3
―――――
どれほどの時間が過ぎただろうか。
滝の流れる音の他に、のりえの耳には背筋を冷やす音が聞こえ、同時にある気配を感じ取った。
「……蒼陽、紅夜」
彼女の雰囲気ががらりと変わり、双子の名を呼ぶ。
光を灯していた枝を折って明かりを消すと、辺りは闇に包まれた。
「おまえたち、脚に自信はあるな?」
彼らに聞こえる程度の小声で問う。
「そこそこ。なぜだ?」
のりえに合わせ、蒼陽も声をひそめて答える。
「怨霊が近づいてきている。かなり大きな気配、しかも二つだ。剣を持たぬ私では、あの大きさで二匹の怨霊相手におまえたちを守る余裕がない」
「怨霊……!?」
紅夜が声をあげる。
「しっ! ……私の存在は怨霊を呼び寄せる。今はまだ私が移動しておらぬからゆっくり近づいてきているが、動けば即座に追ってくる」
意識を一帯にめぐらせ、様子を窺う。
闇の向こう、地面をうねるように這い、立ち並ぶ木々を器用に避けてくるこの気配――のりえが苦手とする生物の一つだ。
小さなものでも姿を見れば、すさまじい悲鳴をあげるのに、こちらに向かってくるものの大きさは人間の十倍はありそうな巨体。
二つに分かれた長い舌をちょろちょろ出し、鼓膜を刺激する威嚇音。
思い浮かべただけで鳥肌が立つ。
「なんでのりえに怨霊が寄ってくんだ?」
「私の存在は怨霊にとって邪魔なもの。それを排除しようと寄ってくる」
――――――
次第に双子の耳にもあの音が聞こえてきた。
のりえは紅夜を離し、胸にまわっている蒼陽の腕を外そうとすると、逆に絞まった。
「蒼陽、離せ。おまえたちを巻き込みたくはない」
「ふざけんな。逃げりゃいいことだろ」
「馬鹿を言え、あいつらは――!?」
言い終わらぬうちに蒼陽がのりえの身体を肩に担ぎ、
「紅夜、行くぞ」
「おう!」
どぼーんっ。
この日何度目の水の中だろう。
昼間は夏の暑さに喘いでいたのに、今ではその暑さが恋しい。
山の中は陽が落ちてから急激に気温が下がる。
しかも――絞ったとはいえ――濡れたままの着物を着続けているせいで寒い。
紅夜と蒼陽に抱き締められて、彼らの体温か冷えた身体を温めてくれたが、それも一瞬にして消えてしまった。
滝に飛び込み、対岸に向かう。
ほとりにあがったところで、ばきばきっと木々が薙ぎ倒される音と振動、そしてシャーという威嚇音が近くでした。
振り返れば、人間一人を簡単に丸飲みできてしまうほどの巨大な大蛇二匹が地面を這い、ものすごい速さでこちらに向かってくる。
「っ――――!」
その姿を目にした途端、喉の奥から悲鳴が突きあがってきた。
「うるせー! 耳元で叫ぶな!!」
「おまっ、おまえが降ろせばっ、いいんだ……!!」
追いつかれまいとして、蒼陽たちもすぐさま駆け出す。
「蒼陽っ、降ろせ!! 私を置いていけば、おまえたちは狙われない!」
「んなことできっか!!」
あんなもん見ちまったからには、何がなんでも逃げてやる!
大蛇は滝をものともせず、長い体で悠々に渡りきり、三人を追いかけてあっという間に距離を縮めた。
「兄ちゃん、だめだ! まわりこまれる!」
紅夜の横を、一匹の大蛇がするすると通り抜け、三人の進路をふさぐように十メートルもの巨体を横たわらせた。
後方も、もう一匹が同じように退路を閉じる。
「くっ……!!」
「だから降ろせと言っている! 私が囮になるから、おまえたちはその間に逃げろ!」
「がたがた震えてる奴の言うことに説得力はねぇぞ!」
担いでいる蒼陽にも伝わるほどの激しい震えが彼女を襲っている。
のりえは蛇が大の苦手だった。
「だっ、黙れ! これは……さ、寒いからだ!」
彼女にしてはめずらしく、変な強がりを見せる。
じたばた抵抗するのりえに、蒼陽はついに観念して降ろした。
「……いいか、全速力で逃げろ」
二人に言い残し、強く地面を蹴る。
単身、闇夜の空に飛び上がり、それに合わせて大蛇たちも頭を上げ、大きな口を開いた。
のりえの跳躍力はゆうに二十メートルを超えている。
いくら全身が長い大蛇とて、そんな高さまでは届かず、口を開けたまま落ちてくる彼女を狙っていた。
「悪いが、おとなしく喰われるつもりはない」
どがっ。
鈍い音がして、一匹が地面に倒れた。
落下による重力を利用してのかかと落とし。
倒れる直前、大蛇の頭を足場にもう一度宙に躍り出、残った一匹の側頭を蹴りつける。
地に伏す大蛇を横目に、のりえは近くの木の枝に着地した。
手加減のない攻撃は敵に苦痛を与え、大きな体をうねらせて痛みに悶えている。
それは手当たり次第にまわりを破壊し、のりえはその場を離れようと飛び立つ。
ふと、背後に気配を感じて振り向けば、
「――!?」
暴れている大蛇の尾が、眼前に迫っていた。
反応に遅れたうえ、空中では逃げ場がない。
とっさに両腕を顔の前で交差に組み、防御体勢を取る。
ばしん!
