徳島市立高校では、毎年「同和問題作詞作曲コンクール」に応募していました。


5月に1年生から作品を募集して、その中から良いものを選びます。


6月に合唱部を中心に録音して提出します。


毎年のように、県知事賞に選ばれました。


1学期の終業式で校内発表し、7月下旬に文化センターで行われる県の発表会に出場します。


例年7月下旬は、合唱部は合唱講習会があり、オーケストラ部は合宿があって忙しいのですが、同和問題発表会に参加することは、とても勉強になりました。

YOU-TUBEで、「合唱団京都エコー 創立20周年新年会」というのを見ました。


1982年のものです。


現在は、創立50年を超えています。



この時の新年会は、全員のスケジュールが合わせられるようにと、朝の9時から夜の9時までだったそうです。


そして、最後に指揮者 浅井敬壱の、45分にわたる演説が記録されています。


コンクールについて、合唱団の運営について、熱く語っています。


このとき浅井敬壱は42歳。京都エコーはやっと全国大会で1位をとれた頃です。


その後の堂々の大活躍は、合唱界では知らぬ人はいないと思います。



この演説で浅井がメンバーに繰り返したのは、「すべての人が少しでも幸せであるように考えて行動してほしい」ということです。


そしてまた、年下のメンバーに向かって、非常に謙虚で丁寧な言葉遣いをしています。


この浅井の人柄が、その後の京都エコー黄金時代を築いたのだと思います。

きのう、徳島市立高校のオーケストラ部・合唱部による定期演奏会の招待状が届きました。


3月29日、あわぎんホールです。


もう49回目にもなるんですね。


この数字は、県内高校ではダントツの伝統と歴史です。


私は、生徒として、OBとして、顧問として、第8回から42回まで、35年連続で市高の定演に出演し続けました。


これも記録です。

平成2年春、私は鳴門高校から徳島市立高校へ異動しました。


自分自身は転勤する気は全くなく、鳴門高校で立ち上げた定期演奏会も1年目だったので、もっともっと鳴門で楽しい部活動をするつもりでした。


それが、思いがけなく母校へ転勤ということになりました。


4月14日は、鳴門高校での離任式に出ました。


離任者はひとりひとり挨拶をしなければならないのですが、私は「My Way」を歌いました。


   おとといの「題名のない音楽会」より



1日練習しないと、自分にわかる。

2日練習しないと、批評家にわかる。

3日練習しないと、聴衆にわかる。


         J.ハイフェッツ



でも、聴衆ももっと早くわかると思います。



川人昭夫先生が言っていました。


川人家は音楽一家です。


正月に親戚が集まって飲んで飲んでしているときでも、プロであるお兄様、洋二さんは練習するそうです。


川人洋二さんは、東京フィルハーモニーのフルート奏者です。


それを見て昭夫先生は、「わしはプロにはようならん。」と思ったそうです。



今、息子さんの大地君は、プロオケである日本センチュリー交響楽団のオーボエ奏者です。