触感
ときどきNHKの日曜美術館をみてるのだが、昨日は「ロダン」でしたね。
自分は立体をつくったことはないのですが、「像」はどうやってつくってるのか気になっていました。
人物の立体作品をみると、体全体の観察力にほんとにおどろかされますね。
いま自分は落書きのような人物がをかいてますが、正面・真横・斜め・後ろぐらいなもんですから。
立体が精巧につくられてる裏にはどんなテクがあるのかと、
たまたま番組見ることにしたんです。
じっさいにロダンはどうやって彫刻をつくっていたか見ていると、
モデルの体を隅々まで「ぺたぺたさわりながら、下絵をかく」という方法で、
デッサンしていました。
理由は、目が悪かったからもあるのみたいですが。
「さわる」って、彫刻ならではの感覚の掴み方だな~と、関心しました。
ねんどの作品なんか、てでこねますし、大理石を彫るにしても仕上がりを、ぺたぺたさわって、
手が記憶した感覚とあわせていくわけですね。
自分の感想としては、現代でこれをやらしてくれる人はいるのかな?とおもいます。
そのー、「からだを隅々まで、両手でさわらしてくれるひと」とか、あるいは無償の「モデル」とか。
現代は、知り合い、彼女、嫁さんまでもが、全裸はおろか水着でもモデルを拒む時代です。
最初は、「知り合いそんなことたのむのはおかしいだろ」とか自分も思っていましたが。
人物画練習してると、ほんとに「生のモデルさん」がほしいなって、ひしひしおもうもんです。
現代は、等身大リアルドール(架空の嫁)が売っていますが、
あれを常に自分の部屋に置いとくのも、どうかなーですね。
いま実家にすんでるので、そんな自分みて両親は、
「いよいよ狂ったか」と、ひと段落つくことでしょう。
となれば、「人物画デッサンスクール」って、大事な存在ですね。
ぜひこういうスクールはあり続けてほしいものです。
コンクール荒らしの記し
絵を描きながらいかにして収入を得るか?とかんがえたときに、
賞金つきのコンクールにおくりまくることだと自分はおもっています。
てなわけで、きょうは「第10回インターナショナル・イラストレーションコンペ」に、
作品をだしてまいりました。
出品料2500円です。
B4画用紙さくひん一枚のために(貧
でも、賞金は30万円。めざせグランプリ。
これから、出しまくりたいとおもいますが。なかには出品料一万の作品展もあります。
出展しすぎで、死なないようにがんばります。
作品おくりました
アートメーターへ、あらたに9作品ほど送りました。
前回の続きと、とあるたてものの絵です。
最近は、発送から到着確認まで、到着確認から展示まで、
3週間ぐらいかかるようになりましたね、
それほど、登録しているかたが多いということです。
あいかわらず、抽象的作品でコンスタントにうれてるひとと、
写実派だけど、あまり売れてないということの意味は自分にはわかりません。
これは、間違いないといつも感じていることは、
ちゃんと仕事して、趣味でやってる人の方が上手いですね(もじもじ
わたくし、「食っていきたい派」なので、この事実にはいつもへこみます。
緻密なものを描く時
作品としてしゅっぴんするものは、いつもおおざっぱである。
一見「簡略化されたもの」と判断される方はおおいでしょうが、
じつは、技術不足できれいにかけないだけなんです。
自分がデッサン練習するとき、石膏像や、実際あるものを描いたりしていません。
雑誌とか図鑑がおおいんですが。
図鑑の場合、ものすごい精密な図で、
取り掛かる前に、「うわぁ~」となってしまうことがおおいです。
とくに、メカニカルイラスト(機械図)などですが。
なんだか嫌な気分になったときに、ひらめきました、
「へたでもいいから、物体についてる要素をすべて描こう」ということです。
たとえば、自転車みたいなスポーク(車輪の針)をかくときに、
本数をかぞえてかいてみたり、高層ビルの窓の枚数をかぞえてかくとか。
車の絵なんか、タイヤが四角くみえたりしますが。
なんでしょう、このすがすがしい感覚は。
描き終わると、「やったね」とかいう感覚があります。
ここで訓練していることは、「どんな題材にも食ってかかる根性の育成」なんだ、
とか、おもいました。
そうすると、緻密なネタをみても、とりかかるまでの心の準備が早くなるようなきがするんです。
なんて、さいきんそんなことをしています。
そんな練習をしておいて、
作品をつくるときには、自分は油絵中心なので、おおざっぱにいきますが、
それでいいのですよ、ふっふっふ。
練習はきついですねー、ほんと。
すでに写実的デッサンができるひとからみたら、どうでもいいネタですけど笑
ちょうちょの絵
正確なデッサン練習。とまではいきませんが、いろいろなものをかいています。
デッサンの上手い下手にかぎらず、とにかくいろいろかいているうちにうまくなるだろうと、
あまり力まずやっています。
さて、今週はちょうちょを4枚ほど描いてみたんですが、
自然のデザインは、よく計算されてつくられてるものがおおいことに気づきます。
たとえば「擬態」など、岩みたいな羽、木みたいな羽、葉っぱみたいな羽などなど。
図鑑に、ちょうちょの羽にはいってる、あの「すじ」の拡大図が載っていたのですが、
なぞってかいてみると、「葉っぱの葉脈」みたいなパターンになっていて、
うすくてひらひらなものを広げるためと、あと外敵から身を守るためでしょうか、
はっぱを描いているような気にもなりました。
あと、スジのパターンが、どこか「エヴァンゲリヲンの目」にも似ているような気がしました。
あのロボット、頭のカタチは「ノズル」みたいだし、体は「えび」みたいだし、
絵描きは、どっから情報を引っ張って描いてるかわかりませんね。
自分のかいてみた蝶も、いつかぜんぜん違う箇所で思い出してつかうのかもしれませんね。
時々無能に戻る時
自分の場合、イメージがわんさかわいてくるときがあって、
落書き以下のひどいラフスケッチで、それをノートにかいておいてます。
29歳の終わりごろから絵をかきはじめたもので、デッサン力がないのが悩みの種です。
イメージとおなじくして、「それを忠実に再現できる力」があれば、
非現実を、リアルに再現できることでしょう。
とかいって、そんなこというなら練習あるのみですよね(涙
そこで、デッサンをしていると、ときどき創造力がなくなるときがあるんです。
原因は「何かを見ながらかいている」からだと思いました。
元ネタがなければ絵が描けない、というのは、けっこう危険だと自分は感じるほうで、
デッサンばかりやっていると描いてるというか、「書き写してる」がために、
作画のための作戦を練らない頭になってることに、
最近きづきました。
では、しばし休憩して落書きでもして見るか。などと考えてみる、
すると、
あれ?落書きってどうやってかくんだっけ?