強い衝撃に腕は痺れたものの、なんとか彼女は受け身を取って地に立った。
「くそっ……!」
(剣さえあれば……!)
図体がでかろうが、苦手なものだろうが、瞬時にして片付けられるのに、今ののりえにはそれができない。
剣はリズヴァーンが所持しており、この場に武器になるようなものは何もない。
せめて紅夜が持っていた刃こぼれした刀でもあればよかったのだが、滝のところに置いてきてしまった。
素手で倒すには巨大すぎるし、こういう相手には打撃が効きにくい。
そして何より、触りたくなかった。
「おめぇ、すげぇな!!」
てっきり逃げたとばかりに思っていた双子が木の陰から出てきた。
「逃げろと言っただろう!? なぜここにいる!」
「あほか! おめぇ一人残して逃げられるかってんだ!!」
「逃げんのなら、のりえも一緒だ!」
二人の心には、もはや女だからなどという陳腐な理由からではなく、優しさやぬくもりを与えてくれ、そして自分たちを受け入れてくれた彼女を守りたいという強い思いがあった。
どんなに化け物じみた力があろうと、苦手なものは苦手で、あのときの震えがなんだか蒼陽には無性に愛おしく、やんわりと身体を包み込んで抱き締めてくれた腕が、紅夜には忘れられないものになっていた。
「あれは私を狙っていると何度言えば分かる!?」
「分かりゃしねぇな! 蛇がきらいなくせしやがって、無理すんな!」
「だっ、誰が無理など……っ?」
そのとき、何やら煙のようなものが辺りに漂う。
火の気はない。
元を探して大蛇たちのほうを見やれば、鎌首をもたげ、口から煙を吐き出していた。
「ぐっ……!?」
突然、のりえが胸を押さえてうずくまってしまう。
「のりえ!?」
「はあっ……はあっ……」
喉が焼けつき、呼吸が苦しくなる。
一瞬発作が起こったのかと思ったが、症状がまったく違う。
(この煙のせいか……)
しかし、それにしては双子には何の影響も見られない。
「――危ねぇ!!」
どかっ。
いきなり蒼陽に突き飛ばされたかと思えば、うずくまっていた場所に大蛇の顔が突っ込んできた。
一緒に飛ばされた紅夜は受け身を取り、のりえは何もできずにごろごろと地面を転がっていく。
よほど強く突っ込んだのか、大蛇はそのまま気絶して動かなくなる。
それでも危険は去っていない。
残った一匹が好機とばかりに動けない神子に向かう。
「やめろっ!」
すぐさま紅夜が間に立ちはだかり、盾となる。
(――やめろ、やめてくれ――私を、守るな――!)
彼女の瞳には、紅夜の背中とその向こうにある大蛇の巨大な口が映し出されていた。
「こう、や……っ! ――紅夜ぁっ、逃げろぉぉぉ――――!!」
山の中に悲痛な叫びが響き渡る。
――ざしんっ!
こだまが消え終わらぬうち、闇に煌めく一陣の刃が大蛇の首を斬り落とした。
「へっ……?」
目の前で起こったあまりの出来事に、紅夜の目は丸くなる。
たった今まで自分を飲み込もうとしていた大蛇は、頭と胴が分かれて地面に落ち、横には闇色の外套を身にまとい、顔を半分隠している長身の男がいた。
「――神子、怪我はないか?」
その男は振り返り、彼女の元に膝をつく。
「金の髪……」
明かりがなくてもはっきりと分かった。
男の肩を過ぎるまで長い髪の色は、太陽のように輝く金色。
「せん、せいっ……先生っ……!」
大きな腕で抱き起こされたのりえは、リズヴァーンの胸にすがりついて泣き出す。
「紅夜、あの男……もしかしてのりえの仲間か?」
蒼陽がやってきて、放心している紅夜の肩を叩くと我に返った。
「多分……。他にも鬼がいたん――」
ずだん!
鼓膜をつんざくような音が響き、双子は何事だと辺りを見回す。
しゅんっ!
今度は矢が横切り、気絶していたはずの大蛇に突き刺さった。
シャアァァァッ!
