西國三十三箇所 石山寺② | azukiのブログ

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石山寺本堂に入ると
懸作り(かけずくり)・あいの間(懸仏 かけぼとけがあります)  本殿と中では繋がっていますが3つの空間があります。
後から増築されて今の屋根の形)

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御本尊の如意輪観音  実は聖観音 

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本来の如意輪観音のお姿は、片膝を上げ、そこに肘をかけて指先を頬に当てている思惟の姿です。足裏は両方を合わせており、輪王座(りんのうざ)と呼ばれる姿勢が如意輪観音の特徴です。どうすれば人々を救えるのかと悩んでいる姿だとされています。ほとんどが6本の手の六臂像で造られており、手には如意宝珠と法輪(輪宝)を持っています。

石山寺の如意輪観音のお姿は二本の手、右手に蓮、左手は差し出しています。

お写真お借りしました。
(って、これええの?)

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醍醐寺の聖観音、六角堂の如意輪観音・
岡寺の如意輪観音を調べると=岡寺本尊は二臂(二本の手)で、右手は施無畏.左手は与願の印を結んで、結跏趺坐をする姿をしています。しかし台座内部の調査結果から、当初は左足を踏み下げて坐る半跏像であったと推測されています。 
この二臂のお姿の如意輪観音像は非常に少なく、西国三十三所観音霊場の七番岡寺と十三番石山寺の御本尊しか無く、大変貴重な御姿の如意輪観音様とされております。
(という解説をコピペしておく )

本尊は、とても柔らかくふくよかで優しいお顔  衣装の紋様と色が残っていてゴージャスでした。(そして珍しい岩座です。)

重要文化財・平安後期・現在は2代目木像
旧本尊は土でできた塑像(そぞう)
本尊胎内仏四躰と水晶の五輪塔が納入されていました。
(写真はパンフレットより)


逸話本殿が焼けた炎の中より光が飛んで近くの木に。
胎内仏の四躰のうちの1つが焦げていましたけど!

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御本尊の両側には塑像造りの、執金剛神像と金剛蔵王像(吉野?)が可愛いかったです。

国宝の厄除け不動様は弁髪べんはつ(7.3分け)で平安前期の当時のスタイル。


光背(こうはい)迦楼羅焔  興福寺迦楼羅像(カルラ・鳥の化身の形をした炎)を8躰背負っているのは初めて見ました!

お顔が炎の中に


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平安後期・木像一本造りの毘沙門天は体格の良いゴツゴツとして睨みをきかせています。右側に持国天、左側に増長天(毘沙門堂の顔と体格の違いがわかります。)
密教が入り派手な動きになってるそうです。


多宝塔(日本で1番古い)

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無名時代の快慶作(慶派の仏師が忙しい時に公慶に命じられた。内側の耳の穴から首筋にかけて謎のサインが入っている。(大日如来なのに安阿弥陀仏=阿弥陀仏を造るスペシャリスト!と書いてあるらしいです!ただお顔が薄く、初期の作品 醍醐寺・三宝院の超美人の弥勒菩薩とは違うそうです。まだ見たこと無い)

兵庫県小野市浄土寺にある1メートルの阿弥陀如来三尊像はEテレで記憶に残る国宝でした。来年のバスツアーで行けるみたい


鴨が飛んでいました。
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終了後慌てて御朱印を頂きに行きました。

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忘年会を断念して帰りました