とおもったり。
じゃぁ、写真をみながら練習でもするか、とか考えたとき。
「で、何の写真で絵をかくんだっけ?」
みたいな、頭のなかが空っぽになるときがあります。
そうです、ときどき、画家から完全にど素人にもどるんです。
この瞬間が自分はすごくこわいです。
この状態のときに、オーダーメイドとかやっていたら大変危険です。
そんなもんで、プロのイラストレーターとか尊敬してます。
ご購入者様へ
アートメータに、今回の自分の作品がならんでから、
わずか13分でソールドアウトになりました。
新築の夢シリーズは、「冗談が通じるひとにささげる家」を目標に製作し、
自分の中で「想像力のおおいなる開放」をコンセプトにして描きました。
著しく気分を害される方と、ご理解のあるかたと真っ二つにわかれる作品だとおもいますが、
展示されるとなかなか面白い。。。とか自分で思ったりもしました。
こういうことの積み重ねが、自信につながるとおもいます。
ご購入者様の深いご理解と、アートメーターさんに毎回感謝です。
いつもありがとうございます。
描くネタについて
図書館などで図鑑かりてきています。
科学雑誌のコーナーに、中世の武器図鑑とか、骨格などです。
昨日まで、ちょこちょこそのなかから練習してたものの、
「どうもこれ、ちがうな」なんて感覚におそわれる。
自分がいままで、勘だけをたよりに描いてきたため、
実物を細部にわたってかきまくるというのが、なんともあわない。
やはり創造をきかせたものがいいのか。
とかかんがえて、いざ描いてみると、ひとつひとつのキャラのデッサン力が弱い。
ここわ、我慢のしどころなんだろうか、微妙なとこです。
人生の途中から絵画を始めた人間のよくあるなやみですねー。
深夜番組で
きのう夜中にサマーソニック特集をみてて、
そのあとに「ルーブル美術館展」の特番やっててみてました。
そこで、フェルメールの作品が、評価格にするとどのくらいいくかみたいなことをやっており、
今回一点しか来日しなかった、20センチ×20センチくらすの「レースを編む女」だっけかな、タイトル。
なんと、
100億円
するそうですね。はつみみです。
自分がルーブル展いったときは、このフェルメールの作品あまりに小さすぎて、
1っぷんぐらいで全体を鑑賞し終わってしまって、あまり印象にのこらなかったのですが、
なんと、今回で一番高価で、
またフェルメールさん、地球上で一番値段の高い画家ということもしりました。
評価がついた油絵は、本当にすごいなとおもいました。
デッサン力についての素人の自分がおもうこと
自分はデッサン力がよわい。
上手いひとを見ていつも感心させられる。
だが、デッサンを一生懸命やるには、「何を」「何時間」かくか決めえておかないとやばいと思った。
なぜなら、たしかに綺麗に描けるようになるが、最後に写真みたいな絵がかけるようになることには、
じーさんになっていそうな気がするからです。
あとは、現代アートをみてると、
「どこに必死でやったデッサンが生きてるのだ?」とおもわされたり、
立体の人も、鉄の棒が縦横無尽に走り回ってる作品に、高い評価がつい たりと、
デッサン力には謎がおおいです。
そもそも鉛筆で練習したものを、
作品を制作するときには、筆にもちかえてるし。
長さも握り具合も、筆圧もぜんぜんちがうのに、なんのために。
油絵や、水彩に活かすのだったら、「筆でデッサンしなければ意味が無い」のでは?とおもう。
なので、いきなり製作に取り掛かり、数おおくの作品を「なんでもいいから、とにかく作りまくる」ことが、
なによりもの練習だとおもう。
いや、製作と練習が一緒になっている、効率のいいやり方だと思う。