目覚めて彼らを襲おうとしていたところを、闇の向こうからの攻撃で阻止された。
続いて、長い髪を高く結い上げた青年が飛び出し、見事な太刀筋で大蛇を斬り伏せ、
「――のりえ、封印だ!」
神子の名を呼んだ。
のりえはリズヴァーンの手を借りて立ち上がり、
「めぐれ、天の声! 響け、地の声! かのものを封ぜよ!!」
力をまとった言葉に応えて大蛇の体が淡い光に変わり、きらきらと天に昇っていく。
「…………」
封印の幻想的な光景を目の当たりにして、二人は思わず魅入ってしまい、近寄ってくる人間たちに気づかなかった。
「先輩っ、先輩! 大丈夫ですか!?」
真っ先に彼女の元に走り寄ったのは譲。
頬に触れ、腕に触れ、存在を確かめるまで半狂乱だった譲はようやく落ち着きを取り戻した。
たきが〝のりえがさらわれた〟と言って飛び込んできたときは耳を疑った。
さらった相手の姿が何も見えなかったと話す彼女に、怨霊に襲われたのかもしれないという考えを抱いたときは生きた心地がしなかった。
武器も持たず、体調もままならないのりえでは応戦のしようがない。
すぐに八葉総出で捜索に出た。
朔と白龍は邸に残り、さらわれたのは私が連れ出したと、己を責めるたきをなぐさめている。
付近を捜しても目撃情報すら得られなかった彼らは、高野山近くまで範囲を広げた。
陽が沈んだ夜の捜索は容易ではなかったが、必ず見つけないといけない。
誰もが名を呼び探しているところに、遠くからすさまじい女の悲鳴が聞こえてきた。
――きっとのりえに違いない。
リズヴァーンが鬼の力で先行し、滝の場所を発見した。
そこには見慣れた面が落ちており、何か巨大なものが通った形跡もある。
さらに後を追いかければ、三人が大蛇に襲われていた。
「見つかってホント、よかったよ~! 間一髪だったね!」
「神子が無事で、よかった……」
「ああ、ちょっと待ってください。……怨霊の瘴気を受けてしまっていますね。これは朔殿でないと、浄化できません」
弁慶がのりえの容態を診て、そう診断する。
瘴気を浄化できるのは神気を持つ者のみ。
当然、神である白龍もその力を持つが、今はまだ力が不足しているため、治せるのは黒龍の神子の朔だけ。
「………………」
あっという間にのりえのまわりは人に囲まれ、双子が近づける雰囲気ではない。
誰もが安堵の息をつく中、のりえは取り囲む輪をすまなそうにわけ、二人のところへ行く。
「あ……」
紅夜の前に立ち、十数センチ上の彼の瞳を見据える。
彼女の目に厳しい光があったことに戸惑い、何か言おうと口を開きかけたとき、
ばちんっ。
容赦のない平手打ちが左頬に当たった。
こののりえの行動に、その場にいる誰もが唖然としてしまう。
「あたし言ったよね!? 何度も、何度も逃げろって! どうして逃げてくれなかったの!? どうしてあんなことしたの!? 先生が来てくれなかったら、紅夜喰われてたんだよ!?」
「だ……って、のりえを……守りたかったから……」
叩かれた当初は驚きで痛みはなかったが、時間を置いてじんじんとしてくる。
「だからって自分の身を犠牲にしてまでも守らないで! 紅夜がいなくなったら蒼陽が悲しむ! あたしだってつらいよ! 怨霊に出くわしたのはあたしのせいだもの! あたしのせいで紅夜が、紅夜が……!」
ぼろぼろとこぼれる涙と嗚咽。
のりえは紅夜の存在を確かめるために身体を強く抱き締めた。
「紅夜……お願いだから、二度とあんなことしないで……! 無茶しないでっ……!」
痛いくらいに締め上げられる。
「っ、のりえ……。ごめん……でも、おれたちを受け入れてくれたのりえを、失いたくなかったんだ」
人に殴られることは多々あったものの、今日のこの痛みは、苦しさやつらさを伴う痛みではない。
自分を心から心配して、諫めてくれる行為。
このように誰かに思われたのは初めてであった。
朝がやってきた。
夏の夜明けは早い。
五時前には太陽が姿を見せ、山の稜線を照らし出す。
木々の発する熱が空気中の水分を温め、白い水蒸気となって水色の空へと立ち昇っていた。
昨夜の騒動で体力を使い果たしたのりえはまだ、ぐっすりと眠っている。
怨霊の瘴気を受け、邸に戻ったときには高熱が出ていたが、朔が浄化してくれたため、大事には至らなかった。
早起きの朔が一番に起き、続いてリズヴァーン、敦盛、少し経って九郎が起きてくる。
