16:なにもできなくてあたしは歌った | クラフトPとろのブログ

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クラフトPという名前で、ボーカロイド曲を作っていたり

「なにもできなくてあたしは歌った」を作った日、まずはとりあえずという気持ちで、アコギとブルースハープだけでデモを作り、そしてそれをにゃっぽんの日記で公開した。

その日記は時々今でも読み返す。その日の日記には、知ってる方も初めましての方も、
いろんな方が来て下さってたくさんコメントを頂いた。


私は曲を作る時、誰かしら聴く人を想定して作ることが多い。

それはクロだったり、いつも感想をくれるまいぽんさんだったり、聞いてはくれないだろうけど昔のバンド仲間だったり、割と具体的にあの人が聞いたら気に入ってくれるかなと、そんなことを考えて作ることが多い。

しかしこの曲はそうではなかった。誰かの事を考えて作ったのではなかった。ましてや被害者の方のために作ったのでもない。ただ、自分自身のはけ口のために作った。そういう作り方をしたのは初めてだったかもしれない。

でも日記で公開したら、いろんな人が「ありがとう」と言ってくれた。事件の事は知っていたけど、何か言わなきゃと思っていたけど、何と言っていいのか分からなかったけど、代わりに歌にしてくれてありがとう。そういう意味での「ありがとう」をたくさん頂いた。

私は曲を今まで何十曲も作ってきたくせに、歌にそういう役割があることを初めて知った。詞を書くということには、そういう意味もあるのかと初めて知った。

「ありがとう」と言ってくれた人々が、それまでどういう気持ちでいたのか、それを想像するたびにその言葉の重さを感じた。その日は、「ありがとう」と言って下さるたびに、なんだか泣けてしょうがなかった。


ところで、『まずはとりあえずという気持ちで、アコギとブルースハープだけでデモを作り』って書いてるけど、うpしてるのもアコギとブルースハープだけじゃん!とのツッコミもあろうと思うw

そう、私はこれはあくまでもデモで、最終的にはドラムやベースやエレキなんか入れて、
バンドサウンドで仕上げるつもりだったが、日記で「絶対このままがいい!!!」とたくさんの人に止められたのだったw

正直、え?これでいいの?と思ったが、作る人と聴く人では、同じ音でも聞いてる要素が違うのは何となく感じていたし、こういうテイストもニコニコには珍しかったから、そのままで行くことにした。

あと、何故だか今でもよく分からないけど、この曲はリンだと思った。ミクではなくレンではなく、絶対にリンだと思った。

たぶん「あたしはわがままになりたくない」以降、私の中では、自分ちのリンがだんだん人格を持ち、生きて暮らしていたのだと思う。そのリンが、この曲はあたしが歌うんだと言っていた。

・・・・な、何を言ってるのか分からない方はたくさんいるかもしれないがwwwたぶん、ボカロPやってる方には分かってもらえるはずだw。あるよね、そういうの。


イラストは裏花火さんが名乗りを上げてくれた。この曲に願ってもない絵師さんだと思った。名乗りを上げてくれなかったら、こっちからお願いしようと思っていた。

裏花火さんの描く人物はいつも思うけど、目がいい。何が違うのか分からないけど、とても強い意志を持った目だ。絶対にここだけは譲らないよ!と言ってる目だ。

この絵をもらった時、絵だけで体に震えがきた。予想を遥かに超えるリンの目力に射すくめられた。まったく、すごい絵師さんだなあと改めて思った。

そうやって事件から約3週間後、「なにもできなくてあたしは歌った」はうpされた。



この作品にはたくさんの方から本当にいろんなメッセージを頂いた。たぶん、作った自分よりも思い入れを持って下さってる方もいらっしゃるように思う。作ってる時は楽しくなかったし、公開するにあたっての不安もたくさんあったが、曲を作った充実感は今までの曲の比ではなかった。

この曲以降、作品を作る意味ということをよく考えるようになった。その答えはまだ出ない。もしかしたら、「個性とは?」と同じで、終わってみないと出ない答えかもしれない。

おかげでその後しばらくは、何を作ろうとしても白々しく思えて、なかなか次回作に取り掛かれなかった。そんな感覚は「遠いいざなみ」を作った後にも感じた。

たしか、DS_8さんも「暴力は水のように」を作った後そんな感覚でしたと言ってらした。

この曲はとてもすばらしい作品だ。「遠いいざなみ」や「なにもできなくてあたしは歌った」に何かを感じてくれた方には、きっと響くものがあるだろう。是非聞いて頂きたい。