた。――あたしはそうやってその人たちに守られている分、怨霊という脅威から守ってあげたい。あたしができるのは、神子としての力を揮うだけなの。もちろん、将臣くんが怨霊で困っているなら助けてあげられる」

 

「……ああ」

 

 のりえの言葉を聞いて、将臣の良心がちくりと疼いた。少し前の景時の言葉が思い出される。

 

(こいつに秘密があるように、俺にも秘密がある……)

 

 将臣は大きく息をついた。

 

「おまえは覚悟を決めたんだな」

 

「……その覚悟も一度は折れかかったけど。みんなを守りたいという意志は変わらない」

 

「そっか……」

 

「……ごめん」

 

「馬鹿、なんでおまえが謝んだよ。……つーか、俺も今おまえと似たような状況なんだ」

 

「……?」

 

「俺も、世話になった家の奴らを守ってやりたいと思ってる。おまえと同じにな」

 

「うん……」

 

「おまえの八葉をやってやりたいが、実はそう長くはできねぇ。家の使いでここに来たって言ったろ? 本宮に行かなきゃなんねぇんだ」

 

「本宮って……熊野本宮?」

 

 両目を丸くして聞き返した。

 

「ああ。……そういや、おまえたちはどこに行こうとしていたんだ?」

 

「あたしたちも……熊野本宮だよ」

 

「はっ?」

 

「九郎さんたちの熊野詣についてきたの。譲くんが、京の夏はあたしにとっては酷だからって言って」

 

「ああ……そうか。確かに京の暑さはおまえにとっちゃつらいだろうな。――けど、同じ目的地ならしばらくはおまえのそばにいられる」

 

「本当?」

 

「本宮までな。用事を済ませたら戻らなきゃならねぇ」

 

「…………」

 

 のりえは再び、両腕で膝を抱えてしまった。

 

「そんな顔すんな。すべてが終われば戻ってくる」

 

 大きな手のひらで、ぽんぽんと頭を軽く叩いた。

 

「――んで、そこにいる奴らはなんか用なのか?」

 

 少し前から、背後に人の気配を感じていた将臣は声色を低くして問いかけた。

 

 のりえが振り向けば、こちらに歩いてくる二つの影。

 

「蒼陽、紅夜……」

 

「おれたち、のりえに別れを言いに来たんだよ」

 

「え……?」

 

 蒼陽の言葉に呆然とするのりえ。

 

「のりえたち、明日発っちまうんだろ? おれたちはこんな顔だから、せめて人の目がねぇ夜に移動しねぇとさ」

 

 紅夜がさびしそうに呟く。

 

「ちょっ……ちょっと待って」

 

 のりえは立ち上がり、双子に駆け寄った。

 

「蒼陽たち、どこに行くの?」

 

「とりあえず北を目指す。ここいらじゃ、鬼はひどくきらわれてるが、北はそうでもねぇだろ」

 

「えっ、えっ? もしかして、誰も蒼陽たちに話をしてないの!?

 

「話? なんの?」

 

「蒼陽たちのこと! 蒼陽たちがよければ、あたしたちと一緒に来てほしいってこと!」

 

「はぁ!? そんな話、全然聞いてねぇぞ!?

 

「それっ、それっ、本当か!?

 

 二人がそれぞれ、のりえの腕をつかむ。

 

「本当だよ! ……ああもう! てっきり九郎さんあたりが言ってくれてたと思った!」

 

「おれたち、一緒に行っていいのか!?

 

「のりえといられるのか!?

 

「そうだよ! ただ、神子の話を聞いたでしょ? あたしがいるかぎり、安全は保障できないけどっ――!!

