チャーチルの鉄のカーテン演説 と 麻生総理の演説 | 東京リーシングと土地活用戦記

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チャーチルの鉄のカーテン演説

 1946年3月5日、チャーチル(Winston Churchill)はもはや英国の首相ではありませんでしたが、名誉博士号を受けるため、米国のミズリー州フルトンのウェストミンスター・カレッジを訪問し、後に「鉄のカーテン演説」と呼ばれることになった演説を行いました。

 聴衆の中には、1,000マイル離れたワシントンからかけつけたトルーマン(Harry Truman)米大統領もいました。

 チャーチルは1930年代にナチスドイツによる戦争の脅威を説き、英国の人々の嘲笑を浴びましたが、正しかったのはチャーチルの方でした。ここで、チャーチルは再び同じようなことを試みたのです。

 チャーチルは、「バルト海のステッテンからアドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが大陸を横切って降りてしまった。この線のかなたに中央と東欧州の古い国々の首都すべてが横たわっている。ワルシャワ・ベルリン・プラハ・ウィーン・ブダペスト・ベオグラード・ブカレスト・ソフィアだ。これらの有名な都市とそれを取り巻く住民はことごとくソ連圏と呼ぶべきものの中に横たわっているのだ。」と語ったのです。

チャーチルは、ロシア軍の占領下に置かれた中東欧において、スターリンの命令に従い、ロシア人が共産党政権による全体主義支配を押しつけつつあることを自覚するよう米国の人々に呼びかけたのでした。

 スターリン(Joseph Stalin)は、この演説に激怒し、チャーチルを「戦争屋」と非難し、この演説文をソ連内で発禁処分にしました。

 米国の人々は長きにわたって、ソ連の本質から目を背けてきたのですが、翌1947年にようやくトルーマン政権は、ソ連に対する封じ込め政策を決定し、1989年まで続く米ソ冷戦時代が始まるのです。

「防衛省OB太田述正アングロサクソン文明と軍事研究」


サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家。1940年から1945年にかけてイギリス戦時内閣の首相としてイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導く。大戦終結後に再び首相となる。
彼の家名(ファミリーネーム)は単に「チャーチル」と呼ばれることが圧倒的に多いが、正式には「スペンサー=チャーチル」という複合姓(二重姓)である。 フランクリン・ルーズベルト、ダグラス・マッカーサーとは遠戚関係にある。 2002年、BBCが行った「偉大な英国人」投票で第1位となった。(Wikipedia)





 組閣も、個性的でしたが、麻生総理の演説はどうなるんでしょうか??

 今回は、とても興味があります。

 勇気、先見性、判断力、尊厳、貢献

 どうしても、強いリーダーシップをもつ首相が、必要な時期に来ていると思います。

 どうして小泉元総理は、こんな時期に引退するんですかね・・

 そろそろ偉大なる日本人の出現を期待したいです。