にゃっぽんではほんとにいろんなことが起きていた。
にゃっぽんで知り合い結婚なさった夫婦が誕生した時は、知り合いもそうでない方もみんなでおめでとうとコメントしに行った。直接知り合いじゃなくても、同好の士としての連帯感が強かった頃の事だ。
面白かったのは、歌ってみたSNSのシングリンクで知り合ったある歌い手さんが、ある日にゃっぽんに来てたので、あれ?ここにもいたんですかと聞くと、ある方に招待されてきたんです、詳しくは日記に書いていますというので読みに行った。
彼女は多分ファミレスだと思うけど、ウェイトレスさんだった。ある日、ホールを回っていたら、あるテーブルのお客さん数人がスケッチブックを広げていた。ちらっと見ただけだったけど、彼女は一瞬でその絵に描かれた人物がKAITOである事を識別した!w
今とは違って、ミクを知ってる人でさえ少ない2008年の事だ。ましてやKAITOを知ってるどころか手描きのイラストまで描いてる人が職場に来る確率など、まずありえない。いや、たぶん今でもないw
彼女は勇気を出して、そのお客さんに声をかけた。
あの、見えてしまったんですけど、それ、KAITO兄さんですよね、ええっ、ご存じなんですか?私、歌い手やってるものですから。えええっ!!
という感じで招待されたらしいw
そのテーブルはちょうどコラボの打ち合わせ中だったようで、そのPさんも非常に驚いて、そのことをにゃっぽんの日記に書いていらっしゃった。声かけられたPさんもさぞ驚いたことだろう。
そのPさんはたしか、ぱぷりかPさんだったと思う。AKAITO作品などを作ってらっしゃったPさんだ。
ちなみにその歌い手さんはRituさんという方で、後に「何もなかった顔で-Another-」という作品を作ってくれた歌い手さんだ。今でも時々交流がある、実力のある歌い手さんである。
さて、そんな平和なにゃぽんにある日激震が走った。
それが今日のタイトルでもある2008年6月8日の事だ。
覚えてる方には忘れられない日付だろう。そう、秋葉原の通り魔事件の日である。
私はそのニュースを職場のテレビ売り場で見た。そのニュースの中で気になったのは、被害者の中に音楽を学んでいる若い方がいらっしゃったことだ。
秋葉原に来ている若者で音楽をやってる人である、初音ミクを知らないわけがない。私にはその方が自分と同じニコ厨のおひとりのように思えてならなかった。
もしかしたら同じ動画を見て同じ感動を覚えた人かもしれない。もしかしたら、やきとりはちゅねに来ていっしょに騒いでくれた方かもしれないと思った。被害に遭われたみなさんは、いつか未来ではまいぽんさんになれた方だったかもしれない。やがて一緒にコラボすることだってあったのかもしれないと思った。
家に帰ってにゃっぽんを開いたら、裏花火さんが知り合いの安否確認をしていた。他にもいろんな方がお互いの安否を確認し合っていた。すごく仲良くしてても、お互いの実名は知らない同士である。私も仲良くしてる方が書き込みをしているかどうかチェックに走った。
その後数日、いろんな方の事件に関する日記を読んで回った。被害者の直接の知り合いという方もいらっしゃった。秋葉原という街への思い入れをアツく語ってらっしゃる方もいた。
私は秋葉原へは何度かしか行ったことはなかった。特に思い入れがあるというわけではないが、みんなの日記を読んで行くうちに、あの街は私が好きな人々が愛している街なんだと思った。
その頃私は無邪気にネタ曲を作っていた。ちなみに「ひとりカラオケ」という曲である。楽しい気持ちでこのネタ曲を作りながらも、この事件の事を書かなくていいのかなあという思いがずっと付きまとっていた。
私は何のために詞を書いてるんだろう、何のために音楽をしてるのだろうということを考えた。自分の中に強い感情があるのなら、それを作品に出さなくていったい私は何を残したいのかと思った。
悲しいことは悲しいと表現する。怒りは怒りと表現する。どちらも一言で表現できる。ではこの何と言えばいいのか分からない感情は何と表現すればいい?お前はそれを表現するために詞を書いてるんじゃないのか、と自問自答した。
事件があってその感想を書くのはみっともないか?思ったことをそのまま歌詞にするのはダサいことか?偽善者と笑われるのが怖くてお前は何もしないのか?
私は911の頃の自分を思い出した。前にも書いた人生どん底のつらかった時期のことだ。あの頃のことを私は一度も作品にしていない。お前はまた一番大事なことを歌にしないで、差し障りのない作品ばかり作ってゆくのか?
そういうことを思いながらにゃっぽんやニコニコを徘徊してるうちに、ヒーリングPさんの日記で、ある曲を聞いた。それはヒーリングPさんが秋葉原の事件の事を書いた曲だった。たしか事件の翌日くらい、すごく早い時期だったと思う。
ヒーリングPさんとはピアプロで知り合った。たしか「あたしはわがままになりたくない」に感想を下さったとこから始まったお付き合いだった。
当時はヒーリングPさんはボカラップとかそういうのを早い時期からやってて、自分とは違うジャンルだけど、カッコいいセンスの人だなあという印象だった。きっと中身は今風のイケメンで、タンクトップ着ててあごひげがあって、ズボンを下ろしてパンツが見えてるような若者だろうなと思ってたw
だから、ある意味自分とは対極に居るように思った彼が、こんな曲を作ったというのはとても意外だった。
私は、あ、ここにも同じ気持ちの人がいた、と思った。私はこの曲に背中を押され、そして、うん作ろう。作らなきゃと、その夜から作り始めた。
ヒーリングPさんとはその後、ボーマス10で会うことになった。想像とは全然違う人だったが、会えてよかったと思ったおひとりだ。
ちなみに、彼がなぜ「ヒーリングP」と呼ばれてるのかは、今でも全く分からない。彼の癒し方はこうである、「おまいら癒されろ!」であるw
ちょっと長くなってきたので、その曲についてはまた次回で。
ヒーリングPさんの曲は「壊れたものは直す術は無い」という曲だ。良かったら聞いて頂きたい。彼もまた歌詞をとても大事にしているPさんである。