皆、旅の疲れもあるうえ、神子捜索でへとへとだったにもかかわらず、いつものように起床した。
陽もだいぶ上がり、残ったのは白龍とのりえの二人。
事情を知った邸の主人が当分いてもいいと申し出てくれたので、九郎たちはその言葉に甘えて、もう一日滞在することにした。
白龍がようやく起きてきたのは、朔と譲が作った朝餉が整ったころ。
のりえには今必要なのは休息だったため、誰も起こそうとせず、自然に目覚めるのを待った。
「……ん……」
ごろんと寝返りを打ち、身体にかけていた掛布がずれる。
それがぐいっと肩まで引き上げられる感覚でのりえは目が覚めた。
「…………」
とろんとした色違いの瞳が、誰かの姿を映し込む。
「……ごめん、譲くん……ずいぶん、寝ちゃった」
眠い目をこすりながら、そばにいる人物の顔を見上げるが、
「――――」
譲ではない、まったく同じ顔の少年たちがのりえを見ていた。
昨日まではぼさぼさだった髪は短く切られ、伸びていた無精髭は剃られて若くて凛々しい素顔が覗き、服も九郎や景時の着替えとして持ってきていた一着をもらって着込み、さっぱりとした身なりをしている。
「ちゃんと見ろ。おれたちは譲じゃねぇぞ」
向かって右側に座っている少年が、むすっとしたように口を開いた。
声を聞いて、はじかれたようにのりえは身体を起こす。
「あ、のりえ! いきなり動いたら身体に悪いぞ。朔がまだ無理するなって言ってたんだから」
左側に座っている少年が心配そうに手を伸ばした。
「蒼陽に、紅夜!? ……どうしちゃったの、その顔!」
「……朝起きたら、あの女に身なりを整えろって言われたんだ」
あの女とは、朔のこと。
――のりえが熱で意識を失う直前まで、蒼陽と紅夜の事情をみんなに説明していた。
さらわれたのは怨霊のせいにしておき、連れ去られるのりえを助け出したのが彼らということ以外は、すべて事実を話した。
鬼の血を引き、忌み子の双子であることから村を追い出され、途方に暮れながら山中をさまよっていたところに、彼女に出くわした、と。
兄弟の不遇を聞き、誰もが労りの言葉をかける。
その後、互いに自己紹介をし、リズヴァーンのときなど、二人は目を丸くしてじろじろ見てしまった。
のりえが世話になったということで、九郎が邸の主人に取り合い、彼らも泊めてもらえるよう交渉した結果、主人は快く承諾してくれた。
久しぶりに屋根のある場所で寝られる興奮からか、結局は数時間しか眠れず、陽が昇ってすぐに起き出したところに朔の指摘が入った。
「理由はどうあれ、身だしなみにはもう少し気を遣ってちょうだい。のりえは年頃の娘なのよ」
そういう朔も充分年頃だが、彼女は出家した身であり、最初から無関心だった。
無精髭は自分たちで剃ってもらい、髪は朔と景時が一緒に整え、着替えを渡した。
昨夜より若く見える二人に、つい九郎が訊いてしまう。
「おまえたち、歳はいくつだ?」
「十九だ」
年上かと思われた兄弟は、驚いたことに九郎よりも下であった。
そして鬼の一族は皆が美男美女という伝えだが、彼らも美男に入るほどの男前で、たきは同じ顔が二つあっても恐れず、むしろ目を奪われていた。
「うん……すごくかっこいい」
初めて会ったときの姿と、同一人物とは思えないくらいに変わっている。
「あ……――ごめんね、紅夜……痛かったでしょう?」
頬の腫れに気づいて、のりえは謝る。
「こんなの、痛くもかゆくもねぇ……」
窓から差し込む陽の光の下で見る彼女の瞳はとても美しい。
右眼は闇そのものを湛え、左眼は青く透き通った海を埋め込んだかのようだ。
同じ碧眼のリズヴァーンとは、似ているようで似ていない色をしていた。
「まあ、蒼陽殿、紅夜殿。のりえが起きるまで、部屋に入るのは遠慮するように言ったはずよ?」
朔が部屋に入ってきて、二人に注意した。
「す、すまねぇ。でも、のりえのそばにいたかったんだ」
「え……」
「昨夜のことが夢じゃなかったんだって、確かめたかったんだよ」
紅夜と蒼陽が交互に答える。
のりえが山の中で言ったことは本当だった。
〝――人間がすべて、あたしたちを虐げる人ばかりじゃないってことは教えてあげられるよ〟
その言葉のとおり、彼女の仲間は人間でありながら、誰も自分たちを否定しなかった。
それよかもう一人、鬼がいた。
(こいつらはいったい何者なんだろう?)
