昨日はグルっぽについて書きましたが、最近Facebookに少しはまっています。
(ちなみに私のFacebookページ「創造性の秘密を探求!」のユーザーネーム<独自URL>が取れました。Facebookアカウントお持ちの方はぜひイイネ!お願いします。http://www.facebook.com/careerart
)
プログレッシブ・ロックの同好会のFacebookページがあって、そこに書き込みするとドッとコメントがついたりしてとても楽しいのです。
MIXIも楽しいけれど、反応の速さや臨場感が全然違うという印象です。
全然商売っ気も何もなしにマニアックな話題で盛り上がっていると、だんだん元気とやる気が湧いてきます。
そのやりとりの中である人が書いていたのですが、「ギターを聴くのはうまいから聞くのではなくて、面白いから聴く。『面白い』の理由の一部に『うまい』が入ってい
そうだよなあ、と思うのでした。なんか優等生的に何でもソツがないというのより、八方破れだけど才能に突出した部分のある奴の方が人間的魅力があって面白かったりしますよね。
だから完璧であることを目指すより、面白さを追求した方がはるかにインスピレーションが湧いてきますよね。
ミルトン・エリクソンについて何度か書きましたが、彼はものすごく丁寧にノートをとる人で、自分の患者のケースについて克明に記録しました。
それもやっぱり面白かったからそうしたのだと思うんですね。もちろん患者の幸せのためとか医学の発展のためということもあったでしょうが、何よりも面白いからあれだけ徹底的に人間のことを研究したのだろうと思います。
面白いということと楽しいことと似ていますが、微妙に違いがあります。
たとえば、自分が病気になったり、他人が不幸な目にあっている人の話を聞いたりすることは一般に楽しいこととはいえませんが、そこから見えてくる人間性の真実があったりして、ある観点では興味深くて面白いことといえます。
要はどういう姿勢で起こってくることに向かうかということであって、例えば退屈なことでさえ「人間はどこまで退屈に耐えられるか」という観点に立てば面白さが出てくるのです(まあ好んでやりたいことではないかもしれませんが)。
そういう意味で、自分の中の面白さに対する感性を磨くことは、創造性を磨くことに通じるといえます。
