橘逸勢(たちばなのはやなり、782?‐842)の娘は、すばらしい人柄の持ち主であった。逸勢が伊豆に追放※1されると、娘は悲しみに暮れ、泣きながら歩いて逸勢の後についていった。それを見た役人は娘に言って止めさせた。実の親といえども勝手に犯罪者と行動をともにすることは許されない。しかし止めることなど出来るはずはない。そこで娘は、お昼時には寝て夜に起きて行くことにした。逸勢は遠江※2に着くや病死した。娘は大変嘆き悲しみ、その棺を板築駅に埋め、小さな小屋をその駅の側に構え、その親に孝養すること生存していたときの様に接した。その態度は長い間変わることがなかった。
その後、自ら棺を負って京都に帰ることが出来き、先祖の墓によく埋葬した※3のであった。
註
※1 嵯峨天皇がご崩御された直後、謀反を企てたという疑いで伴健岑(とものこわみね)らと共に捕えられた(承和の変)
※2 とおうみのくに。現在の静岡県大井川以西の地域の旧国名
※3 娘は後に尼となり、墓の近くに庵を結んで菩提を弔い続けたといわれている

公式サイト「
孝は徳のもと・橘逸勢の娘」