当然のように、そんな疑問が浮かんだ。
朝餉のときに訊いてみれば、彼らは京からやってきた者たちで、ある用事のために熊野本宮を目指しているという。
それ以上の答えは得られず、のりえの正体も訊いてみたのだが、皆が曖昧な態度を取り、詳しい話はしてくれなかった。
「さあさ、二人とも。とりあえず出てちょうだい。のりえが着替えられないわ」
そばを離れることを渋る双子をなんとか追い出し、
「具合はどう? 苦しさはある?」
「もうすっかり大丈夫だよ。ありがとう、朔」
「九郎殿がもう一日滞在できるようにしていただいたから、今日は無理をせずに養生よ」
「うん。……ごめん」
「どうしてあなたが謝るの? まさかこんなところで怨霊に襲われることはないと過信して、あなたから離れてしまった私たちに非があるのよ」
「…………」
誰もがのりえの嘘を信じて疑わない。
けれど、こうしなければ二人が責められるのは目に見えているので、真実を口にすることはできない。
ただもう一度、のりえは小さな声で謝罪してから、朔の用意してくれた着物に着替え始めた。
身支度を整えて部屋から出てきたのは、それから半刻後。
九郎のお下がりの直垂を着込み、顔には白い面をつけていた。
「せっかくきれいな顔してんのに、隠すなんてもったいねぇ」
居間で遅めの朝食を摂っているとき、紅夜は心底残念そうに呟いた。
「夜はともかく、昼間はすぐに目の色はバレちゃうし、先生だって髪は隠してるじゃない」
余計ないざこざを起こさないため、人の目があるところでは、リズヴァーンは金の髪を隠していた。
両目は、彼があまりにも長身ゆえ、まじまじと見ないかぎり、誰もが目を合わせることはできないので、のりえのように面で隠すことはしない。
「もったいねぇ」
よほど彼女の顔が気に入ったのか、紅夜はため息をつきながらもう一度同じ言葉を口にした。
食事を終えた――双子から見ればそれは食べ物ではなく、飲み物だった――のりえは気分転換にと縁側に出る。
九郎とリズヴァーンの師弟は主人の手伝いに田んぼへ、景時はたきと洗濯中、譲と敦盛は草の生い茂った庭の草むしり、白龍は弁慶と一緒に薬草の採取に出かけていた。
「……みんな、お手伝いしてるんだね」
双子も、世話になってるばかりじゃ申し訳ねぇと、昨日リズヴァーンたちがやっていた作業の、立て付けが悪い戸の直しや、これから度々やってくる野分に備えて屋根の補強をするという。
「のりえ、あなたは何もしちゃだめよ」
彼女が何かを言い出す前に、朔は釘を刺す。
「はーい……」
この〝何もしない〟というのが、のりえにとっては何よりも苦痛なこと。
今のところ、体調は悪くない。
それは気温が上がりきっていない今だけなのかもしれないが、再び床に行くのはいやだった。
縁側にごろんと寝転がり、庭にいる譲たちや屋根に登っている双子と他愛ない会話を交わす。
途中から、裏の井戸で洗濯していた景時たちが洗った着物を干すため庭にやってきて、話に加わる。
迫害され続けていた蒼陽と紅夜は、これほど多くの人間たちと長く言葉を交わし、笑い合える時間が持てるとは思いもしなかった。
こんな楽しい時間がずっと続けばいい――作業をしながら、二人はそう強く願う。
半時ほどして、薬草採取に出ていた弁慶たちが戻り、白龍が林の中にめずらしいものがいたと言って、うれしそうに見せたものは、彼女に悲鳴をあげさせる生き物だった。
同じ縁側に座って小休憩を取っていた敦盛に飛びつき、ぶるぶる震える姿は仔犬が怯えているようで、まわりの者たちは笑ってしまう。
「うわー、おっきい! 白龍、よく見つけてきたね」
白龍の手のひらには、黒光りする体と天に向かって伸びた一本角の立派なかぶと虫がいた。
「薬草、見つけてたら、上から落ちてきた……――神子、ごめんなさい。神子が、こわがるなんて、思わなくて……」
かぶと虫は景時の手によって空に放たれ、茶色の羽根を羽ばたかせてどこかに飛んでいく。
「…………」
大切な神子を怯えさせてしまった白龍は、誰が見ても分かるようにがっくりと肩を落とし、うなだれてしまった。
「んだよ、あんな虫が怖ぇのか? おめぇ、強ぇとか言って、本当は臆病もんなんだな」
蒼陽が豪快に笑い、元気づけに子どもの小さな背中を叩く。
「う、うるさいな! 虫とか、爬虫類とか、全部だめなんだよ! ちっちゃい頃、近所の男の子たちにぶつけられたり、服ん中に入れられたりして、ひどい目に遭ったんだからぁ!!」
半泣きで訴えるのりえ。
いまだ敦盛の腕をつかんで背中に隠れている。
「は、白龍……ごっ、ごめんね? せっかく、あたしに見せてくれようとしたのにっ……」
「ううん……神子、ごめんなさい」
金色の瞳からぽろぽろと涙が落ちる。
慌ててのりえは敦盛から離れ、白龍を抱き締めた。
「白龍があやまることは何もないよ! めずらしいものをあたしに見せてくれようとした思いはすごくうれしい。ありがとうね、白龍」
心臓はまだばくばくしていたが、彼の気遣いは本当にうれしかった。
ほどなくして、田んぼに出ていた九郎たちが昼休憩のため、家に戻ってくる。
