パナソニック創業者の松下幸之助さんの『指導者の条件』(PHP文庫)という本より、「カンを養う」という章を一部ご紹介します。

(ここから引用)
 日露戦争の時のことである。名将といわれた黒木為楨(ためとも)大将が第一線を巡視していて、「今夜は夜襲があるぞ」というと、必ずその晩は敵が攻めてきたそうである。


 なぜそれがわかるのかというと、特別な根拠があるわけではなく、なんとなくそういう感じがするということである。いうなればカンであろう。
      (中略)
 だから、指導者でも指導者としてのカンが必要だと思う。直観的に価値判断できる、ものごとの是非がわかるというカンを養わなくてはいけない。

 商売人であれば、一つの商品を見て、それが売れるかどうか、どれだけの値打ちがあるか一目でわかるというのでなくてはいけない。売れるかどうかわからないが、まあ一つ売ってみようというようなことでは失格である。

 それでは、そうしたカンはどうしたら持つことができるのか。これはやはり、経験を重ね、修練をつむ過程で養われていくものだと思う。

 昔の剣術の名人は、相手の動きをカンで察知し、切っ先三寸で身をかわしたというが、そこまでに達するには、それこそ血のにじむような修行を続けたのだろう。

 だから指導者としても、経験を積む中できびしい自己鍛練によって、真実を直観的に見ぬく正しいカンというものを養っていかなくてはならない。そういうカンの働きと、合理的な考え方とがあいまって、偉大な成果が生まれてくると思うのである。

(引用ここまで)


 将棋のプロ棋士の人たちも、長年の修行の後は、局面を見て直観的にパッと手が浮かぶようになり、7割方その直観的に浮かんだ手が正しいそうです。


 長年客商売をしている人は、相手の顔つきとか身なりを見ただけで、大体相手がどのくらいお金を持っていて、どのぐらい使ってくれそうかわかるようになってくると思います。


 修行や長年の経験の成果として自分のカンが磨かれてくることは、プロとしての喜びですよね。


 日本将棋連盟の米長邦雄会長はこうしたカンがなぜ磨かれてくるかについて、人間の脳は超高性能のコンピューターのようなものだと説明しています。


 人間はさまざまな経験を重ねることによってデータを蓄積し、脳は何かのインプットがあると一瞬にしてその蓄積されたデータを参照することができるというのです。


 臨床心理学のカール・ロジャースも同様のこと言いました。


 人間は莫大な量のデータを一瞬にして処理する能力があるので、自分自身の中にすでに問題解決能力を有しており、治療者はその潜在的能力を信頼して共感的に話を傾聴していればクライエントは自然に自分で問題解決できるようになるというのです。


 私はそのように経験や修行によって説明できる要素の他に、第六感とかインスピレーション(霊感)といわれるものが実際にあると思います。


 トランスパーソナル心理学では変性意識状態とかトランスと呼ばれる意識状態の研究が大きな分野を占めていますが、そういう非日常的な意識状態では人間の知覚が因果律を越えて拡大する現象が数多く報告されています。


 たとえば、退行催眠をかけているうちに前世にまで戻ってしまい、そこで得られた情報が本人が知るはずもない客観的事実(行ったこともない外国の風景や歴史的事実など)と一致した、というような現象は割合頻繁に起こります。


 いずれにしろ、自分のカンを鍛えるというのは人生の醍醐味でなないかと思うのです。

 日本に数ある創造的な人物の中で、最も傑出した一人に弘法大師がおられることはどなたも認められることでしょう。


 真言密教を極め、仏典研究、山岳修行、書道、中国語、建築、教育などまさに諸芸百般に超人的な能力を発揮された方です。


 弘法大師空海はあれだけの超人的な能力を持っていたわけですから、10代の頃か周囲に傑出した才能を認められていました。

 それでそのまま僧侶としての超エリートコースを歩むことも可能​だったのですが、そんなの全然つまらないと思ったんでしょうね。

 彼はそれで僧侶の学校をやめて、一人山の中に入ります。

 その後中国に渡った時に、恵果阿闍梨という密教の最高峰から潅​頂(かんじょう)とい秘儀伝授を、並みいる長期修行者を押しのけ​て半年くらいの超短期で受けているわけですから、山の中での修行​に成果があったということになります。

 創造性の秘密の鍵は、創造的バイブレーションにチューニングし​ていくことで、自然というのは神の創造力の現れですから最高のチ​ューニング対象なのです。

 自然にチューニングするとはどういうことでしょうか?


