12月ホロスコープ診断付きカウンセリング
募集中
前回記事の続きです
↓↓
ひょんなことから
両親の離婚理由を知った私
23歳でその事実を知るまでは
わりと呑気なもので
定期的に父親と会っては
一緒に食事をしたり
欲しいものを買ってもらったり
お小遣いをもらったり
たまにしか会わない分
とても良くしてもらいました
しかし
事実を知った23歳からの
10年弱
私は父と連絡を閉ざしました
彼氏もいないし
男への不信感
娘としての存在を
全否定
された気がして
許せなかったのだと
当時の私に思いを合わせると
そんな感情が出てきました
その10年弱
それはそれは
私をぐつぐつと煮詰めたような
出来事が沢山ありました
私の花嫁姿を見たい
と楽しみにしていた父に
結婚を一切告げず
式を挙げました
そして
初孫の誕生も伝えず
時は刻々と音を立てるように
過ぎていきました
父には連絡をしない
我ながら頑固でした
しかし
娘が大きくなるにつれて
見えてきたことが
あったのです
娘が生まれ
私は初めて
親になりました
精密機械のように見える繊細な指
透き通る淡い瞳の色
お腹の底から泣く声
本能のままに寝て起きて
誰も疑うことなく生きる姿
ゲップで口から吐き出して
それがどこについても
気にならない
親がいないと息絶えてしまう姿
一生懸命に生きる姿
毎日毎分毎秒
我が子と触れ
こみ上げてきたのは
私も同じように
育てられてきたという
親に対する感謝の気持ちでした
一緒に暮らした年数は少なかったけれど
赤ちゃんの頃を写した写真や
ビデオテープには
私と父が
一緒に映っていました
父との縁を消そうとするほど
封印しようとすればするほど
それって
私の中で父親の
存在が大きい
ということなんですよね
気にも留めなかったら
普通
好きも嫌いもなくて
意識にも上がりません
それだけ
好きということ
その分
憎くなってしまった
ということ
でも
どうしたらいい?
私から
何をしたらいい?
言い訳がましいですが
父親が身近にいなかった分
どうやって接すればいいのか
分からないのです
本当はもっと関わってほしかった
本当は授業参観に来てほしかった
本当は塾のお迎えにも来てほしかった
本当はバスケの大会に
観に来てほしかった
本当は家族みんなで遊園地とか
行ってみたかった
本当は母とケンカしたとき
味方してほしかった
本当は結婚式に来てほしかった
父親を想像したときに
やわらかい色を思い描いて
優しい声や温かみを感じてみたかった
欲しかったことが
いっぱい溢れてきたけど
伝えることはなく
結局
月日は刻々と3年経ち…
第2子の男の子が
生まれました。笑
私の拗れっぷりも鋼の様です
しかし
私が年を重ねるように
当たり前に父も年を取っていて
私が拗ねている間に
父がもしこの世を去ったら
私は一生後悔すると思い
私は
父のためではなく
私自身のために
父へ連絡しようと
決めました
10年弱
拗ねていた私
もちろんこのときは
NLP心理学もホロスコープ
も
知りません
そのときの気持ちを
私なりに伝えたはずです
直接触れ合う時間は
少なかったかもしれないけど
父の稼いでくれたお金で
私は生きてこられた
自分が親になって
ありがたみを知りました
それから久しぶりに
私は父と再会し
子どもを
会わすこともできました
そして私が結婚したときから
父は兄へ
ご祝儀を預けていたことも
その時に知りました
結婚のご祝儀
一人目出産のご祝儀
二人目出産のご祝儀
私に関することは
兄がもれなく父に報告しており
一括でご祝儀を貰う私
しかし今思うと
そのときの私は
父の思い
を
全く
汲み取れていなかったです
そして私も
言えていない(癒えていない)
ことがありました
なぜなら
父に感謝の思いはあるけれど
私は父親に愛されない
という思いは
変わらずにそこにあったので
さてさて
このときの私が
4年後
NLP心理学とホロスコープ
に
出会います
私は父親に愛されない
という
自分の価値観や信念に
かなりの癖
があることを後に
知ることとなります
天と地を
ひっくり返すほどに
生きていると
いつも
癖が出てくる
毎日毎分毎秒
今もそう
父親と絶縁までしていた
私が
どのような対決を果たしたのか
斬った?
斬られた?
次回に続きます
↓↓
あなたのホロスコープが
どうなっているのか
気になりませんか?
気になるお相手があなたを
どう思っているのか気になりませんか?
運命がどうなっているのか
プロに見てほしいと思いませんか?
知りたい方は是非
個人カウンセリングにお越しください
↓↓