蒼陽がその出来事を身振り手振りおおげさに話すと、二人は笑って聞いていた。
「そういえば、京の邸にいたときも、小さな蜘蛛一匹で大騒ぎしたことがあったな」
あのときは取り乱して、朔が廊下拭きに使っていた塗れ雑巾を踏んで転んだところに、九郎が出くわした。
「あれは…………痛かった」
のりえには思い出はおろか、痛みまでもがよみがえってくる。
後頭部を強く打ちつけ、目を見開いたまま動かなくなってしまった彼女に九郎は驚いて、すぐさま抱えて弁慶の部屋に駆け込んだ。
「こっちは本当に驚いたぞ。動かなくなるから、てっきり死んでしまったかと思った」
実際は強烈な痛みに硬直していただけで、後頭部にできた大きいたんこぶは、弁慶が丁寧に手当てした。
それからどういうわけか、のりえの失敗談暴露大会が始まり、昼餉の時間は抗議をあげる彼女とみんなの笑い声が絶えなかった。
午後になって、今度は景時と譲が主人と畑に行き、手入れと野菜の収穫を行う。
弁慶は午前中に集めてきた薬草を整理し、他の者は蒼陽たちの補強作業を手伝った。
大人数でやると作業はあっという間に終わってしまい、時間に余裕ができる。
「明日の朝、ここを出立するのだ。これからの旅路を考えて休んでおけ」
と九郎は言ったが、彼は師に教えを請い、譲と敦盛が整えた庭で鍛練を始める。
すると、双子も興味を持ち、鍛練に加わった。
武器を持たない彼らは体術を教えてもらったが、驚くことに飲み込みが早く、すぐさま一対一の組み手を行うことに。
見学していた者たちは、服装は違えど同じ顔が対峙する光景に不思議な感覚を覚えていた。
二人ともまだまだ荒削りだが、よい動きをする。
スピードは若干弟の紅夜のほうが速く、力は兄の蒼陽が強かった。
「素質は充分にある。鍛えれば、優れた使い手になるだろう」
リズヴァーンからのお墨付きももらえた。
鍛錬が終わってから、各々本当に自由に過ごした。
畑に行っていた景時たちも戻り、のんびり過ごす。
のりえは案の定、暑さに当てられて部屋の中で横になっていた。
夕方になり、気温も下がってきたころ、九郎と景時がのりえの元にやってくる。
「たき殿に使いを頼まれてな。暑さもやわらいだことだし、気分転換に付き合うか?」
「のりえちゃんも一日中家の中ってのは気が滅入っちゃうでしょ?」
お使いがてら散歩に誘われた。
風も出てきたせいか、いつもより涼しく、身体を動かしたいと思っていたのりえは喜んで受けた。
今度は何が起こっても、そばにいる九郎と景時が対処できる。
もっとも、そう何度も〝何か〟が起こっては困るのだが、二人は手練れの武士。
ちょっとやそっとのことでは揺るがない。
それに、この組み合わせでどこかに出かけるのは初めてだった。
使いそのものは、何軒か裏の――と言っても一軒一軒が離れているため、かなり歩くことになった――家に、収穫したばかりの野菜を届けるという簡単なもの。
行きの道中、二人はのりえの語学の生徒だったので、ミニ青空教室が行なわれた。
九郎はもちろん、景時も時間があれば、のりえに英語を教わっていたのだ。
発音はともかく、言葉を知るのが楽しいらしい。
「ねえねえ、のりえちゃん。太陽ってなんて言うの?」
「SUN」
「さん? じゃ、月は?」
「MOON」
「むーん?」
「月がむーん? それだと、月が唸っているようだな」
「じゃ、そういうふうに覚えましょうか。太陽は光がさんさんと降りそそぐから〝SUN〟。月は夜に満ち欠けして姿を保たないのでむーんと唸るから〝MOON〟って」
「ふふっ、面白いね」
「言葉覚えってそんなものですよ。語呂合わせで覚えたほうが早く覚えますし」
それから三人は使いを果たし、帰路につく。
だが、行きに見せたのりえの元気さが少し精を欠いたように見えた。
民家の人間に野菜を渡すとき、九郎と景時の後ろにいたのりえがちょっと顔を見せると、あからさまに態度が変化した。
口では礼を言っていたが、彼女の面をつけている姿に不信を持ったようだ。
三、四歩遅れて後ろをついてくるのりえを二人は何度も振り返り、横に並んでは励ましてくれた。
しかし、のりえは自分のことで落ち込んでいるわけではなかった。
ふと立ち止まり、九郎の名を呼んだ。
「なんだ?」
「あの……あたしが頼める立場じゃないってのは充分に分かってる。分かってるんだけど……」
言葉が止まって、九郎を見上げていた顔が下を向く。
九郎と景時は、のりえの言葉をじっと待った。
「――蒼陽と紅夜を……連れていくことって、できないかな?」
懇願するようにばっと顔をあげた。
面でその表情は見えないが、二人には彼女がどんな表情をしているのか手に取るように分かる。
「二人はたかが双子ってだけで村を追い出されて、行くところがなくて……。あたしだって、朔に出会わなければわけも分からず、戦場で死んでいたかもしれない。でも、みんなはあたしたちを置いてくれてる。でも、蒼陽たちはあたしたちと別れたらまた二人ぼっちになっちゃう……いくら彼らがいいほうに変わっても、まわりが変わってくれなきゃ二人がかわいそう。あたしと譲くんに、九郎さんや景時さんたちがいてくれるように、今度はあたしがいてあげたい。養ってもらってる分際でこんなあつかましいことを言うのは本当に申し訳ないって思っています! でもっ……すみません、お願いします。九郎さん」