 

 ぐえっとカエルが潰されるような呻きがのりえの口から漏れた。

 

 双子が同時に身体を抱き締めたのだ。

 

「おいおい、おまえら! うれしいのは分かったから、ちったぁ手加減しろ。のりえが潰れてるじゃねぇか」

 

 ふがふがもがくのりえを、将臣が助ける。

 

「ありっ……がと……――それで、時間があれば、先生の下で鍛錬して……」

 

「もちろんだ!」

 

「のりえを守るために強くなりてぇ!」

 

 のりえが言い終わらないうちに双子は強くうなずく。

 

「違う! あたしを守るためじゃなくて、自分の身を守るため」

 

「どっちでもかまわねぇさ」

 

「おれ、すげぇうれしい! 明日んなったら、のりえがいなくなっちまう、どうしようって……せっかく仲間に会えたのに、おめぇたちの話聞いたら……ついていけねぇんだって思って……」

 

 紅夜の目がじょじょに潤んでくる。

 

「双子なんか、俺たちの世界じゃ全然めずらしくもないぜ。もっと堂々としてろよ」

 

「……おめぇらの世界ってどんなんだ? 鬼がたくさんいるとか、おれたちみたいなのがいるとか……」

 

「少なくとも、外見でとやかく言われることはないぜ。ちょっと前まではヤマンバみたいな奴らがうじゃうじゃいたしな。それに比べりゃおまえたちなんか、普通すぎる。……というか、さっき喋ったのは紅夜か?」

 

 将臣にはどちらが九郎や景時の着物を着ているのか、見分けられることができない。

 

 そもそも、今日初めて会った相手が普段どの着物を着ているのかすら分からないのだから、当然といえば当然のこと。

 

「さっきは紅夜じゃなくて蒼陽。……声で分かるでしょ?」

 

「分かんねぇよ。顔も声も一緒すぎて」

 

「一緒じゃないよ。蒼陽の声はちょっと鋭くて、紅夜の声はやわらかいの」

 

「そうか~? どっちも一緒だろうよ」

 

「違うよ! 声も違うけど、一番違うのは雰囲気だよ。蒼陽はやっぱりお兄さんだから、がっしりとしていて頼れる雰囲気。紅夜はおっとりしていて優しい雰囲気」

 

「…………」

 

 じーっと将臣は双子を見る。

 

 やはり、彼の目には見分けがつかない。

 

「よし、のりえ。おまえちょっと後ろ向いてろ」

 

 言うが早いか、将臣はぐりんとのりえの身体を回転させ、双子の姿を見えなくする。

 

「シャッフルするから当ててみろ」

 

 背後で戸惑う声をあげる二人を強引にごちゃまぜに立たせて、

 

「OK。じゃ、おまえら……」

 

「何も言う必要ないよ。……あたしの右手に立ってるほうが紅夜で、左手に立ってるほうが蒼陽」

 

 言葉を遮り、後ろを向いたままのりえは答えた。

 

 双子が驚いたように顔を見合わせる。

 

「すげー!?

 

「なんで分かったんだ!?

 

「だから、雰囲気」

 

「うそつけ、今のは当てずっぽうだろ?」

 

「そんな失礼なことはしないよ! じゃあ将臣くんの気が済むまで、とことんやってみたら? あたし、絶対に外さない自信があるよ?」

 

 くるっと振り返り、挑戦的な笑みを浮かべた。

 

 その笑みが、将臣の闘争心に火をつけた。

 

「……言ったな?」

 

「言ったよ」

 

「吠え面かくなよ?」

 

「そっちこそ」

 

「んじゃ、プロムナードのケーキ十個かけて勝負だ。帰ったら絶対おごれよ」

 

「ふふっ、二十個でもいいよ?」

 

「受けて立ってやる!」

 

 ――と、将臣が意気込んだものの、その後の〝双子当て対決〟は見事、のりえに軍配が上がった。

 

 信じられないことに、彼女は一度も間違えることなく、将臣のフェイクも見破って二十回も当ててしまった。

 

 なんでだよ、と悔しそうに呟く将臣に、

 

「だから言ったじゃない。雰囲気が違うんだって」

 

 のりえは当然とばかりに言った。

 

 

 

 

 

 

「……ノリエちゃん、よくあの双子見分けるわねぇ」

 

 心底感心したように漏らしたのは、つい最近髪の色を金色から銀色に染め変えた、女のような格好をしている男だった。

 

「あの子はすごいよ。初めて会ったその日から、今まで一度も間違えることなく彼らを見分けているからね」

 

