がぢぃっ!

「っく、あ……!」

 両腕にすさまじい力が降りかかる。

 鎧武者の刀を、のりえは手にした剣で受け止めていた。

 びりびりと腕が痺れる。

 だが、持ちこたえなければ確実に相手の攻撃を受けてしまう。

「このっ……!」

 押し返そうと力をこめるが、彼女の細い腕では支えているだけで手一杯だった。

「――怨霊よ、おまえの相手は私でしょう」

 突然、横から若い女の声と石が投げられてきた。

 手のひらサイズの石は鎧武者の顔面横に当たり、相手はバランスを崩す。

 押さえつける力がなくなると、のりえはすかさず右足で腹を蹴り飛ばし、仰向けに倒れた鎧武者の腹に躊躇なく剣を突き立てた。

「っはあ、はあ、はあ……」

 肺が悲鳴をあげている。

 少しでも楽ができるよう、大きく肩で呼吸をする。

 意識が朦朧とし、気を失えばどれだけ楽になるだろうか。

 しかし、ここで意識を失えば、死んでしまいそうな気がする。

 なんとか我を強く持ち、呼吸を整えた。

 鎧武者に突き刺した剣を引き抜き、倒れた子どもに駆け寄る。

「君っ、大丈夫!?」

 身体を抱き起こそうと手を伸ばす。

 子どもはすがるように腕につかまり、のりえに抱きついてきた。

「神子……」

「助けてくれて、ありがとう。もう、平気だからね」

 寄せてくる小さな身体が震えている。

 のりえは安心させるように背中を優しく撫でてやった。

「あなたも、ありがとうございます。あのままでは押し潰されてしまうところでした」

 離れたところにいる女に礼を言う。

 のりえより少し年上だろうか。

 首筋で切り揃えられた黒い髪に、こちらも古風な着物の装束を着ている。

「早くお逃げなさい、ここは危険よ」

「え……」

 女から返ってきた言葉は警告だった。

「私の力ではわずかに抑えることしかできない。あなたたちは早くお逃げなさい」

「危険ならあなたも一緒です」

 まっすぐなまなざしで女を見る。

 視線が合わさると、女の表情が一瞬驚きに変わった。

「あなた……。――怖くないの?」

「……? もちろん、怖いですよ。正直言って何がなんだか分からない……。でも、ここにいては確実に命はない。それだけは分かります」

 ずっと本能が叫び続けている。

 ここから離れろと。

 不思議な感じだが、以前にも同じような境遇にあったような気がする。

 それがいつ、どこで、なぜそうなったのか、まったく理由は分からない。

「神子……ふるえてる……? だいじょうぶ、だよ」

 子どもが小さな手でのりえの左手をぎゅっと握る。

 金色の瞳がじっと見つめていた。

「……うん、ありがとう。――さあ、行きましょう」

「……ええ」

 とりあえずここから離れるために歩き出すが、数歩も行かないうちに前方の霧の中に黒い大きな影が現れた。

 人とは思えぬ声が聞こえる。

 のりえはとっさに身構えた。

 肌にぴりぴりと感じる殺意が、敵であることを知らせる。

 右手につかんでいる剣が不思議なくらい、手に馴染んでいる。

 これまで剣など持ったことがないのに、無意識に身体が反応する。

 全身を巡る鋭い感覚を、のりえは拒むことはしなかった。

 拒めば、生き抜くことができない。

 血管の血が激しく流れ、呼吸が大きくなる。

「……あたしはここのことが分からないし、正直言って、逃げられる体力もあるか分からない。血路を開くから、二人で逃げてください」

「なに言っているの? さっきは一緒に逃げましょうと言っておいて、あなたがそんなことを言うの?」

 女が、前に進み出たのりえの袖をつかむ。

「心臓が……悲鳴をあげているんです。もともと寿命が短いこの命。むやみに逃げて死ぬよりも、確実にあなたたち二人を逃がしたほうが懸命の使い方になるでしょう」