深々と頭を下げた。
「の、のりえちゃんっ、頭を上げてっ? 実はね、そのことでオレたち、のりえちゃんを外に誘ったんだよ。オレたちも彼らのことで話し合ったんだ」
景時が肩に手を当て、上半身を上げさせる。
「午後の組み手を見ていて思ったのだが、あいつらは確かに先生のおっしゃるとおり、武人としての素質を持っている。先生の下で鍛錬すれば、強くなるはずだ」
「源氏の中でまともに怨霊に向かえる人間は少ない。なさけないけど、武士たちの中では怨霊が出たら君に頼っちゃう者たちもいる。本来守るべきはのりえちゃんなのに、これじゃ本末転倒でしょ。だけど、彼らは大蛇から君を守ろうとした。怨霊を物怖じもせずにね。……だから彼らさえよければ、のりえちゃんについてもらおうと思っていたんだ」
「え……」
「とりあえず、今のところは君が白龍の神子で、怨霊から狙われてるってことだけを話して、源氏云々は京に戻ってから彼らに決めてもらっ――!?」
いきなり景時の首が絞まった。
のりえが勢いよく景時に抱きついたのだ。
「あははっ、のりえちゃん、オレ、照れちゃうよ……」
言葉がなく、こうして抱きついてくるのは、彼女が示す最高の喜びと感謝の表れだと景時は知っている。
だが、事情を知らない九郎は一人驚きながら怒り出す。
景時をめいっぱいハグして、のりえは今度は九郎を抱き締めた。
細い腕でぎゅうっと。
「ばっ、ばか!? 何をしているんだ!! 俺は別にうらやましいからと怒ったわけじゃないんだぞ!?」
押し返そうとすればするほど、腕が九郎を締める。
「九郎、これは〝はぐ〟って言って、のりえちゃんの感謝の意だよ」
面白いほど慌てふためく九郎を見て、景時が笑いながら説明した。
ぎゅうぅぅぅ。
「なっ、なんだとっ? ちょっ……のり、え!! く、くるっ、しぃ……! 締めすぎだっ!!」
「だって、この気持ちをどうあらわしたらいい!? うれしくてしょうがないんだもん!! キスしたいくらいだよ!」
「きす?」
耳慣れない言葉に、二人が首を傾げる。
この反応が舞い上がっていたのりえの気持ちを抑えた。
ばっと九郎から離れ、
「い、いえ、なんでも……!!」
面で隠れていない耳が真っ赤だった。
彼女の様子から、聞いてはいけない言葉だと思った二人はそれ以上聞くことはせず、のりえを真ん中に挟んで畦道を歩き出す。
のりえの両手はそれぞれ九郎と景時の手とつないでいた。
「こうして歩いてると、ちっちゃいころ思い出すな~♪ 将臣くんと譲くんと三人一緒で、日が暮れるまで遊んで……。帰りは二人がいじめっ子から守るように両脇についてくれて」
「のりえちゃん、いじめられてたの?」
「女をいじめるとは卑怯な奴だな」
「どこの世界でも同じですよ。……この色違いの目が原因で〝気味悪い〟とか〝悪魔の子〟とか。大きくなって、目を隠すためのコンタクト……えーっと、あたしたちの世界では簡単に目の色を変えられる道具があって、それを使おうとしたんですけど、どうもあたしの目には合わなくて。でも、大きくなったらいじめもなくなったから、ずっとこのままにしていたんです」
話しながらとことこ歩いていると、前方の脇道から旅人らしき青年が出てきて、三人の十数メートル先を歩く。
背中に負った身の丈以上ありそうな大太刀に三人とも目を奪われたが、怨霊がいるこの時世、旅人が帯刀していてもおかしくはない。
「そんなに恐れるものじゃないのにね。オレ、初めてのりえちゃんの目を見たとき、びっくりしたよ。海をはめ込んだかのようにきらきら光る瞳、すごくきれいだって思った」
景時がそう言った途端、前を行く青年が立ち止まり、すごい勢いで振り返った。
三人は話に夢中で気づかない。
「譲くんから聞いたけど、のりえちゃんたちの世界には、リズ先生みたいな人がいっぱいいるんだって?」
青年は大股で三人に近寄ってくる。
そこでようやく、青年がやってくる気配に気づいて九郎たちは立ち止まった。
「……のりえ、下がっていろ」
九郎と景時はつないでいた手を離し、のりえを背に隠す。
青年の視線はのりえにずっと固定されたままだったが、彼女を隠されて数メートル手前で止まる。
「おまえ、何者だ?」
九郎が厳しい表情で問う。
「いま……〝のりえ〟と〝譲〟って名前が聞こえたが……そこにいるのは、のりえなのか?」
青年は九郎の問いに答えず、質問返しをした。
「え……?」
名を呼ばれたのりえは、九郎の陰からそっと青年を窺い見る。
がっしりとした体格、日に焼けた肌、肩まで伸びた髪は後ろで結ばれている。
精悍な顔つきはどことなく見覚えがあり、声にはもっと聞き覚えがあった。
「――――」
この世界に来て、何度彼に会いたいと願っただろう?
何度涙を流し、呼んでも返事が返ってくることのない名を口にしただろう?
それが突然、この地でばったり出会えるなど誰が予想できただろう?