 軽いウェーブのかかった紫がかった黒髪をまとめあげ、もう一人の男は苦笑した。

 

「上司のあなたがたまに間違えるのに?」

 

「ああ、恥ずかしい話だよ。もっとも、二人には誰にも見分けがつかないようにしろと命令しているからね」

 

「それじゃ名前も統一してくれません~? ルシファって呼んで、ルシフェルだったとき、毎回無表情で訂正されるの面倒で」

 

 どうせ、名前だって似たような名前なんだし~。

 

「そこまで一緒くたにしてしまっては彼らがかわいそうだろう? 外見がそっくりとはいえ、内面はまったく別の人格同士なのだから」

 

「うわ~……見分けがつかないようにしろと命令している人がそんなこと言いますか~」

 

「何事も一緒というのは、ストレスが溜まるらしい。彼らを見分けたのはあの方以外にはノリエちゃんだけだよ。彼女は立場も身分も関係なく、そして一人一人、別人として接してくれる初めての存在だ。二人によい仕事をしてもらうために、ノリエちゃんは不可欠だよ」

 

「……それで、あなたの館に入り浸りって、アタシのところには遊びに来てくれないんですよ? ちょっとずるくありません?」

 

「ふふっ、君のような者のところに行くのは、ノリエちゃんがもう少し成長してからだね。……その格好で、あの子の前に出たらだめだよ?」

 

 そう言って顔はにっこり笑っていたが、目は完全に据わっていた。

 

「ぎょ……御意」

 

 上から頭をつかんで押さえつけられるような威圧を感じ、男は礼をとった。

 

「――そうそう。双子の見分け方なんだけど、どんなにそっくりにしたって、ノリエちゃん曰く〝雰囲気が違う〟んだって」

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 邸の主人とたきに何度も礼を述べて、のりえたちは出発した。

 

 目指すは瀬戸内海に面した港町、熊野水軍の本拠地である田辺。

 

 そこから熊野路へ入り、頭領がいる本宮大社に向かうことになっている。

 

 そして、この二日の間に同行者が三人増え、総勢十二人と一頭とさらに大所帯になった。

 

 新しく入った三人は特にのりえの馬であるHadesに興味を強く持ったようで、

 

「こんなの、どこにいたんだ? こっちの世界じゃ、この大きさはありえねぇだろ」

 

「おめぇ、馬に乗れんのか? いいなー、あとでおれにも乗せてくれよ!」

 

「額の傷、のりえと同じだな? こいつも怪我しちまったのか?」

 

 道中はもっぱら馬の話をしていた。

 

 将臣と蒼陽は尻をばしばし叩き、紅夜は横に並んで綺麗な首筋を優しく撫でる。

 

 だが、次第に尻を叩く二人の行動に嫌気が差したのか、Hadesはわざわざ立ち止まって、

 

 がちっ、がちっ。

 

「…………」

 

 二人に向かって歯を鳴らし、最後にむにーっと歯をむいた。

 

 その顔があまりにも間抜け面だったため、さらに二人は大爆笑。

 

「ちょっと! 笑いごとじゃないよ!? はです怒ってるよ!?

 

 怒りの表情をまともに理解しているのは景時と九郎だけ。

 

「はです? こいつの名前か? ずいぶんおっかねぇ名前つけやがったな」

 

 名を聞いて、将臣の笑いがとまった。

 

「おっかない? 将臣、その名の意味を知っているのか?」

 

「へ? なんだ、聞いてねぇのか?」

 

 のりえは誰に問いかけられても名前の意味を話していなかった。

 

 譲は同じ現代人なので意味は当然知っていたが、彼女が話そうとしないことを自分の口からは言えないとつぐむばかりだった。

 

「兄さん、別にいいだろ。名前の意味なんて」

 

 馬上で荒い呼吸を繰り返すのりえに代わって、譲が言う。

 

 正確な温度は分からないが、気温はゆうに三十度を越えていた。

 

「ま、いいけどな。……しっかし、〝Hades〟ね。そう言われると……まあ、そんな感じのツラしてるよ」

 

 それから将臣も名前の意味は結局口にせず、九郎たちの中に疑問を残すこととなった。