 自然の中にいてその波動を感じることです。その感覚は誰でも知っていることでしょう。


 私は昨年大阪で行われた、ブラジルのヒーラー、マリアリースィーさんのフラワーエッセンスのワークショップに参加し、大変感銘を受けたことを覚えています。

 フラワーエッセンスというのは、植物のエッセンスがアルコールに入ったものですが、メディスンというよりは、もっと微細な波動を伝えてくれる媒体といった趣のものです。

 フラワーエッセンスの作用の仕方は微細で穏やかではですが、その人の最奥の部分に働きかけてきます。そしてそれがあたかも池に小石がポチャンと落ちたときのように、全身にその波紋が広がってゆくのです。

 それでどういうことになるかというと、その人は自分の本質を思い出すとマリアリースィーさんは言っています。

 文明化された都市で暮らすわれわれは、自然と離れて暮らすうちにいつしか自分の本質を忘れてしまいます。そのことで心や体の病気が起こってくるのだと言います。

 フラワーエッセンスの効果で自分の本質を思い出し、それに触れることは私にとっても特別な体験に感じられました。

 マリアリースィーさんはアマゾンの森で常に自然と接し、自然から大きな学びを得ているのだといいます。


 おそらくそれは、弘法大師の山中での修行と大いに共通点があろうと思うのです。

 

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 昨日はグルっぽについて書きましたが、最近Facebookに少しはまっています。


(ちなみに私のFacebookページ「創造性の秘密を探求!」のユーザーネーム<独自URL>が取れました。Facebookアカウントお持ちの方はぜひイイネ!お願いします。http://www.facebook.com/careerart


 プログレッシブ・ロックの同好会のFacebookページがあって、そこに書き込みするとドッとコメントがついたりしてとても楽しいのです。


 MIXIも楽しいけれど、反応の速さや臨場感が全然違うという印象です。



 全然商売っ気も何もなしにマニアックな話題で盛り上がっていると、だんだん元気とやる気が湧いてきます。



 そのやりとりの中である人が書いていたのですが、「ギターを聴くのはうまいから聞くのではなくて、面白いから聴く。『面白い』の理由の一部に『うまい』が入っているだけ」という言葉がありました。


 そうだよなあ、と思うのでした。なんか優等生的に何でもソツがないというのより、八方破れだけど才能に突出した部分のある奴の方が人間的魅力があって面白かったりしますよね。


 だから完璧であることを目指すより、面白さを追求した方がはるかにインスピレーションが湧いてきますよね。


 ミルトン・エリクソンについて何度か書きましたが、彼はものすごく丁寧にノートをとる人で、自分の患者のケースについて克明に記録しました。


 それもやっぱり面白かったからそうしたのだと思うんですね。もちろん患者の幸せのためとか医学の発展のためということもあったでしょうが、何よりも面白いからあれだけ徹底的に人間のことを研究したのだろうと思います。

 面白いということと楽しいことと似ていますが、微妙に違いがあります。

 たとえば、自分が病気になったり、他人が不幸な目にあっている人の話を聞いたりすることは一般に楽しいこととはいえませんが、そこから見えてくる人間性の真実があったりして、ある観点では興味深くて面白いことといえます。

 要はどういう姿勢で起こってくることに向かうかということであって、例えば退屈なことでさえ「人間はどこまで退屈に耐えられるか」という観点に立てば面白さが出てくるのです(まあ好んでやりたいことではないかもしれませんが)。

 そういう意味で、自分の中の面白さに対する感性を磨くことは、創造性を磨くことに通じるといえます。





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