しかし、頭のどこかでこれは幻かもしれないと疑うところもあった。
いつもの夢だ。
蒼陽たちのことで舞い上がって、自分が勝手に妄想しているだけなのかもしれない、と。
「おまえ、なんでそんな仮面つけてんだよ? そんなんじゃ、見つかるもんも見つからねぇじゃねぇか」
青年はのりえの両手と耳にある銀の装飾品を確認して、泣きそうなそれでいてうれしそうな表情を見せ、歩み寄ってきた。
「……うそだ……うそだよ……これは、夢なんだ……」
逆に、のりえはゆっくりと首を振り、後ずさりする。
「きっと、蒼陽たちのことがうれしすぎて……あたし、どうにかなっちゃっ――――」
九郎と景時の間をすり抜け、青年はのりえの手を取り、胸に抱き寄せた。
声をあげる間もなく面を取られ、ぐいっと顔を近づけられる。
色違いの瞳に青年の姿が映りこんだ。
「……俺の名を呼べ、のりえ」
そうしたら、夢ではない証拠を見せてやる。
「ま――将臣――――……っ……」
彼女の唇から呟かれた言葉と息を、すべて吸い込むかのように唇を合わせた。
片腕でのりえの身体を抱き締め、残った手は顔をそらせないように頬に当てている。
「んっ……ぅ……」
突然の接吻光景を前に呆然とする二人をよそに、将臣はしっかりと舌を絡め、濃厚なキスを交わす。
「……夢より、おまえがリアルに感じられる」
唇をほんの少し離して囁く。
「っ……ホントに……将臣くん……?」
「そーだよ。人相変わっちまってるが、俺以外誰がいる?」
証明するように右手を見せた。
小指には銀の指輪。のりえがはめている、まったく同じ指輪があった。
のりえは将臣の右手を握り、ぬくもりを確かめる。
手は夢の中と違い、ごつごつしていたが、それがより強く現実味を感じさせた。
「将臣くん……将臣くん……ずっと会いたかった、会いたかったんだよ……」
涙がまたたく間にあふれる。
将臣は唇で頬と目元の涙を拭ってからもう一度唇を重ねた。
今度はほんのりしょっぱいキスだった。
――ごほんっ。
遠くから、かすかに気まずそうな咳払いが聞こえた。
その瞬間、のりえは慌てて将臣の身体を押し返す。
九郎と景時の存在をすっかり忘れていた。
「ま、将臣くん……離してっ」
腰にまわった腕はがっちり組まれていて、離す気配はまったくない。
のりえは仕方なく、将臣の腕の中で二人の姿を捜した。
彼らはのりえたちに気を遣って、離れたところでこちらを気まずそうにちらちら見ていた。
「将臣くんっ、お願い! あたし、連れの人たちがいるの……!」
「あいつらか?」
白い首筋から顔を上げ、将臣はのりえを見る。
「そう……そう!」
なんとか将臣の腕から逃げ、外された面を取り返して、耳まで真っ赤になった顔を隠す。
刹那、のりえの胸元から青く光る宝玉が出現し、将臣の左耳に吸い込まれていった。
「っつ……! なんだ……?」
一瞬、燃えるような熱さを感じた将臣は顔をしかめる。
「今の、八葉の宝玉だ!!」
驚いたように声をあげたのは景時だった。
小走りによってきて確認すれば、将臣の左耳に八葉の証である青い宝玉が埋め込まれている。
「はちよう?」
「譲くんも同じ八葉なんだよ。やっぱり兄弟なんだね~」
「譲?」
状況がいまいちつかめない。
はて、〝はちよう〟とはいったいなんぞや?
将臣の頭の上にクエスチョンマークが飛び交うのが見えて、のりえは言った。
「えっと……景時さん、九郎さん。紹介します、彼が幼なじみの将臣くんです。――将臣くん、お二人はあたしと譲くんがお世話になっている方たちで、九郎さんに景時さんって言うの。あたしたち、景時さんの妹さんの朔に会ってなければ、生きてなかったかもしれないんだよ」
「そうなのか? ……有川将臣だ。のりえと弟の譲が世話になったようですまない」
二人に向かって頭を下げる。
「いや……。おまえが将臣か。このようなところで会えるとは思いもしなかったが……――よかったな、のりえ」
のりえに笑顔を向けたつもりだったが、なぜかそれが強張った笑顔になってしまった。
(この男が、のりえの会いたがっていた男……想い人)
そう思うと、かろうじて〝よかった〟と言葉を口にできたが、内心はなぜかもやもやしていた。
「初めまして、将臣くん。君の幼なじみののりえちゃんと弟の譲くんにはずいぶんお世話になっちゃってるんだ」
「ははっ、そうか? こいつの身体のことは知ってんだろ? むしろ、迷惑ばっかりかけちまってんじゃねぇか?」
「いや、のりえの事情を知りつつも無理を強いてしまっているのはこちらのほうだ。現に今も、俺の用事にのりえを付き合わせてしまっている」
「へえ? ……そういや、譲はどこにいんだ? まさかおまえら三人だけでこんなところにいるわけじゃねぇよな?」
譲がのりえから離れるはずがない。
将臣は辺りを見回したが、自分たち以外、人っ子一人いなかった。
「今ね、旅の途中で、この村に立ち寄って宿を借りてるの。宿って言っても普通のおうちに頼んで泊まらせてもらってるんだけど、譲くんたちはそこにいるよ」
「ああ、そうか。じゃ、くっついていくぜ。おまえとは夢の中で会っていたが、譲とは三年半ぶりだ」
「……えっ?」
将臣の言葉に、のりえはきょとんとした。