西國三十三箇所 石山寺 | azukiのブログ

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石山寺  
滋賀県大津市石山寺

12月のツキイチに行って来ました 

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運慶・その長男湛慶の作

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33年に一度のご開帳、前回1983年ですが 1991年の平成の時と2009年西国巡礼中興の祖、花山法皇の一千年遠忌を記念し、平成20年9月から3年間にわたって三十三所観音霊場が揃って御本尊さまの御開扉を行っています。三十三所が揃っての御開扉ははじめてのことになります。
(勅封   )


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良いお天気でした 

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石山寺の東大門は、源頼朝の時代に寄進され焼失を繰り返し豊臣の時代に淀殿によって修理されたとされています。 慶長の大修理の際寄進によって本堂や東大門、塔頭などが整備されました。このことは江戸時代にまとめられた「石山要記」や「石山寺年代記録」本堂に掲げられていた額などに記されています。

東大門のところに豊臣家の紋としても知られる五七桐紋が一ヶ所だけあります。

(スマホでは限界  )

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石山寺は奈良の長谷寺、京都の清水寺と平安時代の人気スポットだった。
参拝記念に御影を頂いた。

くぐり岩(大理石)

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良弁の逸話を聞きました          

ざっくりですが、聖武天皇より東大寺の大仏の塗金の為、奈良吉野の金峯山寺の蔵王権現にヒントを教えられ、白髭神社の比良明神の道案内で石山寺の地に辿り着き、聖徳太子の念持仏 如意輪観音菩薩が動かなくなりお堂を創建された 。
(東大寺の大伽藍の職人仏師土木職人)

「石山寺縁起絵巻」全7巻には創建から縁起、本尊、建立の際に縄文時代の銅鐸が出土されたことが描かれている。


本堂は淀君の大改造で大きくなり清水寺のような懸造   になっている。




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左側は礼堂、右側が正堂(ご本尊)

 
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硅灰石(ケイカイセキ天然記念物) 

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毘沙門堂
平安時代前期重要文化財、兜跋毘沙門天(とばつ)・妃の吉祥天・子供の善膩師童子(ぜんにしどうじ)三体が祀られています。「中原親能(なかはらのちかよし)が京の戦乱を鎮めるため戦勝祈願をして行くときについて来た逸話があるそう。
中国の羅城門の仁王の姿に似ている 
東寺と同じく兜跋毘沙門天の足元を支える地天女と二鬼。対面して右が尼藍婆(にらんば)、左が毘藍婆(びらんば)です。
毘沙門天のお顔は穏やかです。
(写真はお借りしました。姿は☆で)


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本堂に入ります。