第14回 武田信玄の人材活用術 | 人事戦略コンサルタントの栃澤ブログのブログ

◆第14回目のブログ更新になります。



【武田信玄の人材活用術】



こんにちは。


株式会社クリエイトストラクチャー、人事戦略コンサルタントの栃澤です。



今回は少し歴史から学びたいと思います。



戦国時代の名将で、現在も人気のある武将の一人である 「武田信玄」 を取りあげます。



武田信玄は、戦国最強の軍団と呼ばれた「武田軍団」を組織し、天下取りの表舞台に踊り出ました。



病死により夢を断たれましたが、織田信長にも非常に恐れられ、



「毘沙門天の化身」と言われた上杉謙信とも何度も戦をして信州の領土を拡大していきました。



そんな武田信玄は、



いったいどうやって戦国最強と言われた組織を形成できたのか。



大きく分けて3つの要因があると考えます。




◆【1つ目】 能力主義で部下を正当に評価



当時は家柄が重要視されていた時代でしたが、信玄は人材登用に関して



年功や出身地は重視をせず、実力主義を採っていました。



有名な話として、兵法家として戦功を上げていた山本勘助を採用した事。



山本勘助は片脚と片目が不自由で風采がよくなく、他の戦国大名は彼を採用をしませんでした。



しかし武田信玄は容姿にとらわれず今までの戦功を評価し、一介の浪人であった山本勘助を重く用いました。



これにより山本勘助が恩義を感じ、信玄に懸命に尽くし、数々の戦で活躍したのです。





◆【2つ目】 武田24将による合議制での話し合いを重視した




理由は、(信玄自身が)独断に走らず、家臣の意見をよく聞くためです。




重要な戦の際には、合議制をとり、戦略や方針、重要事項を決定したのです。



そのために信玄の意見や方針に不満を申し立てる家臣は少なかったそうです。



◆【3つ目】 部下を大切にする



人は石垣、人は城、人は堀、、情けは味方、仇は敵



信玄は、



「戦で必要なのは堅固な城ではなく、人の力である。


一人一人の兵の力を育て、


彼らの才能を十分に発揮できる軍をつくることが重要だ」



と述べています。


これは現代の企業経営にも同じ事が言えます。




武田信玄がなぜ戦国最強と言われた武田軍を組織できたかと言えば、






それは軍のトップである武田信玄が



優れた人材活用術を身に付けていたからに他なりません。




他にも要因はありますが、簡単にまとめてみました。



今後も機会があるごとにご紹介していきます。




株式会社クリエイトストラクチャー

人事戦略コンサルタント 栃澤幸孝

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