普段からスポーツの事ばかり書いていたので、
最近はちょっとネタに困っております。。。
ですので今日は人から聞いた、
とある可哀そうな赤ん坊のお話をご紹介します。
1980年代に、都内に住んでいたとある夫婦の話です。
彼女は高知県で生まれ育ち、
看護師免許を取って、高知県のとある総合病院で看護師として働いていました。
そこに東京から、ある脳外科医が研修でやってきます
彼は地元の群馬の大学の医学部を卒業ですので、
東京から来たと言っても、デビューして3年程の田舎者だったのですが、研修先の高知で一目惚れします。
一緒に東京に来てくださいm(__)m。
と。
その時彼女は周りからは、
『東京なんて危ないよ!恐い街だよ!東京の医者なんてやめた方がいい!!!』
と猛反対されたそうです。
ただし誘った男も港区の病院で働いていたとはいえ、
東京出てくるまで24年間、前橋から出たことの無い男だったのですけどね(^^;)
しかしながら、彼女は周りの反対を押し切り一大決心し、東京へ出てきて結婚します。
が、結婚して東京に出てきたはいいものの、
知り合いは周りに一人もおらず、旦那のいない昼間は寂しくて一人家の中で、壁に向かって喋っていたそうです
…
まぁ理解出来ませんが、当時は昼間が寂しかったそうです(ーー;)
ただそういった時期もあったそうですが、そんな夫婦が子宝を授かります。
それはそれは嬉しかったそうです。
そして通った病院は当然、旦那の働いていた総合病院でした。
暫くの時が経ちまして。。。
突然陣痛が始まり、彼女は病院へ行こうとします
現代なら旦那さんも予定日には休みを取って、奥さんに付き添ったりすると思いますが、
当時はそんな感じでも無かったのかもですし、そもそも行く病院で旦那が働いていますので。。。
しかしながらここで、その女性の田舎(看護師)根性?が出て来ます
普通ならタクシーとかで行くと思うのですが、
何故か電車で向かいます
当時住んでいた桜新町の駅から新玉川線(田園都市線)に乗り、
表参道で乗り換えて、当時旦那が勤めていた病院へ
途中で結構ヤバかったらしくて、周りの人に心配されながらも病院へ
なんとか病院にたどり着いて無事に出産
3400グラムの丸い赤ん坊が誕生します
しかしながら出産時に事件が起こります
産まれてきたその子供がドジっ子で、
母親の羊水を大量に飲んでしまい、母親の手元に戻ってこないまま、そのまま運ばれて行ってしまいます
彼女は産後落ち着く間もなく、心配で心配で仕方なかったそうです
が、旦那は、あれ位なら大丈夫でしょうと
(この辺は医療従事者あるあるなのかしら?)
でもやはり産後の彼女は、看護師よりも母親だったんですよね。
自分の産み落とした子供を自らの手に取りたいし、観たかったわけです
その後、隔離された子供を観に行った瞬間、
彼女は一生忘れる事の出来ない、衝撃的な光景を目にしたのです
ここからは、涙無くして語れない話です
窓ガラス越しに広がった部屋。
ガラスの向こう側には、未熟児達が入れられた保育器が何個か並んでいたそうです。。。
窓越しに、他の家族も心配そうに眺めていたそうです。
でも彼女は、窓越しに何度も探しても小さな未熟児ばかりで、
丸々太った自分の子供がいなかったのです
すると、保育器の並びの一番端っこに、床に置いてある段ボールを見つけます
そうです
自分の子供は、
保育器に入らなかったのか数が足りなかったのか、
その床に置かれた、
段ボールの中に入れられていたのです
※今から30年以上前の話で、しかも身内の旦那がOKした話ですので(苦笑)
その母親は当時その光景が、それはそれはショックだったんだそうですが、
今では笑い話となっているそうです。
『産まれた時からどんくさかった』
と(^^;)
そんな段ボール越しの不思議な出会いでしたけど、
そんな親子は今でも仲良しです
段ボールに入れられた方(左)と、段ボールに入れるのを許可した方(右)。
そして以前何回か書いたようにこの家族、
母親の方も相当におかしいのですが、父親の方も相当ヤバいです(^^;)
【次回予告】
エピソードⅡ~初めて行ったラグビー場で学んだ大人の事情~
…
これ、、、、続けていいのかな?(苦笑)