隣人愛が矛盾している理由 | 新しい再出発

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壊れた心

 

日本において隣人愛は死語でしかない。空虚な言葉である。

なぜそうなったのか。その原因は道徳にあると思われる。

 

隣人愛は元々キリスト教由来であり、日本の道徳とは

直接関連性を持たない。儒教と仏教の矛盾と同じように、

無自覚な融合により破綻を招いた教義なのかもしれない。

そもそもキリスト教を知らない人ですらこの概念に振り回されている。

 

マザーテレサさんの言葉にこういうのがあるみたいです。

ツイッターで引用されている言葉ですが。

 

「聖ヨハネはこう言っています「神を愛していると言いながら、見たり触れたりすることのできる人、ましてや一緒に住んでいる周りの人を愛せないで、どうして見えない神を愛せると言うのか?」「あなたは嘘つきだ」と。読むのがこわくなるような言葉の一つ、けれども、それは実にほんとうのことなのです。」

 

日本の隣人愛は嘘つきで成り立っている。まずそこが致命的。

誰もがこのジレンマに陥り、何が悪いのかわかっていない。

解決の道を探るのは哲学しかない。哲学の出番といえる。

 

日本で暮らす以上、誰もが関わる問題といえるので、

単にそういう意味だけで考えてほしいことですが、

私も一応無神論者になりますからね。

 

そこで、隣人愛が矛盾している理由を列挙していくと…

 

  1. 隣人愛とはマジョリティのわがままを正当化するツール
  2. 隣人愛とは社会的弱者の発言力を奪うルール
  3. 隣人愛とは日本では選民思想を正当化するツールである

基本的にこのような悲惨な光景となっている。

集団において都合の悪い人物を脅迫して従わせるだけ。

とても軍事的で野蛮であることに対してなんの自覚もないのである。

 

間違いないと断言できる要素としては、日本での隣人愛は

発達障害者を迫害するための道徳観にすぎない。

もはや聖書なんて関係ないのである。単に道徳の暴走である。

 

道徳の暴走は過去の時代でナチスを誕生させ、日本でも

同じような軍国主義の暴走を招いた。道徳の暴走は

非常に危険であると歴史が証明している。繰り返してはいけない。

 

私が日本の義務教育はある意味ナチスの収容所に似ていると

厳しく批判したのもそれが理由で、変わり者を排除する

空気こそがナチス化を誘発する危険因子なのである。

 

部活問題で言われるブラック部活の原因も結局は

そこから生じた可能性はかなり高いと見ています。

 

日本では隣人愛を銃器のように扱い、対話が面倒だと

思った相手に手当たり次第に銃で脅し、屈服させる。

個性を剥奪するのである。それで集団主義を安定させていく。

日本の隣人愛はとても野蛮で軍事的なのである。

それを平和の道と勘違いしている歪みを正さなければならぬ。