 訳も分からぬところで命果てるのは口惜しい。

 だが、こんな状況になってしまった今、他にどうすることもできない。

「そんな……。――なら、せめて私も戦うわ」

 帯に挟んでいた舞扇を取り出す。

「だめです、あなたは……」

「あれは怨霊。悲しみや痛み、嘆きが降り積もった存在よ」

 じょじょに向かってやってくるおぞましいものに視線をやる。

「怨霊……?」

 聞き慣れない言葉だが、初めて聞いた音ではない。

 よく夏の特番テレビで心霊特集をやっており、その中で悪霊やら怨霊などの単語を耳にしたことがある。

「私が怨霊の力を抑えるから、あなたはその間に攻撃をお願い」

「力を抑える……? そんなことができるんですか?」

「少しなら。私にはその能力があるの」

 手にした舞扇を開き、ゆっくりとそれを宙に舞わせる。

 すると、こちらに向かっていた鎧武者の足が止まった。

 苦しそうに呻き、がちゃがちゃと鎧が音を立てる。

「君は危ないから下がってて」

 手をつないでいた子どもを後ろに下がらせようとすると、

「神子、龍の加護をあなたに……。私も、あなたを守るよ」

「守るって……」

 子どもは引き止めようとするのりえの前に出て、右腕を振るう。

 驚いたことに、振りかざすとこぶし大の火の玉が現れ、鎧武者に向かって飛んでいく。

「グギャアアア……」

 それは直撃し、鎧武者の腹部を吹き飛ばす。

「……すごい」

 目を見張る光景に一瞬放心してしまったが、その間に別の鎧武者たちが迫っている。

 すぐに我に返ったのりえは両手で剣を構え、地を蹴った。

 動きの鈍っている今なら、のりえの力でも隙をつけば、簡単に倒すことができる。

 しかも、確実に急所を突いていた。

「……これでっ、最後っ!」

 四体目の首を断ち斬ったところで、がくんと膝をついてしまった。

 剣を振るい、もっとも弱いところを攻撃することに問題はなかったが、いかんせん体力が続かない。

 気管からびゅーびゅーと不快な空気音が漏れ、額から汗が流れ落ちる。

「ははっ……信じられない……よく、もってるな……この、身体……」

 体育授業の運動量の比ではない。

 とっくに心臓が破裂して死んでもおかしくはないはずなのに、いまだにこの身体は生きている。

 呼吸を整えようと大きく息を吸ったときだった。

 すぐ近くで斬り倒した鎧武者の体が動き出し、首がないまま立ち上がる。

「なっ――!?」

 見れば、まわりに倒れていた他の鎧武者たちも起き上がっている。

「どう、して!? 倒したはずなのに……」

「やはり無理なのね……封印の力を持たない私では……」

 女が絶望したように呟く。

「神子、神子!」

 子どもがのりえに走り寄り、細い身体に抱きついた。

「神子、封じて――あなたの力で!」

「え、え? なに?」

「――神子……?」

 子どもの言葉を聞きとめた女が顔をあげ、のりえを見る。

「あなたが、神子? あなたが、私の対――白龍の神子なの?」

「ギシャアアァ!」

 首を斬られてもなお立ち上がった鎧武者は刀を振り上げ、斬りかかってくる。

「くっ……!」

 とっさのことにのりえは子どもを抱えて間一髪のところで避けた。

「封じるってなに? なんのこと? あなたが封じられるの?」

「ちがう、神子が封じる。神子にしか、できない」

「えぇ?」

「神子、願って。封印の力を」

「……あなたが真の龍神の神子なら、封印の力があるわ。私ももう一度、怨霊を鎮めてみる」

「ちょっ、あなたまで……。封印なんてあたしにはでき――!?」

 言葉の途中で背後に寄ってきた鎧武者を一刀両断する。

(もう限界なのに……! 襲ってこないで、消えてよ!!)

