政党の「無気力」が国家を亡ぼす!! | 東京リーシングと土地活用戦記

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【正論】学習院大学教授・井上寿一 政党の「無気力」が国家を亡ぼす

2010.2.4 sankei

 先ごろ公刊された斎藤隆夫の日記を精読する機会があった。斎藤隆夫とは、「反軍演説」(昭和15年2月)で知られる、主に大正・昭和戦前期に活躍した自由主義的な政党政治家のことである。以下では、亡くなる年までの三十余年にわたる斎藤の日記を読みながら、今日の日本政治について考えたことを4つにまとめて述べたい。

 ≪カネに清潔だった斎藤隆夫≫$東京ふるさと多摩党・リーシングと土地活用戦記


 第1は「政治とカネ」の問題である。「政治」に「カネ」は必要だ。これは今も昔も変わらない。斎藤は大正10(1921)年元日の日記に、「財なければ活動能わず」と記している。斎藤は選挙資金のための金策に奔走する。
 斎藤は世俗的な成功を夢見た。大臣ポストを求め、「金銭的成功」をめざした。そうだからといって、彼は私腹を肥やしたわけではない。念願の持ち家を手にしたのは68歳の時だった。その斎藤による選挙の公営の訴えは、力強いものだったにちがいない。
 対する今の日本では、「カネ」のかかる選挙が金権政治を生んだとの反省から作られたはずの政党助成金制度の悪用を疑わせる事例によって、国民の政治不信が高まりつつある。すべての政治家にこの日記を読んでもらいたい。そう願わずにはいられなかった。

 ≪民主主義で重要な議会演説≫
  第2は議会演説の重要性である。斎藤にとって政治を動かす力となったのは、議会演説だった。斎藤は、議会演説の草稿作成に、血の滲(にじ)むような努力を傾ける。その草稿を手にした斎藤は、政権与党の議員でありながら、政府批判をおこなうこともある信念の政党政治家だった。そうだからこそ、国民は斎藤の演説を支持した。昭和11(1936)年5月、斎藤は、2・26事件を批判して、軍部大臣による「粛軍」を求める議会演説をおこなった。国民はこの「粛軍演説」が掲載されている官報を奪い合って読んだ。斎藤のもとには全国から感謝の電報や手紙が届いた。昭和15年2月には、彼の名を後世に残すことになった「反軍演説」をおこなっている。

 最近の国会における質疑の不十分さや首相のツイッター利用の是非をめぐる論争と比較すれば、あらためて議会演説の重要性が浮かび上がる。時代は変わっても、政治家が議会演説の技巧の鍛錬に努めることに変わりがあってはならない。議会演説が政治を動かす。そうあってほしいものだ。

 第3は世界情勢の分析力である。斎藤の議会演説は、入念な下調べの裏づけがあった。神田の書店街に足を運び、丸善を訪れるのが日課のようになっていた。アメリカのロースクールに留学経験を持つ弁護士でもあった斎藤は、海外の新聞・雑誌、洋書を購読している。それらの読解をとおして、斎藤は「世界の大勢」観を形成したのである。

 斎藤にとって第一次世界大戦後の「世界の大勢」は、国際協調と社会民主主義の理念を基調としていた。外に対しては国際連盟と軍縮を支持し、内にあっては小作関係調停法案や労働組合法案の成立に力を尽くす。斎藤の世界情勢の分析力は、彼の議会演説の説得力を支えていた。
 このことが今日に示唆するのは何か。鳩山政権は、自民党政権との違いの強調や連立与党への配慮といった内政要因から外交を考えがちである。これとは逆に、「世界の大勢」観から政策を構想すべきではないか。政治の内向き志向を改めることが必要である。

 ≪「別の選択」がない閉塞感≫

  第4は議会制民主主義の発展の可能性である。「反軍演説」は反戦演説ではない。斎藤が「聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却」している政府に対して求めたのは、日中戦争の具体的な解決方針だったからである。

 激怒した軍部は、斎藤を議員除名に追い込んだ。これに対して2年後、翼賛選挙でありながら、斎藤は兵庫5区からトップ当選を果たす。昭和11、12年の総選挙でも最高点だった。戦時体制が進むなかにあって、斎藤を支え続けた当時の有権者、国民を誇らしく、またうらやましく思う。国民は希望を失わなかった。
 他方で斎藤は、軍部の統制の乱れだけでなく、政党の「無気力」を批判した。戦前最後の政党内閣(犬養毅内閣)崩壊後も、政党内閣復活の可能性が生まれながら、政党政治は自壊した。軍部の政治介入よりも政党の「無気力」が原因だった。

 今また、異なる歴史的文脈においてではあっても、政党政治の自壊が起こらないとも限らなくなっている。鳩山政権の行きづまりは明らかなのに、国民には別の選択がないからである。これでは国民の政治不信は、政党政治に対するニヒリズム(虚無主義)につながりかねない。

 斎藤のような政治家がいないことを嘆いてみても始まらない。戦時下であっても、国民は希望を持ち続けた。同じように私たちも、政治的なニヒリズムに陥ることなく、議会制民主主義の発展の可能性を信じて、政治に参画していくべきである。
(いのうえ としかず)


今の、政治家さんへ、選挙費用まで、国民にだしてもらって、

とてつもない高額な報酬と、安い、新築の議員宿舎で、

秘書も、いっぱいつけて、

見つかったら、全部、秘書のせいにして・・

マニュフェストは、全然守らないで・・・

金権、ゼネコン癒着、巨額の脱税・・・

天下り廃止は、どうなったの・・・・

いったい、なにやってんの!!