 心の中で叫んだ瞬間、



 ――神子の願いを――



 頭の中で響く声とともに、目の前の鎧武者がまぶしい光に包まれたと思うと、その姿が跡形もなく消し飛んでしまった。

「――――」

「神子!」

 子どもがうれしそうな声をあげる。

「な……に? 今の……。さっきまで斬っても消えなかったのに……」

「今のが封印の力よ。やはり、あなたが白龍の神子なのね」

「……よく、分からないけど……――とにかく、さっきの力が使えれば、この場にいる怨霊たちを完全に倒せるってことだね」

 残った力を振り絞り、他の怨霊たちを同じように封印していく。

 ………………。

 すべてが終わると、辺りに静寂が満ちた。

「もう、だめ……」

 ぜえぜえと息を吐きながら、のりえは河原の上にどさりと座り込んでしまった。

「神子、だいじょうぶ?」

 邪魔にならないように離れていた子どもがすぐに寄ってくる。

 手にはきれいに装飾された剣の鞘と見覚えのあるバッグを持っていた。

「それ……」

「あそこの岩陰に落ちていたの。見たこともないものだけど、あなたのものかしら?」

「そう、そう! よかった、これがあって」

 バッグを受け取り、急いで中を探る。

 プラスチック製のピルケース。

 大きさはちょうどA4サイズ。

 細かく仕切られた中には、さまざまな薬が入っていた。

 五種類ほどの錠剤を選び出して、口の中にほうる。

 一緒に入っていたペットボトルの水で一気に飲み込んだ。

 のりえが薬を飲んでいる間、子どもは抜き身の剣を鞘へとしまう。

「……ねえ、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」

 一息ついているところに、女が訊いてきた。

「私は朔、梶原朔というの」

「あ、えっと、ノリエです。ノリエ=アルファータです……」

「そんなにかしこまらないで。朔と呼んでくれるとうれしいわ。私もあなたを名前で呼んでいいかしら?」

「じゃあ……遠慮なく。あたしのことはのりえって呼んで。いつもそう呼ばれているから」

「ふふっ、分かったわ」

 朔の笑顔につられてのりえも微笑む。

「ね、君の名前も教えてくれる? 学校の中庭にもいたよね?」

 のりえが問いかけると、子どもはきょとんとした顔で首を傾げた。

「なまえ? 名前って……なに?」

「え……名前は名前なんだけど……」

「……人があなたをなんと呼ぶか。そうでないなら……なんと呼ばれることを、あなたが望むかよ」

 困ったのりえの代わりに朔が説明する。

「いろいろ音はちがうけれど……――白龍と、よぶ人もいた」

「白龍?」

 その名を聞いて、朔の表情が変わった。

「……龍神の名と、同じね。白龍の神子、あなたに力を与える神の名だわ」

「神……? ずっと気になってたんだけど、あたしのことを神子とか、白龍の神子とか呼んでるけど、なんなのそれ? あたしはただの高校生だよ」

「ううん、神子は神子だよ。神子、時空があなたを選んだ。時空の狭間に響く、鈴の音をあなたが聞いたから。神子は、神子に決まったよ」

「鈴の音?」

 言われて考え込む。

 確かに白龍という子どもに出会う前、朝と休み時間に鈴の音を聞いた。

(あの音がそうだったの……?)

 のりえだけにしか聞こえなかった鈴の音。

 そばにいた将臣や譲は何も聞いていなかった。

(――将臣くんと譲くんは!?)

 そこでようやく二人の存在を思い出す。

 二人とも川に流されて、将臣とはあと少しで手をつかむことができたはずだったのに、のりえの体力が保たなかった。

 同じようにどこかの地に流れ着いて無事でいるのだろうか。

 すぐにでも二人を探しに行きたかったが、あの激しい動きの後で残されている力はなかった。

 立ち上がろうとしても足に力が入らない。

「あなたが執り行った封印は、白龍の神子に授けられた稀なる力よ。私も神子ではあるけれど、封印はあなたにしかできないわ」

「えっ、朔も神子なの?」

「ええ。あなたの対である黒龍の神子よ。鎌倉殿は、黒龍の神子でも怨霊を鎮められると私に命じられたけど……。私では怨霊を封印することはできない。怨霊の声が響くばかりで……動けなくなってしまって……。気がついたら一人で……この宇治川の戦場で、惑うばかりだったわ」

「宇治川の……戦場!?」

 戦場という言葉を聞いて、背筋にひやりとしたものが伝う。

「神子」

 青ざめる彼女を心配して、白龍が手を握った。

「神子、ふあん?」

 なぐさめるようにあいている手で頬を撫でる。

「あ……いや、うん……」


 先ほどまで命のやりとりをしていた恐怖の感情に比べれば、今の不安は可愛いものだ。

 しかしここが戦場というのであれば、他にもあのような怨霊がいるのか。

 今はなんとかなったものの、次に対峙したときには剣が振るえないかもしれない。

「でも、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけちゃって」

 こんな小さな子どもに心配をかけてしまうなんて。

 のりえは心の中にある負の感情を奥底にしまいこみ、笑顔を見せた。

「のりえ、歩けるかしら? まずはこの場所を離れましょう。ここは━━さっきのような怨霊がまた現れるわ」

「え、わ、分かった」

 いくらか休んだおかげで体力が戻ってきた。

 バッグを肩にかけ、剣を手にしたときにふと気がついた。

「これ、白龍のでしょう? ごめんね。今まで借りちゃって」

「ううん。それは神子のものだよ。だから、神子が持っていて」

「いいの?」

「うん」

「……ありがとう」

 礼を述べて、鞘についていた紐を腰元にくくりつける。

 邪魔にならないように背面に固定させてから、のりえは萎えた足に力を込めて立ち上がった。

「宇治川の下流に向かいましょう。橋姫神社まで行けば、きっと誰かに会えると思うの」

「橋姫神社、だね。分かった」